「ヤシロく~ん、機嫌直しなよ~☆」
天岩戸の如く固く閉ざされたドアからぞろぞろと受講生が出てくる。
みんな適度に汗をかいてすきっり爽やかな疲労感に満足げな顔をしている。
俺は一人ふて腐れて三角座りしてるけどな。
つーん。
三角座りのまま歩き回ってやる。
ちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこ。
「気味の悪い動きをしないの!」
エステラに襟首を掴まれて半強制的に起立させられる。
「あれ、エステラ。やせた?」
「胸を見ながら言うな!」
いやぁ、俺の考案したエクササイズ、効果あるなぁ。……けっ。
「あんたがおかしなこと考えなきゃ追い出されなかったんだから、自業自得さね」
「おかしなことじゃない! 素晴らしいことだ!」
「あぁ、まったく反省してないんさね……」
ノーマが呆れたようにため息を吐くが、体操服&ブルマのせいでありがとう以外の感想が出てこない。
「ノーマ、ありがとう!」
「この服、殊の外思い入れが強いようさね……着る頻度下げなきゃいけないみたいさね」
なぜだ!?
俺から何もかもを奪うつもりか精霊神!?
この世には神も仏もないのか!?
「うんうん。割と元気そうでよかったねぇ☆」
「えぇ……そうかなぁ? 拗ねてて面倒くさいけど」
マーシャの水槽に腕を置いてエステラが眉を寄せる。
拗ねてねぇよ。ほんのちょこっとおへそを曲げてるだけだ。
「で、他のヤツは?」
四十一区の講師候補生たちはすでに全員出て行き、「遅くなる前に四十一区に戻りますね」と帰路に就いている。もう随分と空が暗くなっている。夜の訪れは間もなくだ。
にもかかわらず、四十二区の面々はまだ出てこない。
「あぁ……まぁ、中を見たら分かるよ」
困ったような顔で肩をすくめるエステラ。
促されてドアから教室の中を覗き込むと、床に倒れたジネットとベルティーナ、その横でへたり込んだままぷるぷる震えているモリーの姿が見えた。
「仲良し母娘殺人事件が起こってるみたいだけど!?」
なんらかの事情があって、ついカッとなって……みたいな現場になっている。
犯人はモリーか。
「謎はすべて解けた」
「謎なんかないんだよ」
四十一区の女性たちが気持ちのいい汗をかくようなエクササイズは、ジネットやベルティーナにとってトライアスロン級のヘビーな運動だったようで、ぴくりとも動けないのだそうだ。
「モリーは? そこまで体力がないわけじゃないだろう?」
「彼女は……ほら、一所懸命な性格だから」
あぁ、なんか分かる。
受講生は出来る範囲でいいって言われてるのに、講師の完璧な動きをマネしようと張り切ると自分の限界を超えてしまうことがある。その結果迎えるのは、今のモリーのように筋肉がぷるぷるして動けなくなる結末なわけだ。
……モリー。お前、ちょっとでも痩せようと無理しただろう?
デリアと同じ動きなんて、同じ獣人族でも相当な負荷になるはずだもんな。
「バルバラは?」
「あそこさね」
ノーマの指差す先には、「ほら、どうした! もっといける! 限界を超えろ!」と熱血指導しているデリアと、「んんんぬゎああああああ!」と野太い声を出して片足スクワットをしているバルバラがいた。
……なにやってんだよ。
「遅れて迷惑をかけた分、追加特訓するんだってさ」
「え、あれエクササイズなの? 俺の知ってるのと全然違うんだけど?」
おかしいなぁ、俺の教えたエクササイズは見た目にも女性らしさが漂う素敵体操のはずなんだけど……どこの傭兵育成施設だよ、ここ。
「ダイエットって、あんなコマンドーみたいな顔してするもんじゃないだろう……」
「あれくらい出来ないと、デリアと同じ動きは出来ないんだって」
「アタシでもやりたくないさね、あんな特訓」
エステラもノーマも呆れ顔である。
でも、ノーマはやらないだけで出来ないわけじゃないよな? 表情から察するに出来るよね、絶対?
つか体幹がすげぇな、バルバラ。
片足スクワットなんか絶対出来ねぇわ。
「それにしても、君も少しは分別があるようだね。その点は評価するよ」
不意にエステラに褒められて、俺は小首を傾げる。
分別?
「チラとでも覗こうものなら抉るか潰すかしようと思っていたんだけれど」
「主に目に使われる物騒な単語を並べてんじゃねぇよ」
エステラの場合冗談だと分かるからまだマシだけれども。
……ナタリアだったらやりかねないって怖さがあるよな。よかった主の方で。
「未練がましくドアの前でごちゃごちゃすることもなかったね。静かなものだったよ」
偉い偉いと、俺の頭をぽふぽふ叩くエステラ。
俺をコンビニ前に繋がれて飼い主の買い物を待っている犬みたいに扱うんじゃねぇよ。
あの買い物待ち犬って街の財産として扱われないのかなぁ? 見かける度に撫でたくなるけど他人の犬だし、途中で飼い主が帰ってきたらと思うと手が出せないんだよなぁ……
「何をしていたんだい? まさか、ずっと三角座り?」
「いや、ちょっとアッスントとな」
ここはニュータウンなので、ヒマなハムっ子が比較的すぐに捕まえられる。
まだ仕事には就けていないちびっ娘を捕まえて、ちょっとひとっ走りアッスントを呼んできてもらって、さっきまで打ち合わせをしていたのだ。
「どうして、大勢の女性が汗を流すような艶めかしい場所に呼び出すんですか……」と、妙にそわそわしていたなぁ、アッスントのヤツ。妄想がどこまでも広がってたんだろうなぁ、むっつりめ。
「アッスントはむっつりなんだ」
「君があけすけ過ぎるんだよ。アッスントくらいでちょうどいいんじゃないのかい?」
「専属おっぱいがいるくせに他所のおっぱいに目移りするなど、言語道断!」
「一途で素晴らしいと言うべきか、奥方を専属おっぱい呼ばわりする最低男と言うべきか判断に悩むところだね、君の意見は」
なぜだ?
アッスントは決まった相手がいるのに他のおっぱいにちょっとドキドキしてたんだぞ?
怒るべきところだろう!
ふざけるな!
欲張るな!
「お一人様1セットまで!」
「口を開く度に評価を落とすからそろそろ黙るといいよ。……で、アッスントとなんの話をしていたんだい?」
エステラの目つきが領主のそれになる。
隠し事を許さないというような凄みが瞳の中に紛れ込んでいる。
……別に隠すつもりはねぇよ。
「エステラ。お前にとってお菓子って言えば、なんだ?」
「え? ん~……そうだねぇ。今だと、やっぱりドーナツかな?」
ま、そうだろうな。
「他にはケーキとか、ハニーローストピーナッツとか、ポップコーンとか……」
「私、たい焼きが好き~☆」
「アタシはプリンが好きさねぇ」
俺もノーマの『ぷりんっ』が好……熱っづぃ!?
何も言ってないのに!? 思っただけなのに!?
「視線が正直過ぎるさね」
正直なのはいいことだって教わってきたのに……正直者が馬鹿を見るって、こういうことを言うんだろうなぁ……くすん。
それはともかく。
四十二区でお菓子と言えば、今こいつらが挙げたような物がほとんどだ。
もともと甘味の少ない街で、あったもんといえばハチミツと黒糖、あとは果物くらいで、その日の飯も満足に食えないヤツもいたような四十二区では嗜好品のお菓子が根付くようなことはなかった。
だから、陽だまり亭が始めて広げていった物が四十二区のお菓子の定番になっているのだ。
「ハロウィンってのは、ガキどもが街を練り歩いてお菓子をもらうイベントなんだ。お菓子が陽だまり亭にしかないようじゃ問題あるだろう?」
「ん~……確かに、それはそうかもしれないけれど。でも、ケーキなら他のお店にもあるだろう?」
「一軒一軒立ち寄ってケーキを食ってたら、一個二個で腹が膨れちまうだろう? もっと手軽な方がいいんだよ」
本当はクッキーみたいな物がいいんだが……小麦粉を使ってオーブンで焼くと『パン』になっちまうせいで準備が出来ない。
ノーマのコの字型オーブンがあればなんとかなるかもしれないが、それでも結局陽だまり亭でしか作れない。
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