「お待たせしました~」
ナイスタイミング。と、言うよりピッタリ過ぎる。
俺が振り向いてピッタリってことは、……ナタリアはジネットが姿を現す前に気付いていたってことか? 気でも読めるのか? 怖っ。
お盆にぬるま湯とカットフルーツが載っている。
薬は、先ほどジネットが持ってきていた薬箱から俺が選んで出してある。
「…………不思議な気分です」
「何がだよ?」
「私は、お嬢様のお世話をする者です。そんな私が、このようにお世話をされているなんて……」
「そのお嬢様のお世話に支障をきたさないために、さっさと風邪を治せってことだろ」
「なるほど……道理は通っていますね。では、失礼して」
ナタリアはカットフルーツを一つ二つと口に運び、そして、薬を手に取る。
「私が薬を使うと、お嬢様のお役に立てるのですよね?」
「あぁ。もしかしたら、エステラはそのために、お前を寄越したのかもしれないしな」
あながち的外れな発想ではないはずだ。
もっとも、エステラは純粋にナタリアを心配してのことだろうが。
エステラが忙しくしていたということは、それを支えているナタリアはもっと大変だったということだ。
そういう人間を放っておきはしないのではないか……俺の考えるエステラという人物はそういうヤツだ。
ナタリアは薬を手に持ち、ジッとそれを見つめる。
少し、不安げな表情で。
「喜ばれる、……でしょうか?」
「たぶんな」
軽い口調でそう答えておく。それくらいが、今のナタリアにはちょうどいい塩梅だろう。
しばらく黙考した後、ナタリアは俺の方を向いて少し身を乗り出し、真剣な瞳で聞いてくる。
「……褒められますか?」
「うまくいけばな」
さらに身を乗り出し、ついには立ち上がり、グイグイと俺に詰め寄って、物凄い至近距離で聞いてくる。
「一緒に寝て、ギュッてしてもらえますか!?」
「それは知らん!」
どこまで望むんだ、お前は!?
褒められるくらいでいいだろうが。
ナタリアを座らせて薬を飲むよう勧める。
「そうですね。いただきましょう」
椅子に座ると、背筋を伸ばし、非常に行儀よく粉薬を口に含み、ぬるま湯で流し込んだ。
かと思いきやすっくと立ち上がり、キラキラ輝く瞳で俺を見る。
「治りました!」
「そんなすぐ効くか!」
「なんと素晴らしい薬なのでしょう! 実は、黙っていましたが先ほどまでは今にも死んでしまいそうな程苦しかったのですが、この薬を飲んだ瞬間先ほどまでの苦しみが嘘のように霧散していきました!」
「それ、誇大広告だから! 俺の国じゃアウトだから! つか、完全に嘘だしね!」
「いいえ。そのような気分になったのは事実です。私はそのように感じたのです!」
「お前の主観なんぞ信用できるか!」
「おまけに、幸運にも恵まれて彼氏でも出来そうな勢いですっ!」
「胡散臭さが倍増だよ!」
「彼氏いない歴=年齢の私にですよ!?」
「さらっと悲しい事実を告白してんじゃねぇよ!」
ちなみに、レジーナの薬に恋人が出来るというような副作用は含まれていない、……当たり前だけどな。
「この薬の素晴らしさを領内の住民に触れ回ってきます」
「やめろ! 悪評しか立たないのが火を見るより明らかだよ!」
こいつは、もしかして……バカなのか?
「私は、この感動を皆に伝えたいだけで……」
「もういいから、さっさと帰って今日くらいは大人しく寝てろ。な?」
「なぜ私の寝相が悪いことを知っているのですか!? ……覗きましたね!?」
「覗いてねぇし、知らねぇわ! 帰って寝ろ!」
「あまり睡眠を長く取ると筋肉痛になる恐れがあるのです」
「どんだけ動くんだよ、寝てる間に!?」
「あ~、よく寝たぁ~………………ここはどこだ?」みたいなことになってんじゃないだろうな?
「それでは、あなたの言う通りに帰って休ませてもらうとします」
「おう、エステラによろしくな」
「………………」
「返事しろよ! よろしく言うだけだよ!」
まったく、こいつは、優秀なのかアホなのか判断に悩むヤツだ。
「では、ナタリアさん。服と傘をお貸ししますので」
と、ジネットが傘を差し出す。……あ、服も貸すんだっけ?
そうして、騒がしい珍客は陽だまり亭を後にし、降りしきる雨の中を帰っていった。
まったく……。
あまりの変わり者っぷりに、沈んでいた気分がすっかり軽くなっていた。
これを狙って、ワザと変わり者のフリを……ってのは、さすがに考え過ぎだろうな。
「……で、お前らは何をやってるんだ?」
厨房に食堂を窺う二つの影があった。
マグダとロレッタだ。
「……強敵。体調が万全でない時は対峙するのは避けるべき」
「ナタリアさん、ちょっと怖いですので、様子見を……」
そんな理由で、ずっと身を潜めていたらしい。
いや、仕事しろよ。
まぁ、他に客なんか一人もいないから、別にいいけどな。
雨は時間を追うごとに強くなり、午後にはバケツをひっくり返したようなどしゃ降りになっていた。
あ~ぁ。こりゃ今日はもう客は来ないかもな……
弱り目に祟り目とはよく言ったものだ。
ただでさえ移動販売が大きな壁にぶち当たって利益が落ちているというのに……
その日、結局、陽だまり亭を訪れた客は一人もいなかった。
どんよりと重々しく空を覆い隠す雲の陰鬱さが精神に伝染していくようだ。
「こんな日もあるさ」で、割り切るには……少しばかり負の要素が多過ぎる一日だった。
今日は早めにロレッタを帰した。雨も強くなっているしな。
気遣うような素振りを見せていたロレッタだが、多少強引に納得させた。
なに、明日になればまた潮目も変わるさ。
無理やりにでもそう思わないとやっていられない、そんな気分だった。
しかし、潮目が変わるどころか……
この日一番の災難は、閉店後――店の片付けをしている時にやってきやがった。
それは、ここ数日で見ても最悪な知らせだった。
激しくドアを乱打する音が店内に響く。
激しさを増した雨音に消されないようにしているのか、それともとても焦っているのか、とにかくそれは『ノック』などと呼べるような生易しい音ではなかった。
ドアを開けると、マントを羽織ったベルティーナが立っていた。
ずぶ濡れになりながら、小刻みに震えている。
だが、震えは寒さから来るものではなさそうだった。
顔色が悪い。
いつも冷静なベルティーナが取り乱したように、俺にすがりついてくる。
濡れた手が俺の肩を掴む。
ベルティーナの手は、氷で出来ているのかと思うような冷たさだった。
「……子供たちが…………っ」
その一言で、食堂内の空気は一変した。
ジネットの顔から血の気が引き、マグダも無表情の中に緊張感を窺わせる。
俺は俺で、情けないくらいに心臓が早鐘を打っていた。
誰も何も言えず、ただベルティーナを見つめていた。
もたらされるであろう次の言葉を、ひたすら待つだけの時間が続く。
時間にすれば、ほんの一瞬のことだったのかもしれないが、俺にはそれがとても長く感じられた。
何も聞きたくない。
けど、早く言ってほしい。
そんな複雑な気持ちで、俺は震えるベルティーナを見つめていた。
「く、薬を…………子供たち……に…………」
「シスター」
ジネットが、俺の肩に置かれたベルティーナの手に自分の手をそっと重ねる。
それだけで、ベルティーナの顔に少し血の気が戻ったように見えた。
取り乱していた心が、ほんの少し落ち着きを取り戻したのだろう。
「すみません……」
「いえ。それで……何があったんですか?」
ジネットの手に力がこもったのが分かった。
ジネットも怖いのだろう、その言葉を聞くのが。
だが、聞かずにはいられない。
幾分落ち着いたベルティーが、ゆっくりと状況の説明を始める。
「子供たちが倒れました。教会にいる十人、全員がです……高熱を出し、下痢に嘔吐……みんなどんどん弱っていって…………このままでは……っ」
「そんな……」
「レジーナの薬は? 教会にも置き薬があっただろう?」
切迫した状況に敬語を忘れてしまう。が、ベルティーナはそれを咎めるようなことはせず、青ざめた顔を横に振った。
「……効きませんでした。薬を飲ませても、嘔吐も、下痢も止まらず……熱も下がりませんでした…………」
薬が、効かない?
「流行病か……それとも…………何か、原因に心当たりはないのか?」
「あります……実は…………」
この後ベルティーナが語ったのは、ここ数日の集大成ともいえる――最悪な出来事だった。
「この大雨で川が氾濫し、用水路が決壊しました。そのせいで、泥水や汚水が井戸に流れ込んでしまったようなのです」
「飲み水が……汚染された…………?」
店の外では激しい雨音が、しつこいくらいに鳴り続けていた。
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