「私も、お砂糖なんて食べたことないなぁ」
ネフェリーがくちばしをへの字に曲げる。…………器用だな、おい。
「ジネットはある? 食べたこと」
「お祖父さんがいた頃に何度か……ここ最近は全然です」
「だよねぇ。高過ぎるのよぉ……」
「そういう事情なら、仕方のないことかもしれませんね。……あれ、でも。でしたら、黒砂糖が流通しているのはなぜなんでしょうか?」
「それは、砂糖職人を育成する過程で大量に精製されるからですよ」
ジネットの問いに、アッスントが答える。
上白糖を精製する職人を育てる中で、黒砂糖を大量に精製させているのだろう。
黒砂糖は、決して安くはないが安定して流通している。手が出せないような値段ではない。
「超一流が作る上白糖に対し、一流が作る黒砂糖、といったところでしょうか。二流以下の物はさすがに流通いたしません」
見習い以上、師匠未満の砂糖職人が作っているようだ。
「まぁ、砂糖職人たちも、生活を守るので手一杯でしょうから、協力してくれるかは微妙ですね」
アッスントの話によれば、砂糖職人はいくつものグループに分かれており、それぞれが独自の工場を持ち、独自で砂糖を精製しているらしい。
販売価格は各工場で決めていいらしく、自社の製造量により利益の出やすい価格で行商ギルドに卸すのだそうだ。工場での店頭販売も認められているらしい。
で、何が問題かというと……
「サトウキビが入ってこないんですよ。値を釣り上げるために、貴族はサトウキビをごく少量しか工場に与えないのです」
そうすることで、砂糖の流通量が制限され値が上がる。値が上がればサトウキビの価格も上がり、貴族は利益を得ることが出来る。また、砂糖を庶民の手から遠ざけ貴族たちで独占することも可能となる。
貴族の食べ物と言われているのは、貴族が価格を操り、貴族が楽しむための食べ物にしているからだ。
「どこかの工場が庶民のために値下げをするとですね……次からその工場にはサトウキビが入ってこなくなるのです。そうまでしてでも、貴族は砂糖を独占したい。利益はもちろん、消費においても」
「どうして、そんなことをしてまで……」
「サトウキビが枯渇すると思っているのかもしれませんね。広い農地が必要なのですよ、サトウキビの栽培には。故に、もし、その土地がなんらかの影響で壊滅的ダメージを受けてしまったら……次にサトウキビ畑を復活させることは困難になる」
「いつか来るかもしれない不作のために、恒常的に流通量を渋ってやがるのか?」
「そうですね。砂糖は、人を虜にする魅惑的な調味料ですので」
バカだ。
バカがいる。
バカがのさばっている。
「行商ギルドで締め上げて、サトウキビを没収してこいよ」
「おや、ご存じないのですか? 行商ギルドのトップは、貴族なのですよ?」
「なに、それ? 行商ギルドは庶民のためには動きません宣言?」
「全体がそうだとは申しません。我々下っ端は利益第一主義ですので。あ、もとい、信頼第一主義ですので」
嘘くせぇ。
イカサマ野郎の顔つきだ。
「ですが、行商ギルドが貴族に圧力をかけるということは、まずないでしょうね」
「領主には圧力をかけんじゃねぇかよ」
「それはそうですよ。領主になれない貴族がどれだけいると思っているのですか? 領主が住民の信頼を損ね、領主の席から追放されれば、他の貴族たちにチャンスが巡ってくるではないですか」
「領主は他貴族たちから突き上げを喰らい続けてるわけか」
「権力者の宿命ですよ」
この街は、教会があって、王族がいて、領主がその次に続いて、それ以外の貴族がその座を狙いつつ、庶民の血税を貪って成り立っているってわけか。
けっ、どいつもこいつもろくでもねぇ。
「でもさぁ、この区はすごく住みやすいよね。街の人がいい人ばっかりだっていうのもあるけど……なんて言うのかな……」
ネフェリーが頭を掻いて言葉を探している。
なかなか言葉が出てこないのか、右へフラフラ左へフラフラと行ったり来たりしている。
……三歩歩いて何考えてたか忘れてんじゃないだろうな?
「仕事に専念できるというのは、この区の特色でもありますね。多くの区では重税で苦しんでいたり、徴兵などの義務が領民に課せられたりしておりますし」
「そうそう! それよ、それ。自分たちの仕事だけしていられるから、時間が有効に使えるし、それに税金も随分安いんだよね、この区って?」
「破格、と申し上げていいでしょう。まぁただし……」
アッスントが意味ありげな目で俺を見て、そこで言葉を区切る。
言いたいことは分かる。
四十二区は最底辺の区だ。それだけで他区から差別的な視線を向けられる。
他の区のヤツらからすれば「安くて当然。あそこは人の住む場所じゃないのだから」ってなもんだろう。
そう思ってないのは、四十二区の人間と、四十区の一部の人間。そして、アッスントのように仕事で四十二区に関わっている者たちだけだろう。
「ここの領主は随分と頑張ってるってわけか」
「私も、そうだと思う。私、あんまり税金のこととか考えたことないけど、それ自体が、領主様の頑張りのおかげなんだよね」
気にしないでいられるってことは、そのことで苦しんでいないということだ。
普通が当たり前であるということは、認識しにくいが相当幸せなことなのだ。
……少し前まで、こいつらは生きることに必死だった。とても普通の状態ではなかった。
だからこそ、現在の『普通』がいかにありがたいかが分かるのだろう。
ネフェリーなどは、感受性が強いから特にそう思うんだろうな。
「四十二区の領主様は特異な存在ですよ。何よりも領民のことを考え、優先し、己の身を切ってでも領内を裕福にしようとしている。あぁ、四十区の領主様もなかなか素晴らしい方ですが……しかし、四十二区の領主様には敵わないでしょうね」
「それって、褒めてるのか? バカにしてるのか?」
「『バカだなぁ』という褒め言葉です。実際愚かしいことですよ。自分の身銭を切って他人の飢えを救うだなんて」
「え? あの……」
アッスントの言葉に、ジネットが表情を歪める。
少し戸惑ったような雰囲気で口を開く。
「人のために何かをするというのは、愚かなことなのでしょうか? 素晴らしいお考えだと思いますが……」
敬虔なアルヴィスタンたるジネットには、アッスントの言うことが理解できないのだろう。
でもな、お前の信じているその教会も、主食を独占して利益を得ているんだぞ。
「極端な話になるが、みんなが餓死寸前の中、パンが一つだけあったとして、領主はそのパンを誰に与えるべきだと思う?」
「それは……みなさんで均等に分ける……とか」
「そうすれば、全員の寿命がちょっとだけ延びて、その後全滅だな」
「…………」
以前、トウモロコシ農家のヤップロックにも似たようなことを言ったのだが……
「まずはリーダーが生き残るべきだ。でなければ、四十二区は滅びる。領主がいれば、少なくとも四十二区は存続する。今飢えている者を救えなくても、この後飢える者を出さないために行動を起こすことが出来る。歴史を長い目で見れば、そういう行動を取れる者こそが正しい」
目先の情に流されて全滅……なんてのはお話にならない。
「だから、四十二区の領主は、『領主としては』バカで愚かなんだよ」
「…………ですが」
「だが、『人間としては』最高だ」
「――っ!?」
おそらく、ジネットが言いたく、そして俺の口から聞きたかったのであろう言葉を言ってやる。
理屈ではなく、信条として、そう思いたい時だってあるのだ。
「自分を犠牲にしてでも領民を守ろうとする領主。それは生半可な苦労ではない。命を落とすかもしれないし、他の貴族に蹴落とされるかもしれない。それでも、領民を豊かにしたいと駆けずり回る領主を、俺はカッコいいと思う」
「は、はい! わたしも、そう思います!」
「だからアッスントは言ってるんだよ。『バカだなぁ』という『褒め言葉』だって」
「……なるほど。そういうこと、だったんですね」
しかし、そのやり方は領民を守っているようで、実際は危険にさらしているとも言える。
エステラの家が領主の座から蹴落とされ、引き摺りおろされ、新しい領主が四十二区を支配するようになったとして、そいつがいきなり「税金を十倍にする」とか言い出せば、この区の領民は一斉に破綻する。
そういう危険を孕んでいることは忘れてはいけない。
そうさせないためにも、領民の方で領主を守ってやる必要がある。
ま、俺も、出来る限りは力を貸してやるつもりだけどな。
「でも、領主様にも、ご無理はしてほしくはないですね」
「もし領主が無茶をするようなら、俺が動くさ」
四十二区が滅茶苦茶になるのは、俺の望むところではないからな。
「あいつは、俺が守ってやる」
その時――
ガンゴロガッシャンッ!
――と、食堂の方で盛大な物音がした。
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