「ウチの、弟たちです……」
ロレッタが申し訳なさそうな表情で頭を下げる。
ロレッタの周りには身長が1メートル程度の巨大なネズミ……いや、小柄な獣人族がいた。
「ほら、あんたたちも謝んなさいです!」
「…………だって」
「…………余所者が侵入してきたから」
「お姉ちゃんがお世話になってる人たちなんですよ!?」
「……………………だって」
「だってじゃないですっ!」
ふてくされているネズミたち。
声からして男の子って感じか。
ロレッタに怒られてぶーたれているのは弟たちなのだろう。
一方、妹たちは……
「お姉ちゃん、いい匂いするねー!」
「おっぱいおーきーねー!」
「やわらかぁ~い!」
「あ、ああああ、あの、変なところを触らな……ぅきゃあ!? や、やや、やめてくだささささ……っ!」
ジネットに群がってセクハラ親父さながらのスキンシップを取りまくっていた。
そしてジネットはわきゃわきゃしている。
「こらーっ! 店長さんから離れなさいです、あんたたち!」
ロレッタの怒声に、妹たちはクモの子を散らすように四散していく。
「……まったく。すみませんです。店長さん、お怪我はありませんですか?」
「は、はい……ビックリしましたけど、怪我はないですよ」
フラフラになりながらも、なんとか立ち上がったジネット。髪の毛と服がくちゃくちゃにされていた。
「お兄さ……ヤシロさん」
いちいち言い直すのはなんなんだろうな?
何かのこだわりか?
「もう……お詫びのしようもないです。クビになったあたしを拾ってくれた恩人さんですのに……」
ロレッタが泣きそうな声を漏らす。
喉を詰まらせ、クシャッと目を細める。
あとほんの少し、何か刺激を与えてしまえば涙腺が決壊してしまいそうな雰囲気だ。
「あんたたちっ、ちゃんと謝んなさいですっ!」
泣きそうな感情を怒りに変換して、ロレッタは弟と妹たちに声を飛ばす。
「……ごめん、なさい」
小さな女の子が、ジネットの前に立ち、ぺこりと頭を下げる。
女の子の頭には丸っこい耳が髪の間から顔を出していた。
「ごめんなさい」
「ごめ~ん」
「ごめんなさい」
「申し訳ないです」
「ごめんね」
次々に、少女と幼女がジネットに頭を下げる。
妹たちは割かし素直なんだな。
「ほら、あんたたちもです」
そう言って、ロレッタはネズミ顔の少年の背中を押す。
三人ほど俺の目の前へと押し出し、謝罪を促す。
「……でも、この兄ちゃん自分で落とし穴に嵌ったんだよな?」
「だよなぁ」
「ボクたち何もしてないよなぁ」
はっはっはっ……図星過ぎて言い返せない。
「それでも謝るです!」
「あぁ、いいよロレッタ」
「でも……っ」
「男が頭を下げるには、それなりの理由と、納得できるだけの『何か』が必要なんだよ」
相手を認めるだとか、自分の愚かさに気が付くだとか、価値観がガラッと変わるような何かがな。
「だから、別に謝罪はいらん」
「…………そう、ですか?」
「ただ……今素直に謝らなかったことを後悔する日が……そう遠くないうちにやって来るとは思うけどな」
「みなさん! 謝ってください! ヤシロさんが本気の目をしています!」
なんでか、ジネットが焦ってネズミっ子たちに謝罪を促す。
おいおい、ジネット。俺は『別に無理して謝らなくていい』と言っているんだぞ?
あくまで『謝らなくていい』だけで、『謝る必要がない』とは言っていないがな。
別に『やらなくてもいい』けど、『やっておいた方がいい』ことって、世の中たくさんあるよねぇ。
「ご、ごごごごご、ごめんなさい」
「許してください許してください!」
「おねえちゃ~ん! この兄ちゃん、顔が超怖ぇ~っ!」
ガキどもの何人かが泣き出しやがった。
そこまで怖い顔はしていないつもりだったのだが……ちょっとイラッてしてただけで。
「ヤシロさん。子供たちもこのように反省していますので、……どうか、穏便に」
「ジネット。お前は俺をどんな人間だと思っているんだ?」
「とても優しくて責任感のある、頼れる方だと思っていますよ」
ぉう……褒め過ぎだろ。さすがに照れるわ。
「ですが…………ヤシロさんと敵対関係になる方には、お気の毒だなと……同情的にもなります」
俺は、そんなに酷いことを誰かにしただろうか?
「たまに……」
そっと、ジネットの手が俺の頬に触れる。
「とても怖い顔をなさいますよね。わたしたちには決して向けない、別人のような顔を……」
俺を覗き込むジネットの顔は……どこか寂しそうだった。
「そして……もっと稀に……とても悲しそうな顔も…………」
「……っ!?」
言葉に詰まった。
何も言い返せなかった。
……俺、そんな顔してたのか?
「…………あんま、見んな」
そう言って顔を背けることしか出来なかった。
頬に触れていた手から逃れるように、体の向きを変える。
こいつは、いつも一歩退いた場所にいるくせによくモノを見ている。いや、退いたところにいるからこそ、よく見えるのか。
「…………じぃ~」
「…………じぃ~」
「…………じぃ~」
「…………じじぃ~」
「…………じぃ~」
「…………じぃ~」
「ぅおうっ!?」
「ぅきゃあ!?」
気が付くと、俺たちを取り囲んでいるネズミっ子たちがこちらをジッと見つめていた。
ロレッタもその中に含まれている。
「な、なんだよ?」
あまりの熱視線に、乱暴な口調で呟いてしまう。
すると、一番真ん前で俺たちを見上げていた五歳前後の幼女が穢れなきつぶらな瞳で俺たちを見つめ尋ねてくる。
「……チューするの?」
「ぶふっ!?」
「しししし、しま、しませんよっ!?」
幼い少女が言い放ったド直球クエスチョンに、思わず気管が逆流した。
ジネットが慌てて否定すると、ガキどもは不服そうに「えぇ~……」などと抜かしている。
……こいつら、マジぶっ飛ばす。
つか、ロレッタ。お前も一緒になって見てんじゃねぇよ。
お前はバカな弟どもを諌める立場だろうが。……ったく。
などと思っているとロレッタがテテテッと駆け寄ってきた。
そうそう、そうやってちゃんとフォローをしてだな……
「お兄さ……ヤシロさん。顔真っ赤っかですよ?」
「落とし穴に突き落とすぞ、コノヤロウ」
人の顔をまじまじと覗き込んできやがったロレッタに、小学生の頃に窮めたアイアンクローをお見舞いしてやる。かつて、俺のアイアンクローは学年一と恐れられたものだ。
「ぃっ、ひたたたた! 痛ひ! ひたひれずっ!」
俺の腕を掴み悶えるロレッタ。そんな柔な力じゃこのアイアンクローは外せないぜ?
そんな俺たちを、弟どもがやんややんやと囃し立てる。
やっぱりどこの世界でも、格闘技は少年の心を熱くするものなのだな。
「あの、ヤシロさん……そろそろロレッタさんを解放してあげては……?」
「ん? あぁ、そうだな。そろそろ…………痛っ!?」
ロレッタの頭を解放した瞬間、俺のケツに鈍痛が走った。
振り返ると、弟どもの中でも比較的体格のいいヤツが挑発的な笑みを浮かべ、キックボクシングのような構えを取っていやがった。
……こいつか、俺のケツを蹴ったのは?
「上等だ、ガキども!」
「全員突撃ー!」
「「「「ぅおおおおおおおっ!」」」」
キックボクシングネズミに飛びかかるや否や、他の弟どもも参戦してきやがった。
戦況は、場外乱闘の様相を呈していく。
「あ、あのっ! みなさん! 穏便に! どうか落ち着いてください!」
ジネットが声を上げるが、一度火が点いた少年心は鎮火しない。
群がってくる弟どもを、さながら横スクロールアクションゲームのようにバッタバッタと薙ぎ倒していく。いくら俺でも、こんなガキどもに後れをとったりはしない…………スタミナに不安はあるが。
ギャーギャーと戯れること十数分。
いつしか、俺の背後に大きく口を開く落とし穴に落とせば勝ちというルールが暗黙のうちに決まっており、俺は向かってくる弟どもを時には背負い投げ、時にはうっちゃりで穴へと落としていく。
数的脅威はあったが、年長組を排除した後、俺の敵になるような個体は存在しなかった。
最後に残った体長30センチ程度のぬいぐるみみたいな小童の首を摘まみ上げ、穴の上から落としたところで俺の勝利が確定した。
たとえ幼くとも、戦いに参加した瞬間情けなどかける必要はないのだ。
俺は勝利の余韻に浸りながらゆっくりとした足取りでジネットたちのもとへと歩き出した。勝利の花道だ。
帰還した俺を、ジネットが小走りで迎えてくれる。
「ヤ、ヤシロさん。あの……さっきの子が泣いちゃってるみたいですよ……?」
……男には、やらねばいけない時があるのだ。
だから、そんな不安そうな顔でそわそわするな。俺の中の罪悪感が目を覚ましちまうだろうが……とりあえず、そそそと、落とし穴からさらに距離を取ってみる。
「わたし、ちょっと様子を見てきますっ! みなさ~ん! ご無事ですかぁ~!?」
駆けていくジネットは穴を覗き込んで、落とされた弟たちに声をかけている。
…………俺、あとで謝るべきかな?
封印された魔神の如き深い眠りに就いていたはずの罪悪感が目を覚まし俺の心をそわそわさせ始めた頃、ロレッタがそっと俺に近付いてきた。
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