「夜は何かマズいのか?」
むしろ、夜こそが出店の本番なのだが。
「マズいってほどのことじゃないんだけど……」
曇った表情で、次のセリフを躊躇う。
なんだよ、気持ち悪いな。
言いたいことがあるならはっきり言えよ。
「この街って、幽霊出るじゃない? ちょっと怖いよね」
なんでそんな話するのっ!?
なんでもかんでも口にすればいいってもんじゃねぇんだぞ!?
「さて、用も済んだし、帰るぞロレッタ!」
「パウラさん、そのお話詳しくです!」
……くぅ! こういう話に首を突っ込まずにはいられないロレッタが、案の定食いついてしまった。
そうならないようにさっさと切り上げたかったのに!
「あんた、聞いたことないの? 女の幽霊の話」
「ないです。子供の頃は、夜中になると苦しそうな女の声が聞こえてきて、幽霊か何かかと思っていたのですが……それから間もなく家族が増えるので、『あ、違うんだな』と思ったことはあるですけど」
お前、なんの話してんの? こんな朝っぱらから。
あと、お前んとこの両親、少しは自重しろよ。
「ヤシロは? 聞いたことない?」
「幽霊などいない。あんなものは、寝ぼけた人が見間違えただけだ!」
『幽霊の正体見たり枯れ尾花』ってありがた~い言葉もあるしな。
幽霊なんぞこの世に存在するはずがないのだ。
「でもね、目撃者が後を絶たないのよ。この前も……」
なに、この娘? これから怪談話するつもりなの? 帰るよ? 今すぐ帰っちゃうよ?
「目撃者いるですか!? どんな感じだったです!?」
ロレッタが見事に食いついてしまった。
俺だけ先に帰るわけには…………いかないのかなぁ?
「あたしの友達が、夜中にトイレに行ったんだって……そうしたら、何か『ぼぅ……』っと光るものを見かけたらしいのよ……」
「ほうほう! 光っていたですか!?」
「禿げ頭に月光が反射してたんじゃねぇの」
「それでね……『あれ、何かなぁ?』って気になって、その後をつけていったらしいの……」
くそ……俺の茶々が完全にスルーされてしまった。
話したいモードのパウラと聞きたいモードのロレッタが揃えば、この話は止まらない。
かくなる上は…………「あーあー、聞ーこーえーなーいー!」大作戦だ!
俺は両耳に指を突っ込んで背を丸め、視線を外して蹲った。
……俺は、貝になりたい。
「それで、つけていって……どうなったです?」
「その娘の家のトイレって路地裏に面しているんだけど、その路地裏をさまようように歩くその光は、なんだか人目を避けてるように見えたんだって」
「さまよう幽霊ですね!? それで、それで? どうなったです?」
「何度か角を曲がるうち、その娘は怪しい光を見失っちゃったの……そこは、ここから四つ向こうの細い路地で、朽ち果てた民家が並ぶ、誰も住んでいない区画だったの」
「誰もいない場所で消えた幽霊ですか!? そこで無念の最期を遂げた人の怨念かもですね! 人気がなければ、事件も起こりやすいですし!」
「光を見失ったその娘は、『あれ~、おかしいなぁ~、どこ行ったのかなぁ~』…………って、辺りを探して歩いたの」
「……おぉ…………な、なんかドキドキしてきたです」
「…………でね。見つからないからもう帰ろうって振り返ったら……目の前にそいつが立ってたんだって!」
「ぎゃー! 突然の登場は心臓に悪いですっ!?」
「その娘ははっきり見たの……全身真っ黒で、影みたいな女がぼや~っと光りながらこっちをジッと見つめているのを…………とても悲しそうな目をした、やつれた女だったって……」
「ほぉぉぉぉぉう………………なんか、鳥肌立ってきたです」
「そんな目撃情報がいっぱいあるのよ。ほら、ウチ酒場じゃない? 聞きたくなくてもそういう情報は集まってきちゃうのよね」
「なるほどです。酒場ならではの困ったあるあるですね」
二人を包む雰囲気が変わる。
どうやら怪談は終わったらしい。
「それで、ソーセージにかけるケチャップとマスタードなんだが、先の細い入れ物に入れて線状にしてつけると食べやすいし、味のバランスも取れておすすめだぞ」
「なんで今ソーセージの話してんのよ?」
「はは、何言ってんだよ。俺たちはソーセージの話しかしてないじゃないか。はは、変なヤツだな、ははは」
「怪しい光に浮かび上がる黒い女の影が……」
「やめろー! マグダが寝不足になったらお前のせいだからな!」
「……お兄ちゃん、夜中のトイレにマグダっちょ連れて行く気ですね……」
室内になっても夜中のトイレは怖いもんだろうが!
お化けなんか嘘だけどな!
寝ぼけた俺の見間違いだけどな!
もし何か見たとしても、そんなもんは枯れ尾花だ!
枯れ尾花って、枯れたススキのことだよな…………なぜ陽だまり亭のトイレにススキが!? それはそれで怖いわ!
むゎぁああっ! どうしてくれるコンチキショウ!
「ヤシロって、怖がりなのね」
「バッカ! お前、バカ、違ぇよ! 全然怖がってないから!」
「どう見ても怖がってるじゃない」
「どう見ても付き合ってるのに『俺たち、そういうんじゃないから』とか抜かしてるリア充カップルだっているだろうが! だったら人前でイチャイチャすんじゃねぇよ! 気ぃ遣うだろうが!」
「……何に対して怒ってるのよ?」
何に対して?
世の不条理にだ!
「お兄ちゃん、これは由々しき事態ですよ!」
ロレッタが、なんだか嫌な感じで瞳をキラキラさせている。
えぇ~…………何その張り切り顔…………いやな予感しかしない。
「幽霊の正体を突き止めない限り、夜店に難色を示す人が大勢いるかもしれないです! だから、あたしたちで幽霊の正体を突き止めるです!」
と、100%混じりっ気無しの好奇心を顔中に滲ませて、ロレッタが鼻息を「ふんすっ!」と吐き出す。
ふざけるな。誰が幽霊騒動になど首を突っ込むか……
「そうね。あんたたちが幽霊の正体を突き止めてくれるなら、あたしたちも安心して夜店が出来るわね」
………………
「お兄ちゃん!」
「ヤシロ!」
…………いや、無理だよ?
「じゃ、よろしく頼むわね」
「よろしく頼まれたです!」
何勝手に決めてんの!?
俺は嫌だからな!? 幽霊騒動になど、絶対首を突っ込まんからな!
絶対関わらないからな!
絶対なんだからねっ!
そんなツンデレ口調が、まさかフラグになるとは……この時の俺は知る由もなかった。
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