「ヤシロさん。おはようございます」
厨房では、いつものようにジネットが包丁を握り野菜を刻んでいた。
こいつは屋台で販売する食べ物の下ごしらえだ。
「顔が濡れてますよ?」
「あぁ……これはな」
「脱ぎたてで拭こうとしたですけど、残念ながら穿いてなかったです」
「……へ?」
意味が分からず目を丸くするジネット。
うん。あのな……とりあえず、残念なのはお前の頭だよ、ロレッタ。
「タオルあるか?」
「はい。少々お待ちください」
包丁を置き、ぱたぱたと駆けていく。
甲斐甲斐しいなぁ。……みんながこうなら、物凄く過ごしやすいのに。せめて、無駄に突っ込まなくてもよくなればかなり楽なのに…………
「はい。どうぞ」
「悪いな」
「いいえ」
「そういえば、マグダは?」
「表へ出てますよ。なんでも、天気が崩れないか見張るんだそうです」
くすくすと、ジネットが笑う。
浮かれるマグダが可愛くて仕方ないのだろう。
手伝うことはいくらでもあるだろうに、好きにさせているようだ。
「いや、見張ったところで……なぁ?」
「いいじゃないですか。ずっと楽しみにされていたんですから」
俺のタオルを受け取りつつ、食堂の方向へ……いや、マグダのいる庭の方向へ視線を向ける。
どれ。朝の挨拶でもしに行くかな。
早朝に活動的なマグダなんて、一年に一度あるかないかだからな。貴重な映像を目に焼きつけておかなければ。
「ロレッタ。ポップコーンの確認をしておいてくれるか?」
「はいです! あ、お兄ちゃん。コーヒー飲むです?」
「ん~……じゃあ、頼む」
「わたしもお願いしていいですか?」
「はいです! コーヒー二つ、淹れるです!」
ロレッタはロレッタで、いつにもまして張り切っている。
こいつも遠出はあまりしないからな。
今からそんなに張り切ってると、後半もたないぞ。
なにせ、これからオールブルームの外周をぐるっと半周するんだからな。ずっと立ちっぱなしの歩きっぱなしだ。……ゾッとするな。
コーヒーが出来るまでの間に、マグダの顔を見に行く。
食堂を抜けて、ドアを開け庭に出る。
と……
「…………むふー……」
マグダが屋台の上でまん丸くなって眠っていた。
張り切り過ぎてもう電池切れを起こしているようだ。
おそらく、昨日もあまり眠れていないのだろう。
まぁ、四十区まではマグダも行ったことがあるし、それまでは寝かせてやるかな。
その後が大変になるからな。
…………問題は、材料を大量に積み込んだ屋台を、俺が曳かなきゃいけないという点だな。
一つはロレッタに任せるとして、もう一つは俺が曳くことになりそうだ。
「とりあえず、マグダを中に入れるか。さすがに風邪を引いちまう」
「……むふー」
「幸せそうな寝息立てちゃってまぁ……」
「つわものが、夢の中やー」
「ん!?」
マグダが乗っかっていた屋台の下を覗き込んでみると、そこにハム摩呂がいた。
「何やってんだ、ハム摩呂?」
「はむまろ?」
屋台の下から這い出してきたハム摩呂は、手に工具らしきものを握っていた。
「棟梁に言われて屋台の補強してたー!」
「ウーマロに?」
「今日はどーしても外せない用があるから、泣く泣くマグダたんのお供を辞退するってー」
「……いや。そもそも呼んでねぇよ、ウーマロは」
マグダと一緒に遠出したかったのだろうが……仕事しろ、お前は。当然、大工のな。
「ん? ってことは、ハム摩呂は俺たちに付き合ってくれるのか?」
「もとよりそのつもりー! 来るなと言われても付いていく所存ー!」
よし!
こいつは獣人族のパワーを持っているハムっ子だ!
ハム摩呂がいれば俺が楽できる!
「じゃあ、よろしく頼むぞ、ハム摩呂」
「うんー! 大船への、ご乗船やー! ………………はむまろ?」
どうしても覚えられないのか、その呼び名。
……つか、こいつの本名ってなんなんだろうな? ロレッタまでハム摩呂って呼んでるけども。これ、俺が勝手に付けた名前だしなぁ……
「んじゃ、ハム摩呂。屋台の整備を頼めるか。もうすぐ出発だから、それまでに」
「もう完成してるー!」
でも、ハム摩呂で通じるんだよな……こいつの中の認識はどうなってるんだか。
「マグダ。もうすぐ出発だから、それまで中で寝てろ」
「…………むふ……おんぶ」
「あのなぁ……」
「……おんぶでなければここを動かない所存」
「俺もジネットの手伝いとかあるんだよ」
マグダをおぶっていては、なんの手伝いも準備も出来ない。
そして、マグダは一度背に乗ると、目が覚めるまで絶対に降りない、子泣き爺と化すのだ。
「おにーちゃん! ここに僕がいるよー!」
「おぉっ!? 代わりにやってくれるのか?」
「うんー! 代わりに、おんぶされるー!」
「そっち代わってどうすんだよ!?」
「じゃあ、一緒におんぶされるー!」
「負荷が二倍になったわっ!」
ハム摩呂は、使える人材なのかどうかがイマイチ分からない。
悪いヤツでは、決してないのだが……
「ヤシロさん。準備が整いましたぁ」
「コーヒーもはいったですよ~……って、ハム摩呂がなんでここにいるですか?」
「天使の、護衛やー!」
「あぁ、ウーマロさんからマグダっちょの手伝いをするよう言われてきたですね」
分かり合えるもんなんだな、姉弟って。
いや、ウーマロの病気が知れ渡ってるってことか?
まぁ、どちらにしても残念な知識だな。
「じゃあ、コーヒーを飲んだら出発するか」
「そうですね。何か、軽くお腹に入れておくといいと思いますよ」
「あたしも何か食べたいです!」
「朝一からの、御馳走やー!」
「…………むにゅ。マグダはケーキでいい」
いや、軽い飯を食えってことだよ。
「そうだな。おにぎりでも作るか。ご飯炊いてあるんだろ?」
「はい。今朝の寄付用に」
「この後、屋台のものは食えるが、米は食えないからな。今のうちに食っておこう」
「そうですね。お好み焼きかポップコーンになるでしょうね、この後は」
「じゃあ、あたしも手伝うです! 店長さんがいない間、あたしはおにぎりを握るマシーンになっていたです!」
あぁ……なってたよなぁ、俺と二人で。寄付用に五十人前のおにぎり、作ったよなぁ。
「基本、鮭ばっかりでしたけども!」
「デリアさんも、手伝ってくださってたんですね」
まぁ、店の手伝いに来る時に持ってきてくれてたからな。
だが、そうだな……今日は変わり種にしてみるか。
「厨房を使うぞ」
「はい。お手伝いします」
「あぁ! お兄ちゃんと店長さんはコーヒー飲んでてです! あたしがやるですから」
「馬車馬のように働く姉やー!」
「……マグダは、チーズケーキでいい」
「おにぎりですよ、マグダっちょ!? あと、ハム摩呂は手伝うです!」
「はわゎ……強制労働や~……」
折角ロレッタがやる気になっているんだから、やってもらうか。
「んじゃ、俺が具を作るから、握ってくれ」
「はいです!」
熱々のコーヒーを一口飲んでから厨房に入り、バラ肉を細かく刻んで甘辛く炒める。
そぼろもどきだ。
この甘辛いソースの香りが食欲をそそる。
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