「息抜きといえば」
ぽんと手を叩き、ジネットが朗らかな笑みを浮かべる。
こいつのこの顔、一体どれだけの人間が知っているんだろうな。
この笑顔を大衆に向けて発信すれば、こいつのファンがドッと増えるだろう。マグダやロレッタでは太刀打ちできないかもしれない。
性分として、こいつは人前に出るのが得意ではないようだが……人見知りはしないが、でしゃばりもしない。三歩下がって、というスタンスなのだ。
そんなジネットが、たま~に、すごく話を聞いてほしそうな顔をする時がある。
ちょうど、今俺に向けているような、こんな顔だ。
俺は、割とこの顔が好きだった。
それじゃあ、拝聴しましょうかねぇ。
「キャンドルって素敵ですね」
「…………俺の蝋像のことか?」
「いえ。あれも可愛らしくて素敵ですけれど、今は違うものの話です」
はっきり言っとくぞ、あの蝋像は一切可愛くないから。
こいつの感性は、どこかおかしい。
「表のキャンドルです」
「表のキャンドル?」
「視察団のみなさんとご一緒だった時に、庭先に設置して陽だまり亭を明るく照らしていたものですよ」
「あぁ、アレな。あの時はスゲェ助かったぜ。暗い道の中で、目的地がはっきり分かると、それだけで人は安心するものだからな」
「マグダさんの発案ですけどね」
フフッと笑って、舌先をチロリと覗かせる。
こういう時、こいつは本当に楽しそうに笑う。
「キャンドルの炎をジッと見ていると、なんだか心が落ち着く気がします」
「炎のように不規則にゆらゆら動くものを見ると、人間は落ち着くもんなんだよ」
「では、今ここで少し灯してみましょうか?」
「ん?」
「ヤシロさん、少しお疲れのようですから」
言い残して、ジネットは立ち上がり、カウンターへと向かう。
そこから小さなキャンドルを持ってくる。ベッコが置いていったものだろうか? 手のひらに収まる程度の大きさで、ハチミツのような色をしている。
「火を点けると、とてもいい香りがするんですよ」
嬉しそうに言って、キャンドルに火を点ける。
テーブルの上でキャンドルの灯が揺れる。
薄暗くなり始めた店内に、淡く柔らかい光が広がっていく。
キャンドルを挟んで向かい合うように座る俺とジネット。俺たちの影がキャンドルの炎に照らされて壁や床でゆらゆらと揺れている。
「綺麗ですね」
俺に向けられた微笑みには、激励の思いがたっぷりと詰まっていた。
元気を出せと。小さなことでは悩むなと。言葉ではない、もっと強い感情で訴えかけてくる。
……こいつは。
こっちが気を遣う暇も与えないほど、気ばかり遣いやがって……
なんだか、意地でもこいつをどこかに連れ出してやりたくなってきた。
旅行でもなんでもいい。一度仕事から離れて、何も考えずに遊べるような場所へ…………
「ヤシロさんは……」
静かに揺れるキャンドルの炎を見ながら、ジネットが囁くように言う。
「陽だまり亭を繁盛させるために、頑張ってくださっているんですよね」
「まぁ…………約束、したからな」
「覚えていてくださったんですか?」
「当然だろう……俺が言い出したことだ」
「……そうですね。でも、嬉しいです」
ジネットがくすりと笑い、そのせいかは分からんが、炎が小さく揺れた。
「ヤシロさんのおかげで、陽だまり亭は以前よりずっとずっと、お客さんが来てくださるようになりましたよ」
「祖父さんがいた時と比べると、どうだ?」
「……それは…………」
「じゃあ、まだまだだな。陽だまり亭はまだまだ繁盛できる」
俺はまだ、こいつの本当の、腹の底から溢れ出してくるような笑顔を見ていない気がする。
たぶんそれは、この店が、祖父さんがいた頃の陽だまり亭に戻り、それを越えた時に見ることが出来るのだろう。――と、俺は勝手に思ってる。
「不思議ですね……」
「ん?」
「ヤシロさんがそう言うと……」
…………あ。
「本当にそうなりそうな気がします」
…………揺らめく炎は赤い。
だから、たぶん大丈夫だ。
悔しいくらいに、ジネットの微笑みが可愛く見えて……
柄にもなく頬を染めてしまったことは、気付かれていないだろう。
くっそ……中学生じゃあるまいし。目が合ってときめくとか…………なんの冗談だよ。
きっとアレだな。
このキャンドルのせいだ。
キャンドルの炎とか、このちょっと香るハチミツの香りとか、くっきりとした揺らめく影とか……そういう、普段と違う雰囲気が変に心を騒がせるのだ。
アレと一緒だ。
中学生の時に祭りとか行って、クラスの女子の浴衣姿を見た時みたいな感じだ。しかも、それが夜で、裸電球の赤々とした光に照らされていたりしたら尚のことトキメキが………………
………………祭り? 普段と違う雰囲気………………か。
「……ふむ」
「……? どうかしましたか、ヤシロさん」
「やってみる価値はあるかもしれんな……」
あとは、どれだけ協力者を募れるか……だな。
「ジネット、協力してほしいことがある」
「はい。なんでも言ってください」
だからさぁ、『精霊の審判』があるこの街で、そういう軽はずみな発言はするなと何回…………まぁ、いいか。俺の前でしか言わないみたいだし。
「お祭りをやるぞ」
「……おまつり?」
理由づけはなんでもいいんだよな。
とりあえず、精霊神へ感謝を捧げる……とかでいいか。
現在の街道予定地を使って祭りを行うのだ。
出店を並べ、蝋燭や松明を使って夜の闇を煌々と照らし、オリエンタルな雰囲気の中、精霊神への祈りを捧げるというイベントだ。
精霊教会の信者たちはその光景に感動し、夜の闇と炎の赤が混ざり合う美しい光景にカップルはロマンチックなムードを味わい、ガキどもはバカ丸出しではしゃぎ、俺たち商人は夜店でがっぽり儲けさせてもらう。
そして、そんな祭りが行われた道には意味づけがされて、住民たちの『特別な道』へと変わる。
俺だって、祭りが行われる通りは、他のところよりちょっとお気に入りだったしな。「あぁ、ここでお祭りやってんだなぁ」とか思って。
あわよくば住民を味方につけてやる。「街道はここ以外あり得ない」という風潮を作れればしめたものだ。
それに、炎を煌々と焚いて、その印象を植えつけてやれば、イメルダも「暗い」だのなんだのといちゃもんはつけてこなくなるだろう。
そうとなれば、街中の住民を巻き込んでやる。
四十二区総出で盛り上げてやるぜ!
「くす……」
不意に、ジネットが笑いを漏らす。
「どうした?」
「いえ……ヤシロさんがまた、アノ顔をされていたもので」
ジネットの言う『アノ』顔というのは、以前教会で湯を沸かしてもらった時に聞いたヤツだろう。
ジネット曰く、その顔というのは「『ここは任せろ』って、そう言われている気になる、そんな表情」なのだそうだ。……俺にはそんな自覚はないのだがな。
「ヤシロさんがその顔をされたということは、もう何も心配はいりませんね」
「そんな思い込みと決めつけはするんじゃない。うまくいかないことだってある。いや、むしろその可能性の方が高い。……今まではたまたまなんとかなっていただけだ」
「そうなんですか?」
くりっとした目で俺を見て、再びその目を細める。
「では、わたしは、うまくいくかどうかを楽しみにしておきますね」
……はぁ。
まったく…………
その顔は、絶対うまくいくと確信している顔じゃねぇか。
そして、お前がそんな顔をする時は……
なんだかんだで、俺が走り回ることになる。あ~ぁ、億劫だ、憂鬱だ。
と、同時に――あの顔を見ると、なんだか頑張れそうな、そんな気がしてくるんだから、不思議なもんだ。
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