「綺麗な色ですね。なんというお花なんですか?」
「ぁ、ラベンダーだよ。いい香りなのぉ」
「本当ですねぇ」
ジネットとミリィ。微笑みを交わす二人の声が、乱れた空気を柔らかいものにしてくれる。
ぽんと、エステラに背中を叩かれた。
ちらりと窺い見たその表情は「ま、そんなこともあるさ」と、慰めてくれているようだった。
「ミリィさん。四十区へ行かれるのでしたら、是非エステラ様の馬車をご利用ください」
「ぇ……でも……」
ナタリアの誘いに、ミリィは躊躇うような表情を浮かべる。
そこへウェンディが歩み寄り、いつも被っているツバの大きな帽子をひょいと持ち上げる。すると、そこから二本の触角が顔を覗かせた。
「私たちと同じ馬車に乗りましょう。ね?」
「……うぇんでぃさん」
慈しむようなウェンディの笑みに、ミリィが少し嬉しそうな、けれど躊躇うような、複雑な表情を見せる。
頭の触角がぴくんと揺れる。
ふむ……
「何かを思いついたんなら、挽回のチャンスなんじゃないのかい?」
俺の顔の筋肉の、ほんのわずかな動きを察知して、エステラが小声で言う。
……うっせ。あんま見んな。拝観料取るぞ。
あ、それいいな。
「よし。エステラ、お小遣い頂戴」
「いくら払う?」
「……ケチ」
「君に言われると心外を通り越して、なぜか笑えてくるよ」
純粋な心で手を差し出した俺を、ドケチなエステラはせせら笑う。むぅ……嫌なヤツだ。お小遣いをもらうためには金を出せとか……まったくもって理解不能だ。
お前が身銭を切らないせいで、俺が身銭を切ることになったじゃないか……まったく。
「ミリィ。その花、少し売ってもらうことは可能か?」
「ぅん、いいよ」
細く長い茎の先端に、小さな花がたくさんついている。遠目で見ればネコじゃらしのような形をしたその花は、とても馴染みの深い香りを放っていた。
……あぁ、トイレを思い出すな。置くだけで水を青くするやつの香りだ。
で、そんなラベンダーを二本、俺は購入する。
茎の下の方を持つと、先端の花の重みで自然とたわみ、茎が緩いカーブを描く。
この茎の付け根にちょちょいと細工を施して……
「ジネット」
「はい?」
「プレゼントだ」
そう言って、俺はジネットの頭頂部に二本のラベンダーを差し、髪留めで固定した。
「ぁ……」
「わぁ……」
ミリィが驚きの声を上げ、ジネットがなんだか嬉しそうな表情を浮かべる。
ジネットの頭に、まるで触角のように二本のラベンダーがぴよんと生えている――ように見える。
「お揃いですね、ミリィさん。ウェンディさん」
「………………ぅん」
「うふふ、そうですね」
触角を生やした女子が三人、顔を見合わせて微笑み合う。
「ミリィさん。もしよければ、四十区までおしゃべりをしながらご一緒しませんか?」
そっと手を差し伸べ、ジネットがミリィに微笑みを向ける。
ほんの少しだけ考えるような素振りを見せた後、少し照れたようにミリィはこくりと頷いた。
「ぅん…………えすてらさん。ぉじゃましても、いい?」
「あぁ。もちろんさ。一緒の馬車に乗れないのが残念なくらいだよ」
持ち主であるエステラに伺いを立て、そしてジネットとウェンディ、そしてセロンに向かってぺこりと頭を下げる。
「じゃあ……よろしく、ね」
まるで花が咲いたような華やかさが広がっていく。
……正直、ほっとした。
「それじゃあ、そろそろ行こうか」
エステラが手を打って場を取り仕切る。
俺たちも、さほどのんびり出来るわけではないのだ。早くハビエルに馬車を借りて三十五区を目指さなくては。なにせ、四十二区の対角線上にある最も遠い地区だからな。
「ではヤシロさん、また後で」
「てんとうむしさん。またね~」
手を繋いで、ジネットとミリィが馬車へと乗り込んでいく。
仲のいい姉妹のように、顔を見合わせくすくすと笑いを零す。
そんな二人の様子を見ていると、不意にウェンディが俺の前へと立ち静かに頭を下げた。
顔を上げたウェンディは柔らかい笑みを浮かべていた。
やめてくれ。そういうんじゃねぇよ。
なんだか気恥ずかしくて、俺はウェンディから視線を外し、そばにいたセロンの顔へと逃げ場を求めた。
のんきなイケメンが「何か?」みたいなとぼけた顔で小首を傾げる。
「頑張れ。仲間外れ」
「はっ!? 僕だけ触角がありませんねっ!? なんだかすごく寂しい気分になってきました!? どうしましょう英雄様!?」
おろおろするセロンを残して俺は移動し、自分の乗る馬車へと乗り込む。
最後にナタリアが乗り込んでドアが閉まると、胸に重くのしかかっていたもやもやを吐き出すように盛大なため息が漏れ出ていった。
「まぁ、仕方ありませんわね」
隣の席でイメルダが涼しい顔で言う。
視線が合うと、ほんの少し怒られている気分がした。「気にし過ぎですわ」とでも、言われてる気分だった。
「……結構、根深い問題なんだな」
「ボクたちが『気にしない』なんて言える立場じゃないからね」
差別ってヤツは目に見えないくせに、しっかりとツメ跡を残していきやがる。
ロレッタが『差別はした方がいつまでも気にしている』と言っていたが、……それだけってわけでもないよな、実際は。
もっと気を付けるべきだった。
気付くことは出来たはずなんだ。
四十二区の外でも、何度もミリィに会っている。一緒に四十区まで行ったことだってある。
その時、ミリィが馬車を使ったことがないってことも知っていた。
ミリィがもともと懇意にしていたメンツを見ても分かりそうなものだ。
「ミリィが心を許しているのって、ジネットとかベルティーナみたいな聖女級の優しさを持つヤツか、レジーナみたいな人間の枠からはみ出た変態くらいなんだよな……」
「サラッと毒を吐くよね……まぁ、ターゲットがレジーナだからいいけどさ」
己自身もサラッと毒を吐きつつ、エステラが苦笑を漏らす。
「あとは、俺……頼れるお兄ちゃん枠のナイスガイくらいだもんな……」
「割と余裕がありそうじゃないか、ヤシロ。心配して損したよ」
だくだくと、壊れた加湿器のように毒素を吐き出すエステラ。
まったく……人が真面目な話をしている時に……
「そして、人間離れした抉れちゃんくらいだもんな……」
「ナタリア。そこの減らず口をドアから突き落としておいてくれるかい?」
そんなつもりはなくとも、なんとなく意識してしまう。
そんな厄介なものを、他人がどうこう出来るわけもなく……
ただ、漠然と……
なんとかなんねぇのかなぁ……なんてことが、胸の奥で燻っていた。
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