「ヤシロ……何か手はないのかい?」
エステラの声に余裕は感じられなかった。
切迫した瞳が俺を見つめている。
すがるような視線だ。
そういう目を向けられるのは好きではない。
どれほど期待を寄せられても、俺は出来る事しか出来ないのだ。ヒーローでも救世主でもなんでもない。俺はただの詐欺師。ほんのちょっと口がうまく人を欺くことに長けているだけの、ごく普通の人間なのだ。
勝手に最後の希望にされでもしたら敵わない。
一縷の望みを、何も出来ずに消し去ってしまうことだってあり得るのだから。
……だが、言い換えれば、こういうことでもあるよな。
俺は、出来る事なら出来る。
「陽だまり亭にあるろ過装置を大至急量産するぞ」
それで貸しが作れるのなら、きっとゆくゆく俺の利益になってくれるだろう。
俺の知識が必要なら、いいぜ、いくらでも披露してやる。
「構造はいたって簡単なんだ。使っている材料もどこでも手に入る、金のかからないものだ。作るのにちょっとしたコツと知識が必要だが……そこら辺は俺が知っている」
「そうですね……あのろ過装置を通したお水はとても綺麗になっていました」
「……アレがあれば、お水は安心?」
「いや、それだけじゃダメだ。ろ過では細菌は殺せない。汚水が流れ込んでいる可能性があるから除菌は徹底的にする必要がある」
「煮沸、ですね」
「あぁ。大抵の細菌は熱湯で死滅する。もしレジーナが炭酸なんかを持っていたら、それも効果的だ。細菌は酸に弱いからな」
「ヤ、ヤシロ、ちょっと待って!」
ろ過装置の中身を知っている陽だまり亭一同が話を進める中、エステラがそれに待ったをかけた。
「そのろ過装置……その技術を教えてくれる……ってことかい?」
「そう言ってるだろう」
「いや……でも…………」
エステラはこう言いたいのかもしれない。
「そんなすごい技術を、無償で公開していいのかい?」と。
まぁ、金になるならそれに越したことはないが……
「緊急事態だ。金より重いものがあることくらい、俺だって知っている」
「……ヤシロさん」
ジネットが俺の袖にそっと触れる。
義理の祖父を亡くしているジネットは味わったはずだ、大切な人が二度と手の届かない場所へ行ってしまう悲しみと恐怖、そしてその後の孤独感を。
あんなもん……そう何度も味わいたいもんじゃないよな。
「エステラ、この技術はお前に預ける。権利をやるから俺が領主の力を最大限行使できるよう便宜を図ってくれ」
「それは、さすがに…………いや、緊急事態だったね。いいだろう。ボクの責任で君の要求を押し通してみせるよ」
一応、ジネットやマグダ、ベルティーナたちはエステラの身の上を知らない……かもしれない。明言は避け、あくまでパイプ役として話を進める。
俺が秘密にしてやる義理はないのだが、本人が話してないことを他人がペラペラしゃべっていいものでもない。必要があれば、自分の口から言うだろう。
「まず、今すぐに使える人材を総出で住民の家々を回り、水への警戒を呼びかけてくれ。その際、病人の有無の確認、そして、水の安全を確保するための講習会を開く旨を伝えてくれ。その講習会までにろ過装置がいくつか作れればいいのだが、時間的に難しいから……取り急ぎ各通りに一つずつ配置できる手配を頼む。あ、それと、ろ過装置は素人が転用して粗悪品が出回っちゃ困るから、お前のところで一括生産を行ってくれ。その際は俺も協力するから」
「……ヤシロ。君は…………」
矢継ぎ早に話す俺の言葉をぽかんとした表情で聞いていたエステラは、少しだけ口角を上げて薄い笑みを浮かべる。
「……少し、変わったね」
なに言ってんだ、こいつは?
そんなわけがない。
俺はいつまでも俺のままだ。
「さぁ~て。尊い人命を救う歴史的技術の提供だ。見返りに何がもらえるのか今から楽しみだなぁ~っと」
「ふふっ……」
くすくすとエステラが笑みを零す。
こんな状況で笑うとか、心がカッサカサに乾いちゃってんじゃないのかね?
お前が政治家だったら、それだけで野党に叩かれちゃう事案だぞ。選挙に出る時は気を付けろ。
「何か見返りが欲しいなら、領主様にでもお願いするんだね。きっとすごいものをくれるだろうから」
「あぁ、そうするよ」
こうやって軽口を叩いてる方が似合ってるって言いたいんだろ?
分かってるよ。
だいたい、アレだ。
この教会で昨晩起きたような事件が多発してみろ。経済がマヒするぞ?
どこもかしこもお通夜状態だ。なにせ、あのベルティーナが食事をとることを忘れるほど憔悴していたのだからな。
そんな陰鬱な空気が街全体に広まってみろ。
ポップコーンを食ってる場合じゃなくなる。そうなりゃ、移動販売のリベンジとか言っていられなくなる。
このままじゃ金蔓が台無しだ!
だからやるのだ。
俺は、俺のために。
ただ、ついでだから「キャー、ヤシロさんっていい人、素敵! 巨乳で挟んであげたい!」と思われるような役得が転がっているなら回収しておいて損はないだろう。
善人のフリは、得意だからな。
「さぁ、みんな今すぐ行動だ! 街の人々のために! 明日の笑顔のために!」
「いや、そこまでやるとさすがに嘘くさいよ」
「……新興宗教」
おい、マグダ。
滅多なこと言うんじゃねぇよ。
誰がそんなもんを…………いや、金になるかもしれないな。
「ヤシロ。目が金貨みたいになってるよ」
「マジでか? 取り出したら豪遊できそうだな」
「……イヤミだよ」
「知ってるよ」
こっちでは、守銭奴を指して「目が金貨になってる」ってイヤミを言うのか。
俺からすれば褒め言葉に聞こえるけどな。
「ごめんくださいませ!」
降りしきる雨の音に混じって、聞き覚えのある声が教会の入り口から聞こえてきた。
この声は……
「は~い、ただいま………………ぽりぽりぽりぽり」
「いや、食ってないで出て来いよ!」
「わたしが行ってきます。シスターはお疲れでしょうから」
「すみません、ジネット。よろしくお願いします…………ぽりぽりぽりぽり」
ダメだ。
どうやら、このシスターに食い物を与えると動かなくなるらしい。
今後は要注意だな。
「お邪魔いたします」
「ナタリアっ!?」
来客の顔を見てエステラが腰を浮かせた。
そりゃ驚くだろう。
なにせ、昨晩高熱を出してぶっ倒れたヤツが、この大雨の中、館から遠く離れた教会にまでやって来たのだ。
「寝てないとダメじゃないか」
「しかし……お嬢様が、男と一夜を共に過ごしたなどと聞いては、居ても立ってもいられず……」
「誤解を招く表現はやめてくれるかな!? 同じ建物の中にいただけだよ!」
「いいえ、お嬢様。この男は、風邪で弱った私に『口を開けて舌を出せ』とか、頬に触れながら、こんな至近距離で言ってくる男なのですよ!?」
「誤解を招く表現はやめてくれるかな!? お前の風邪を診察しただけだろうが!」
なに、この歩く人間爆撃機……大雨の中不法投棄しに行きたい。
「本当に、無茶ばかりして……」
エステラがナタリアに歩み寄り、体を労わるように声をかける。
その間に、ジネットがナタリアの濡れたマントを受け取り、マントを掛けに行く。
そして、マグダがテーブルの下に隠れた。……なんだろう。野生の勘的なものが警鐘を鳴らすのかね、ナタリアに対しては。
そんなナタリアは、姿勢こそシャキッとしているが、まだ頬が少し赤く感じられた。
「お前、まだ熱があるんじゃないか? 無理しないで座ってろ」
「お気遣いなく」
「お前が立ってると、俺が気になるんだよ。いいから座れ」
「……あなたに優しくされると、不意に甘えたくなるのです。少し控えてください」
お……おぉう?
それはクレームか?
なんか、単にデレられただけのような気がするのだが……
「分かりました。座りましょう。ただし、私を病人扱いするのはやめてください」
「分かったよ」
「ただし、熱があるかどうか額に触れて確認してください。アレは割といいものです」
「甘えたい欲求が強く出ちゃってるぞ、お前」
主の世話を完璧にこなすスーパーメイド長ナタリアが、昨日の診察で甘えることを覚えた。
で、ちょっと味を占めているというのか。
……開けてはいけない箱を開けちゃってないだろうな、俺。
「ヤシロさん…………ぽりぽりぽりぽり……彼女はたしか…………ぽりぽりぽりぽり……四十二区の…………ぽりぽりぽりぽり」
「食うかしゃべるかどっちかにしてもらえませんかねぇ!?」
「………………ぽりぽりぽりぽりぽりぽりぽりぽりぽりぽりぽりぽりぽりぽり」
「『食べる』選んじゃったよ、このシスター!?」
おそらく、ベルティーナはナタリアを知っているのだ。
それを確認したかったのだろうが……残念。食い意地が勝ったようだ。
もう、大人しくポップコーンを齧ってろ。
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