「四十二区に街門を作ればいいんだよ」
「…………はい?」
入門税と輸送費を節約するにはどうすればいいか。ここに街門を作ってしまえば一発解決だ。
入門税は領主の権限で決められるし、四十二区の門を使えば輸送費もいらない。
これで一気に解決じゃねぇか。
「無理だよ」
返事は割と早く、それでいてきっぱりと返ってきた。
「街門を作るのにいくらかかると思ってるんだい? それに、門を作ればそれで終わりじゃないんだよ? 維持費もあるし、警備に人員も割かなきゃいけない。万が一にも、街に魔獣が侵入でもすれば、どれほどの賠償を払わされることか……四十二区は消滅しちゃうよ!?」
「そこはほら、お前……頑張ってお金を稼いで……」
「どうやって稼ぐのさ!?」
バンッ! と、テーブルを強く叩き、エステラが身を乗り出してくる。
上半身をググッと俺に近付け、怒り顔で急接近してくる。
後方に体を逃がすも、ソファの背もたれに阻まれてこれ以上後ろには下がれない。
上半身を可能な限り反らすも、それも限界で…………間もなく唇が触れそうなほど距離が縮まる。
「こほん」
わざとらしい咳払いが耳に入ると、エステラがハッとした表情を見せる。
少しだけ冷静さを取り戻し、現在の状況を顧みて、一瞬で顔面を沸騰させる。
「ふゎあああっ! ご、ごごご、ごめんっ!」
真っ赤な伊勢海老が真っ青になるような速度で、エステラが後方バックジャンプを決めソファに深く深く身を沈める。
膝を抱えそのままコロンと横倒しになり、俺の視線から逃れるように体を背もたれの方向へと回転させる。
「…………ちょっと、取り乱しちゃって…………今の、忘れて……お願い…………」
忘れてと言われても…………
入り口付近に視線を向けると、危機一髪の状況を打破してくれたナタリアが涼しい顔をして立っていた。
なんにせよ、グッジョブだったぞ、ナタリア!
そういう思いを込めて親指を立ててナタリアに突き出すと、…………懐から取り出したナイフを向けられた。鋭い刃が不気味にきらりと輝く。
……なぁ、俺、悪くないだろ?
「とにかくお金がないから街門は無理だよ」
ソファに丸まり、顔を埋めたままでエステラがくぐもった声を向けてくる。
ちゃんとこっち向けや。
話し合いの状況じゃねぇぞ、これ。
「何か他の手を考えて」
わ~ぉ、丸投げだ。
「街門を作って木材に対する税金を限りなく安く設定する。そいつをエサに木こりギルドから木こりを派遣してもらう」
「だからぁ、それは……」
顔を上げたエステラに、はっきりと言ってやる。
「それ以外に、四十二区で下水を維持する方法はない」
「………………」
寝起きのネコのような格好ながらも、エステラは真剣な表情を見せる。
………………スフィンクスか、お前は。
「…………じゃあ、もう無理だぁ……」
エステラが溶けた。
ふにゃ~とソファの上でだらしなく脱力していく。
お前は自分が領主の代理であることと、うら若き乙女であることを失念していないか?
「要は、金があればいいんだろ?」
「あればいいけどね……ないんだよ、もう……どこにも」
「ないなら作るまでだ」
「まさか……領民に重税をかけて巻き上げろとか言わないよね?」
「それが出来りゃ手っ取り早いんだけどなぁ」
「却下」
だと思った。
が、まさか即決とはな。……いい領主様だこと。
「幸いにして、俺は素晴らしく有益な情報を手に入れたところだ。こいつは金になる。俺の嗅覚がそう言っている」
「……情報?」
上体を起こし、エステラが真剣な眼差しを向けてくる。
おいおい、お前が言ったことだぞ?
「四十区には木こりギルドがあり、領主に対してかなりの発言力を持っているそうじゃないか」
「別に圧力をかけるような関係性ではないよ。四十区の領主は話の分かる人だけど、決して弱腰ではないんだ。物分かりはすごくいいけど。そうすることが有益だと思えば、結構なチャレンジも臆することなくやってしまうような人だよ」
「知り合いなのか?」
「父の友人なんだ」
「おっぱい友達か……」
「『乳』じゃなくて『父』だよ!」
ふむ、それは好都合だ。
知り合いなら話を通しやすくなるだろう。
「その領主は、物分かりがよくて先見の明があるわけだな?」
「そうなんだろうね。木こりギルドがあそこまで成長できたのは四十区の領主とタッグを組んでいたからだよ。トルベック工務店も、かなり好きに活動しているだろう?」
そうか。トルベック工務店は四十区に拠点を構えているってウーマロが言ってたっけな。
確かに、随分と自由に仕事をしている印象がある。そのおかげでトルベック工務店の名があちらこちらに轟いているわけだ。
「ならばもう、勝ったも同然だ」
「何をする気なのさ?」
「木こりギルドが最も大切にしているものはなんだと思う?」
「え………………自然環境、かな?」
「いや、娘だろう、たぶん」
構成員の多くが熱を上げているあたり、本当に美しい娘なのだろう。
父親なら、そんな一人娘を大切にしないわけがない。
「その娘を取り込む」
「どうやって…………まさか、君も花婿候補に!?」
「誰が立候補するか、そんなもん!」
「……よかった」
そんなことをする必要はない。
ほら、思い出してみろよ、エステラ。その一人娘のお嬢様に関して、お前が自分で言っていた言葉を。
「そのお嬢様は、『美しい』ものが好きなんだよな?」
「そう聞いているけど」
「なら、四十区を『美しく』してやろうぜ」
「四十区を『美しく』………………あっ、そういうことか!」
エステラは気が付いたようで、表情に明るさが戻ってきた。
「下水を売り込むのに、もってこいだと思わないか?」
「……確かに。下水があれば街は綺麗になるし、何よりも悪臭がなくなる」
「おまけに、木こりギルドや領主ほどの金持ちの家にだったら、アレが作れるぜ?」
「……………………あっ、水洗トイレっ!」
この街の中で、今、最も美しいもの。それは、陽だまり亭に設置された水洗トイレに他ならない。
きっと、どこの区でも、どんな金持ちでも、トイレをする時に侘しい気持ちになっているはずなのだ。あんな……穴に板を被せているだけの物を使っているのならな。
「確かに……ウチにも欲しいもんなぁ、水洗トイレ。室内に設置できるなんて夢のようだよ……」
「おまけに、従来の便所よりも格段に清潔だ」
「……これは………………ひょっとしたら……」
「莫大な利益を生むかもしれねぇぜ?」
エステラの表情に活力が戻ってくる。
口角がぴくぴくしている。
それはそうだろう。下水工事の権利はすべて領主にあるのだ。受注できれば大儲けだ。
そして、他区に下水が広がっていけば、需要はどんどん増していくだろう。
「……木こりギルドが気に入ってくれれば、力強い後押しになるね」
「まぁ、そこは交渉材料の一つ程度に留めておいて、まずは領主に話を聞いてもらうところからだな。先見の明があるなら、下水の有用性に気が付くはずだ」
「ナタリア! すぐ父上に紹介状を書いてもらって! 四十区の領主に重要な商談を持ちかけたいって!」
「はい。かしこまりました」
ナタリアが部屋を出て行き、エステラがソファの上に立ち上がる。……行儀悪いぞ。
「よし! 四十区に殴り込みだ!」
戦争するんじゃないんだぞ。
「ヤシロも来てくれるよね!?」
期待を込めた瞳を向けられる。
まぁ、細かい説明は俺がいた方がいいだろう。
「もちろんだ。俺が絶対受注をもぎ取ってやる」
そして、四十二区に街門を作るのだ。
絶対に、失敗は許されない。
なぜなら……
この街門は、俺にとって、とても重要なものになるのだから。
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