しばらくすると、応接室のドアがゆっくりと開いた。
「んだよ、マグダ。接客中だぞ」
狩猟ギルドの代表者があからさまに嫌そうな顔をする。
開いたドアへ視線を向けると、そこからのそり……と、小さな少女が顔を出した。
「……帰還、した」
オレンジ色のぼさぼさの髪は伸び放題で、小柄な少女の身長と同じくらいに長い。
身長は140センチあるかないか、体つきにもまだ幼さが残っている。
尻からは、細長い尻尾が伸びている。オレンジと黒の縞模様……トラ人族……だろうか? よく見れば、ぼさぼさの髪の中にちょこんとネコ耳がついている。
目は大きいのだが、どこか虚ろで、瞳は深く沈んだ色をしていた。
パーツや造形は非常に可愛らしく、美少女と呼ぶのに異論は無い。の、だが……どうにも表情が乏しい。というか、こいつには感情があるのかと疑いたくなるレベルで、喜怒哀楽のどれ一つとして感じられない。
そこにいるのに、どこにもいないような。そんな希薄な存在感しか持たない少女は、見ているととても不安な気持ちになってくる。
「で、成果は?」
突き放すような物言いで、狩猟ギルドの代表者が言う。
その言葉を、何も感じないかのように聞き、そして淡々と答える。
「……ない」
「ちっ!」
狩猟ギルドの代表者は盛大に舌を打ち鳴らし、テーブルに置かれていた湯呑みを蹴り飛ばした。
「消えろ、無能! 目障りだ!」
「……了解した」
それだけ言うと、マグダという少女は入ってきた時から一切変化を見せない虚ろな表情のまま部屋を出て行こうとする。
「あ、あの! 待ってください!」
それを呼び止めたのは、ジネットだった。
……また、こういう厄介そうなことに首を突っ込む…………
「マグダさん……でしたよね?」
呼び止められたマグダは、虚ろな目でジネットを見つめ、そしてこくりと頷いた。
「傷の手当てをさせてください。特に、お顔の傷は早く処置しないと……女の子ですものね」
「…………」
マグダは答えず、ジッとジネットを見つめていた。
そして、そっと、頬に付いた傷に触れる。
「……いいの?」
「はい、もちろん」
ジネットが救急箱を掲げて見せると、マグダはゆっくりとジネットの方へと歩いていく。
「おいおい! それはウチの薬だぞ!? 無駄遣いしてんじゃねぇよ!」
しかし、すんでのところで狩猟ギルドの代表者が口を挟む。
ジネットが肩をすくめ、マグダが虚ろな目で、その声を聞いていた。
「では買い取らせてくれないかな、この薬箱?」
絶妙のタイミングでエステラが割って入ってくる。
そして、テーブルの上に金貨を三枚出した。
「これで足りるかな?」
涼しい顔で言い放つエステラ。
金貨を目にしたのは初めてだが、あのクオリティからすると、少なくとも銀貨の10倍の価値はあると見ていいだろう。
となると、銀貨一枚が100Rb、つまり千円だから……少なく見積もっても金貨三枚で……三万ってとこか?
この世界の救急箱の価値は分からんが、いささか出し過ぎなんじゃないか?
「……まぁ、いいだろう」
狩猟ギルドの代表者の浮かべたあの笑み……やはり、価値以上の金額と見た。
「しめしめ、儲け儲け」と顔に書いてある。
それにしても……
エステラのヤツ、よくそんな金持ってたな……しかも払っちゃうし。
俺の視線に気が付いたのか、エステラはちょいちょいと指を差す。
その先では、ジネットがマグダの傷の手当てをしていた。
ジネットは慈しむような表情で。
そして、マグダは…………ジッとジネットを見つめていた。その表情は、虚ろながらもどこか嬉しそうで……
「なんか、無性に抱きしめたくなるな……」
「ダメですよ、ヤシロさん!?」
ジネットがマグダを、まるで俺から隠すかのように抱きしめる。
いや、そうじゃないぞ、ジネットよ。そんなちんちくりんな幼女に邪な感情は抱かんぞ、さすがに俺でもな。
これは保護欲とかそういう類いのものなのだが……説明しても信じてもらえなさそうだ。
「……目覚めたのかい?」
「お前がこれ見よがしに俺に見せたんだろうが!」
「ボクは、二人の笑顔を守りたいと思っただけさ」
笑顔……
エステラは、あのマグダの虚ろな表情を『笑顔』と表現した。
なるほど、確かに言われてみればそう見えなくもなかった。
ホント、よく見ているなこいつは。……つくづく油断ならないヤツだ。
俺のことはあんまり見んじゃねぇぞ。
「なんだ? 気に入ったのか、兄ちゃん?」
下卑た声で狩猟ギルドの代表者が言う。
「そいつと専属契約を結ぶってんなら、許可してやってもいいぜ?」
ニヤニヤと、こちらを見下すように薄ら寒い笑みを浮かべている。
「こいつと契約した場合、いくらギルドに支払えばいいんだ?」
「いらねぇよ」
いらない?
「そいつは使えねぇお荷物なんでな。引き取ってくれるなら好きにこき使ってくれりゃあいいぜ。ただし、食費はそっち持ちだ」
「それで、狩猟の許可は?」
「継続でいいぜ。こっちに迷惑かけなきゃ、今後も狩猟ギルドの会員証で狩猟すりゃあいい」
おかしい。
条件が良過ぎる。
このマグダというヤツの腕が悪く、一匹も獲物を捕らえられないと仮定しても、この条件は破格だ。
なにせ、ギルドの権限を、このマグダを通して自由に行使できるという契約なのだから。
つまり、こいつの魂胆は…………厄介者を手放したい。ってとこか。
このマグダってヤツは何かしらの問題があり、ギルドに永続的に『損失』を出しているのだ。
『利益がない』ではなく『損失が出ている』だ。だからこそ、破格でもなんでも売り払ってしまいたいと、そういうわけだ。
食費がどうとか言っていたから、きっとこいつは…………
と、隣から物凄い視線を感じた。
顔を横に向けると、ジネットが今にも泣き出しそうな悲哀感たっぷりの表情を浮かべて、睨むように俺を見つめていた。
……あぁー。
見るんじゃなかったと、すぐさま後悔がよぎる。
言われなくても分かる。こいつは俺にこう求めているのだ。「マグダさんを助けてあげられないでしょうか!? ヤシロさん、どうかお願いします!」と。
だがな、ジネット。この誘いに乗るのはリスクが高過ぎるってこと分かってるか?
しかし、ここでマグダを拒否すれば、損害を被らなくていい分、なんの利益も得られないことは確かだ。狩猟ギルドとは交渉決裂、俺たちは肉を手に入れることが出来ない。
しかもだ。
ギルドの規約によるところなのかは分からんが、狩猟ギルドはマグダをクビには出来ないらしい。使えない上に損失まで出されているにもかかわらず、こうして置いてやっているのが何よりもの証拠だ。
日本でも、一度正社員にした者を会社はそう簡単に解雇できないからな。この世界でも労働者を保護する取り組みがなされているのだろう。
が、だからこそより不遇な扱いを受けることになるのだ。
今はまだこの程度と呼べる範囲だからいいが、時を経るごとにエスカレートしていくことは想像に容易い。そして、それがどういう結果をもたらすか……
俺はマグダへと視線を向ける。と、虚ろな目が俺を見ていた。
なんて感情のない娘だ。
怒っているのか悲しんでいるのかまるで分からん。
お前、今まさにギルドの連中に売られようとしてんだぞ? 分かってんのか?
その虚ろな目をジッと見つめていると、ジィィッと見つめ返されて……根負けした。
こいつににらめっこで勝つことはまず不可能だろう。まぁ、負けることもないが。
「ヤシロさん!」
耳元で叫ばれ、体が思わずビクッとなる。
再度そちらに顔を向けると、鼻先数センチの距離にジネットの顔が迫っていた。
「うぉっ……!」
喉の奥から呻くような声が漏れ、体が自然と仰け反る。
しかし、及び腰になる俺を絶対に逃がしはしないとばかりに、潤んだ大きな瞳が訴えかけてくる。食いしばられた歯が次第にカチカチと音を立て始め、その振動でジネットの顔が小刻みにふるふると震え出す。もはやその目から涙が零れ落ちるのは時間の問題だ。
怖い怖い怖いっ! なんだよ、この精神攻撃は!
ダメだ……なぜだかよく分からんが、これはダメだ……
「分かった……専属契約を結ぼう……」
無意識に口を突いて出た己の敗北宣言に、悔やんでも悔やみきれない。
バカな……俺ともあろう人間が…………
しかし、そんな俺の言葉を聞いた瞬間、ジネットの表情が花を咲かせたようにパァッと明るくなる。そして、止めていた呼吸分を取り返すかのように思いきり酸素を吸い込むと、口に手を当て歓喜の声を上げた。
「ヤシロさんっ……! ありがとうございます……っ!」
……別に、感謝されるようなことじゃない。そもそもこれは、ジネットのためでも、ましてやマグダのためというわけでもない。
俺の詐欺師としての本能が、この不利な状況を覆せば必ずや金になると踏んだまでのことだ。
だから、さっきまで胸を占めていた焦燥感がきれいさっぱりなくなっているのは、安堵するジネットの顔を見たせいでは決してない。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!