レジーナの店を後にして、俺は大通りをプラプラと歩いていた。
時刻は夕方。『終わりの鐘』が結構前に鳴っていたから、今は夕方の六時前くらいだろう。
仕事終わりらしき者たちがやり遂げた達成感に似た、満足げな表情で行き交っている。
大通りには酒場が何軒か並んでいる。そこを目指しているのだろう。
「出てけー! 二度と来んなっ!」
そんな怒声が聞こえてきたのは、大通りのほぼ中央、とある酒場の前からだった。
その酒場は、以前俺が立ち寄った、イヌ耳ウェイトレスが可愛い店だ。
「待ってくださいですよぉ! あたし、ここを追い出されたら、ホント、困っちゃうんですってばぁ!」
「うるさいうるさい! あんたみたいなヤツ、ウチの店には置いとけないんだよ! さっさと帰れ!」
「じゃあ、せめて働いた分だけでもお給金を……」
「帰れぇー!」
言い争っていたのは、どちらもエプロン姿の少女で、片方は以前見かけたこの店のイヌ耳ウェイトレスだ。
もう片方は、見たこともない少女だ。だが同じ服を着ているということはこの店の従業員なのだろう。……間もなく辞めさせられそうではあるが。
「ん? あっ、あんた、あの時の人じゃん!」
言い争いを遠巻きに眺めていた俺を、イヌ耳店員は目敏く見つけ、声をかけてきた。
……放っといてくれればいいのに。
「よく覚えてたな。一回来ただけの客を」
「そりゃ、あんなことしたの、あんたしかいないもん。記憶に残るよ」
『あんなこと』というのは、ゴッフレードを殴ったことだろう。
そうか、記憶に残っていたか……ゴッフレードは忘れていますように……
「今日は随分とみすぼらしい服だね。前のはどうしたの?」
前のというのは、高校のブレザーのことだろう。この街では貴族の服に見えるようだが。
「身の丈に合った服に着替えただけだよ」
「あっはっはっ! 分かる分かる。初めて街に出る時って、必要以上に気合い入れてオシャレしちゃうよね。そっかそっか、頑張った結果の服だったんだね」
なんだか勘違いされているが、まぁそのままにしておいて問題ないだろう。
金持ちが貧乏人に身をやつして……と思われるより、貧乏人が無理して高い服を着ていたと思われる方が都合がいい。
「お兄さん、なんか有名な人なんですか? 言われてみれば確かにちょっと華があるかもしれないですねぇ」
イヌ耳店員に怒られ、さっきまで丸くなっていた少女が、俺の顔を覗き込んでくる。
……ふむ。華がある、か…………なかなか見る目があるじゃないか。
「ほらここに……『鼻』があるです! なんちゃってっ☆」
イラッ……
俺の鼻を指さしながら、女店員(間もなく解雇予定)は満面のドヤ顔を炸裂させている。
「お前、まだいたのかぁ!」
「うひゃぁ~!」
イヌ耳店員が牙を剥くと、女店員(もうすでに解雇済みっぽい)は俺の背中に身を隠す。
「こいつ、ずっっっっっっっっっっっとこんな調子でおしゃべりばっかりしてるんだよねっ! 仕事の邪魔んなるったらないよ、ホントッ!」
「違うです、違うんですよ! あたしはただ、お客様と仲良く、フレンドリーな関係を築き上げてお得意様になってもらえればと……良かれと思ってやったことなんですよ!」
「じゃあ、さっきのは何!? お客さんのソーセージを横取りして! あれも良かれと思っての行動!?」
「いやぁ~、アレは、お客様が『ロレッタちゃんに食べさせたいなぁ~』っておっしゃったですから、サービスの一環として『あ~ん』をされて差し上げたまでで……」
「物欲しそうな目で見てるからそういうことになるんでしょ!?」
「だってだって、ここのお料理美味しいんですもん! よっ! オールブルームナンバーワン名コック!」
ロレッタという名前らしい少女( ぺらぺらとよくしゃべる )は、店の入り口から様子を窺っていたイヌ耳オーナーを目敏く見つけ、そちらに向かって声を飛ばす。
「父ちゃんにおべっか使ったって、もうウチには置かないから! 帰れ! 客としても来るな!」
「そんなぁ~……あたし、ここのソーセージ大好きでしたですのにぃ~……明日から何を楽しみに生きていけば……」
「知らないわよ!」
「ここのソーセージは天下逸品なんですよ! 一口齧った時のパリッとした弾けるような皮の食感と、その後にやってくる香り高く濃厚な味わいの肉汁がじゅわっと口いっぱいに広がって、鼻を抜けていく香りはこの世の楽園を思わせるような芳しさで食欲をそそるんです。でも、それをあえてこらえて二口目を食べる前にビールをゴクリッ! ――と、盛大に喉へと流し込むと、一日の疲れが一気に吹き飛んで、この世界に生まれてきたことを精霊神様に感謝せずにはいられない幸福感に包み込まれるんですっ! 喉の奥をシュワシュワ弾ける炭酸が駆け抜けていった後は、またソーセージにかぶりつくわけですが、ここで注目してほしいのは先程噛み切った断面図! そこには、この数十秒の間にソーセージの奥底からじわ~っと溢れ出てきた肉汁がまるで宝石のようにキラキラと輝いていて……もっと眺めていたいけれどお腹がグーグーなるので、辛抱堪らずにガブリッ! ――と齧りつくと、さっきとはまた違う感動が……っ!」
「うるさいっ!」
イヌ耳店員が怒鳴ると、ロレッタ(よく噛まずにしゃべり続けられるもんだ、これは一種の才能だな……ちょっと欲しいかもしれないな)はビクッと肩をすくませる。
「そんなおしゃべりばっかりしてるから全然仕事が出来ないんだよっ! あんたが来てからあたしの仕事すっごく増えたんだからね!」
「それ、あたしのせいですかねぇ?」
「あんたがおしゃべりばっかして働かないからでしょう!」
「でも、お客様はみんな楽しそうにしてましたですよぉ?」
「お客さんが楽しくても、あたしたちが我慢ならないの! とにかく、もうウチでは雇えないから! どこか他所を当たるんだね! ふんっ!」
イヌ耳店員は、イヌ耳をふわりとはためかせて回れ右をする。
「ぅわぁっ!? お客さんがすごいことになってる!?」
振り返って初めて気が付いたのだろう、イヌ耳店員は店から溢れ出さんばかりに詰めかけている客を見て悲鳴を上げた。
「父ちゃん、ごめ~ん! すぐ戻るから!」
「おい、イヌ耳店員」
走り出そうとするイヌ耳店員を呼び止める。
こちらを振り向いたイヌ耳店員は焦った表情ながらも、ムッとした口調で言い返してくる。
「あたしにはパウラって名前があるんだけど?」
「じゃあパウラ。本当にこいつはクビなのか?」
「はぅっ!? なんで聞くんですか!? うやむや~にして明日また働きに来ようとしてたですのに!」
いや、それは無理だろう。
「ホンットにクビ! 二度と来るな!」
「ぅう……お兄さんのせいですよぉ……恨みますですよぉ……」
いやいや。俺のせいじゃねぇだろ。
「パウラが決めていいのか? オーナーの意思は?」
「いいの! ウチの父ちゃん、女の子には甘いからあたしが厳しくしなきゃいけないんだよね。オーナーの娘権限で、そいつはクビなの!」
「そうか……お気の毒様だな」
「そんな……人ごとみたいに…………お兄さん、ドSですか?」
バカ野郎。俺ほど優しい紳士はそうそういねぇぞ。
「あ、そうだ! 制服返して!」
「いやぁ~! こんなところで服を脱いだらお嫁に行けなくなるですよぉ! あ、そうしたらここで一生養ってくれるですか?」
「イラ……ッ!」
あ~あ、地雷踏んだ。
「その服、お給金代わりにくれてやるから、二度と顔を見せるなぁ!」
牙を剥くイヌ耳店員ことパウラ。
その怒声が通り過ぎていくのをロレッタは身を縮めてジッと耐えていた。
パタパタと足音を鳴らしてパウラが店へと戻っていく。
本当に客が店から溢れ返っている。
「はぁうう……あたし、お手伝いできるですのにぃ……」
地面にへたりこみ、がくりと肩を落とすロレッタ。
見事なまでにしょげ返っている。さっきまで陽気にぺらぺらとしゃべっていた時とは雲泥の差だ。
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