「デリア。お前はジネットのビーフカツレツを食ったことがあるか?」
「いや? あたいはいつも鮭を食べてるからな」
「もったいねぇなぁ!」
「え?」
デリアを納得させるには、理不尽さを味わってもらうのが一番だろう。
少しもやもやさせちまうが……我慢してくれよ。
「ジネットのビーフカツレツは最高に美味いんだぞ! 生まれてきたことに感謝したくなるくらいに絶品なんだ」
「ふぇっ!? そ、そんなっ、お、大袈裟ですよ……うふふ」
後方でジネットが身悶えているが、……まぁ、今はちょっと無視しておく。
デリアを説得するためのたとえ話だから、多少大袈裟に表現しているだけだ。
「だからデリア。お前は今後、鮭なんか食うのやめて、ビーフカツレツを食えよ」
「はぁ!? なんでだよ。あたいは鮭が好きだから食ってるんだぞ」
「ビーフカツレツはすげぇ美味いんだって。食べた方がいいから! 鮭食ってる場合じゃないから! お前のためなんだって、これは!」
「あたいは鮭が好きなんだよ!」
こうして、話が平行線になったところで、次の要素を取り入れる。
「なぁ、エステラ。ビーフカツレツ、美味いよな?」
話を振ると、俺の意思を汲み取って、エステラは大袈裟な手ぶりを交えて乗ってくれた。
「当然さ。なにせ、ボクの大好物だからね。ジネットちゃんのビーフカツレツを食べると幸せな気持ちになれるんだ。それくらいに美味しいよ」
「エ、エステラさんまで……もう、褒め過ぎですよ…………えへへ」
両手で頬と口元を押さえて体を揺するジネット。
耳まで真っ赤に染めて喜んでいる。
「だからさ、デリア。君も鮭なんかじゃなくて、ビーフカツレツを食べるといいよ。おすすめだ」
「だからっ、あたいは……!」
「デリりんよ、まぁ落ち着くのだ。他人の意見を聞くというのも、人生においては重要なことだぞ」
デリアの反論を、ルシアが遮る。
その横にはマグダとロレッタが控えている。
こいつらも、俺の意思を汲み取ってくれたのだろう。協力してくれるつもりらしい。
「ジネぷーのビーフカツレツは食べたことがないが、あれはなかなか美味いものだぞ。ジネぷーが作ったものならなおのこと、逸品と呼ぶに相応しいものなのであろう」
「……店長のビーフカツレツは、至高の一品」
「サクッとした衣の中に閉じ込められたお肉からじゅわぁ~っと滲み出す肉汁は甘辛いソースと絡まって極上の味わいを生み出すです。揚げると硬くなりがちなお肉ですが、そこは我らが陽だまり亭の料理長こと店長さんです、神業と呼ぶに躊躇うこともないスペシャルな技術で調理されたビーフカツレツですから、お肉がとっても柔らかいです! あれの美味しさが分からない人はこの世界には存在しないと、あたしは確信を持っているです! それくらいに美味しいですよ、店長さんのビーフカツレツは!」
「理解できる、私は。食べたことはないが想像に難くない思う、友達のジネットの料理の味は」
最後にギルベルタまでもが加わって、全員がビーフカツレツの美味さを訴えてくれた。
そこで、とどめだ。
「だからな、デリア。お前、今日から鮭禁止な」
「えぇっ!? なんでそうなるんだよ!?」
「そうでもしなきゃ、お前はビーフカツレツを食べないだろう? みんなが美味しいって言ってるものを食べさせてやりたいんだよ、善意で。これがお前のためだから」
「あたいは……っ!」
「ビーフカツレツを食べた方がいいと思う人っ!」
言いながら、俺は自分の腕をピンと伸ばして上げる。
つられるように、他の連中も挙手をする。
「な? みんな親切心でそう言ってるんだ。お前のためにさ」
これは意地悪なんかじゃない。
完全なる善意で言っているんだぞと、念を押す。
……まぁ、意地悪なんだけどな。
そこで、エステラが口を開く。締めはこいつに任せるか。
「デリア、これが裁判というものなんだよ。……もっとも、随分と簡略化された極端なものだったけどね」
さすがにあからさま過ぎる流れに苦笑を漏らし肩をすくめるエステラ。
けれど、柔らかいながらも真剣な表情でデリアに言い聞かせる。
「デリアからすれば、ボクたちの行為は意地悪に映っただろう? けれど、ボクたちはデリアのためを思ってビーフカツレツを勧めたんだ。『美味しいから是非食べてほしい』ってね」
「でも、だからって鮭を禁止とか……」
「それは方法の一つだよ。悪意の証明にはならない」
「鮭禁止」という処置は、「デリアにビーフカツレツの美味さを知ってほしい」という善意を否定するものではない。
もし争点が『善意の有無』であった場合、勝訴するのはこちら側だ。
『鮭禁止はやり過ぎではないか』という争点なら、結果は逆になるかもしれないけどな。
「統括裁判所は公明正大な機関ではないんだ」
思い切ったことを言う。
言った後で、エステラはちらりとルシアを窺い見たが、ルシアは特に何も口にしなかった。
「水門を封鎖して水を堰き止めるのは酷い行為だ。イジメや意地悪だと言われても仕方のない最低な行為だと思う。けれど、だからと言って裁判で勝てるとは限らないんだよ」
さっきのビーフカツレツにしたって、第三者が見れば「デリアの好きなものを食わせてやれよ」という感想を持たれるだろう。
だが、今この場においては「デリアの鮭禁止措置」も致し方なしという雰囲気が形成されている。
そして、裁判というのは、その場で決まったことがすべてだ。
覆すには、もう一度裁判を起こさなければいけない。
終わった後で「やっぱ今の無しで」とは、いかない。
特に、今みたいな多数決をひっくり返すのは、かなり困難なのだ。
「統括裁判所への提訴は、明確な敵対行為の表明になるんだよ。今の段階で行うのは得策とは言えない。まずは、話を聞いて、話し合いを重ねて、慎重に策を練る。平和的に解決できる方法があるなら、それを最優先させたいんだ。分かるね?」
「…………うん」
エステラの説得に、デリアが首肯する。
分かってくれたことに、ほっと息を漏らす。
エステラが言わなかったもう一つの側面を話さずに済んで安心したのかもしれないな。
『統括裁判所は公明正大な機関ではない』と、エステラは言った。
つまりは、「下位の貴族、ギルド長などが上位の者を訴えても、不利な判決が出ることが多い」と、そういうことなのだろう。
貴族が運営する機関なのだ。
貴族に有利になるような仕組みになっているであろうことは想像に難くない。
むしろ、そうでなければおかしいとすら思える。
こちらから仕掛けるのは愚策だろう。
「とにかく、今は冷静になって話し合いの場を持つことが重要なんだ。そして幸いなことに、その場を向こうが設けてくれると言っている」
決して、「幸い」だなどとは思ってもいないような表情でエステラが言う。
「ボクたちが話を聞いてくるから、それまでは待っていてよ」
そう言って、この話にケリをつける。
最後に、俺に向かって「ありがとね」みたいな視線を飛ばしてきたエステラだが、感謝してるなら可愛らしいウィンクの一つでも寄越せってんだ。
「じゃあ、ルシアさん。まずは川を見て、その後水路と溜め池を見てください」
「うむ。出来れば畑や森、作物の状況も見ておきたいな」
「案内します」
「頼む」
二、三言葉を交わして出て行こうとするエステラとルシア。
「ま、待ってくれ!」
そこへ、デリアが駆け寄っていく。
「あたいも、その話し合いに連れて行ってくれねぇか!? あ、……ですか!?」
一応、ルシアの手前敬語を使わなければという意思が働いたらしい。
飛びかかりたい衝動を抑えるかのように、歯がゆそうな表情でデリアが言葉を発する。もどかしそうに、けれど懸命に。
「あたいはなんとしても、水門を開けさせたい! ……です! 何が出来るか分かんないけど、とにかくじっとしていられないんだ! ……です! 頼むから、あたいも一緒に連れて行ってくれ! ……ですか!」
「デリア、落ち着いて」
裁判所の件は納得したが、水門に関する危機感は拭えていない。だから、何か行動を起こしたい。そんな思いが溢れている。
瞳孔が開きっぱなしのデリアを、エステラが宥める。
まぁ、デリアの気持ちも分からんではないが、領主たちの会議にデリアを連れて行くことは出来ない。
本来なら、俺だって場違いなのだろうが……まぁ、当事者ってことで例外扱いかな、俺は。
「デリアの気持ちはよく分かる。だけど、今回はボクたちに任せてほしい」
「けど……」
「大丈夫。水門はボクたちが必ず開けさせてみせるよ。約束する」
「ホント……か?」
「もし違えたなら、ボクをカエルに変えたっていい」
約束という言葉を使い、エステラはデリアに安心を与える。
もちろん、デリアにそんな意志などないだろうが、かなり危険な行為だ。
「川の水は四十二区の経済、そしてそこに住む領民の命をも脅かしかねない重要なものだ。それを堰き止める水門は、何がなんでも解放させる。それも、最優先で」
デリアの肩に手を置き、力強くも爽やかな笑みでエステラは宣言する。
「『水門を開けなければ話し合いに応じない』とでも言ってやるからさ」
「……そう、か。…………うん。じゃあ、エステラを信じる」
それで、ようやくデリアの肩から力が抜ける。
それでも、まだ不安の色は拭いきれていない。
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