異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

356話 しゅわしゅわ、すべすべ -1-

公開日時: 2022年5月7日(土) 20:01
文字数:3,348

 エステラとの話を終え、昨日張ったままになっていた湯を再利用して風呂を沸かす。

 テッポウ風呂の釜に薪を放り込んでしばらく放置する。

 

「涙の跡は消えたか、お嬢様?」

「う、うるさいな……いちいち言わないでよ。もう……」

 

 俺が風呂を沸かしている間、エステラは脱衣所で休んでいた。

 泣いてしまったので、顔と心を落ち着かせるために。

 

「洗ってくるか?」

「そうだね。水道を借りるよ」

 

 ここで言う『水道』は、川から直接水を取り入れるための水路のことだが、コックを捻れば水が出てくるのは同じだ。

 

 桶に冷水を汲み、エステラはそれで顔を洗う。

 泣いてしまった照れもあるのだろう。バッシャバッシャと豪快に水を顔にぶつけている。

 あ~ぁ、髪が濡れてんじゃねぇか。

 

「ほら、タオル。アライグマでももうちょっと静かに洗うぞ」

「そうかい? 川で見るオメロは、いつもこれ以上に水しぶきを上げているよ」

「……それは単に溺れてるだけだろう」

 

 川で見かけるオメロは大抵死にかけてるからな。

 

「まぁ、おかげでなんとか気持ちの整理が出来たよ。……その……ありがと、ね」

 

 うぐっ……なんか、素直に礼を言われると、ちょっと照れるな。

 というか、このモードのエステラは、ちょっと卑怯だ。なんだその上目遣い。わざとか!?

 

「ま、それは全部が終わってからだな」

「ん。……だね」

 

 へへへっと笑う。その角度だよ!

 え、なに? 計算してんの!? 鏡の前で猛練習とかしてきたの!?

 見せ方知ってるねぇ~!

 思わずキュンときちゃうところだったよ! ギリセーフだったけどな!

 

 領主から一人の女の子に戻るふとした瞬間を、あんまり俺に見せるな。心臓への負荷がすごい。

 

「とりあえず、厨房に戻るか」

「そうだね。ジネットちゃんに心配かけちゃうし」

 

 風呂場のドアを解錠し、ドアを開けて廊下に出る。

 

「朝から浴場で欲情ですか? いやらしい」

「「ぅぉおううわぁぁはぁああ!?」」

 

 ドアを出たすぐ目の前にナタリアが立っていた。

 ……びっ、びっくりしたぁ!?

 

「きゅ、急に出てきて変なことを言わないでくれるかい!?」

「では、ゆっくり出てきて卑猥なことを言いましょう。出直します」

「出直さなくていいよ!」

「【自主規制】ーっ!」

「卑猥なことを言うな!」

 

 早朝から元気な主従漫才が繰り広げられている。

 ……けど、心臓がバクバクいってて、正直それどころではない。

 

 だってさ、話をするだけだって分かっていてもさ? 鍵をかけた密室でさ? それも風呂場だぞ? 脱衣所で女子と二人きりって密室でさ……意識するなって方がムリだろうが!?

 いくら他に適当な場所がなかったとはいえ!

 実は地味ぃ~に緊張してたっつーの!

 

 そこから解放されたと思った瞬間のナタリアだぞ?

 心臓「ぱぁーん!」って言ったよね! 確実に言ったよね!

 

「それで、お風呂場で一体何を?」

 

 朝起きたらエステラがいなかった。

 それでナタリアは心配していたのかもしれない。

 

 エステラの異変は、そばにいたコイツなら気付いていただろうし。気にはかけていたのだろう。

 でも、エステラとしても自分の弱みをナタリアに見せるわけにはいかないと思っていたんだろうな。主が弱気になっていると従者は一層努力を強いられるからな。

 

 話してやれば、ナタリアも喜ぶと思うけどな。

 

「他の人が起きていない早朝にこっそり起き出して、わざわざ鍵までかけて、密室の中で二人っきりで……何をなさっていたんです?」

「なっ、なにも変なことはしてないよ!?」

「おやおや、髪の毛が濡れているようですが……混浴ですか?」

「しっ、してるわけないだろう、そんなこと!?」

「なるほど、未遂と」

「試みてないから!」

 

 ほら、秘密にしてるからそーやっていじられるんだよ。

 いじけてるんだよ、ナタリアは。

 

「なぁ、ナタリア。もしエステラが『ウィシャートマジムカつく。ぶっ殺す』って言い出したら、お前はどうする?」

「そうですねぇ……」

 

 と、一瞬だけ考える素振りを見せ、最初から出ていたのであろう回答を口にする。

 

「エステラ様のお手を汚す前に、私が手を下します。お望みとあれば、エステラ様の目の前で」

 

 ナイフを抜き、その刃よりも鋭い目つきで。

 ナタリアなら、さぞエグい拷問もやってのけるんだろうなぁ。怖い怖い。

 

「ありがとう、ナタリア。君は本当に頼りになる従者だよ」

「当然です。私は、エステラ様の望みを叶えるためにお側にいるのですから」

「でも、君に手を汚させるようなことはしないよ」

「足でも仕留められますが」

 

 器用に足の指でナイフを挟んでみせるナタリア。

 いや、すげー器用だな、お前!?

 

「うん、そーゆー意味じゃない」

「まさか……お尻で!?」

「違う!」

「一応出来ますけれども!」

「挟もうとしなくていいから! ナイフしまって! すぐに!」

 

 取り出したナイフを尻に近付けるナタリアの腕を拘束するエステラ。

 ……出来るのかよ、ナタリア。え、なに? 練習したの?

「ウィシャートは必ず、この尻で!」みたいな場面が来る可能性あると思った?

 ねーよ!

 

「もし、少しでも不安を感じることがあるならば、なんなりと申し付けてください。――必ずや、私がエステラ様の憂いを晴らしてご覧に入れます」

 

 エステラの前に膝を突き、恭しく頭を下げるナタリア。

 髪の一本まで、すべてが洗練されているような完璧な所作。

 

 ナタリアが心からエステラを大切にしていることが、はっきりと分かる。

 言葉なんか必要ないんだな、絆を示すのは。

 エステラにもしっかりと伝わったのだろう。

 

「分かった。次からはそうするよ」

 

 ナタリアに話せないでいたことを詫びた。

 変なところで「迷惑かけたくない」なんて遠慮するくせがあるからな、エステラは。

 特に、今回のような大事になればなるほど、な。

 

 こういうことを一つずつ超えていって、大きく成長していくのだろう。

 

「それじゃあ、一つボクの憂いを晴らしてくれるかい?」

 

 そして、乗り越えた先ではまた冗談が言い合えるようになるのだ。

 

「うちの給仕長がお尻にナイフを挟もうとするんだけれど、この憂いをどうにかしてくれるかい?」

「かしこまりました。思うに、エステラ様も同じ状況になれば仲間意識が生まれ、憂いは消えるかと思われます」

「いや、消えないよ!?」

「さぁ、一緒に挟みましょう!」

「挟まないよ!?」

「憂いを晴らすために!」

「努力の方向性っ!」

 

 努力の方向音痴がここにいた。

 

「あ、みなさん。お話は済みましたか?」

 

 廊下で騒いでいると、ジネットが厨房から顔を出す。

 

「おう。もう済んだから、仕込みを手伝うよ」

「はい。お願いします」

「あ、そうだ。エステラ、腹は?」

「最近、気の緩みから若干ぽっこりと……」

「し、しし、してないよ!? まだ平気だよ!」

「そうじゃなくて、減ってないかっつってんだよ」

「私は空いています!」

「ボクが聞かれたの! なんで全部先に答えちゃうかな!?」

 

 主の憂いをすべて晴らすと言った給仕長が主を差し置いてぐいぐい来る。

 相談してくれなかったことを地味に怒っているようだ。

 

「ジネット、仕込みの進捗は?」

「今はお芋の皮を剥いたところです」

「じゃあ、それはポテトサラダにしよう」

「ポテトサラダですか?」

「今日は簡単な朝食にして、仕込みの手を抜いちまおう」

「何を作るつもりなんですか、ヤシロさん?」

 

 ジネットの目がキラリと輝く。

 そんな期待するようなものではない。

 すっごい簡単なものだ。

 

「ポテサラとハムエッグ。あとは、ホットケーキでも作ろう」

「ホットケーキ……を、朝食に、ですか?」

 

 陽だまり亭では、ホットケーキの類いはおやつ扱いだからな。

 

「ちゃんと主食にもなってくれるぞ」

「朝からホットケーキだなんて、子供たちが喜びそうですね」

 

 教会のガキどもはなんだって喜ぶさ。お前の料理ならな。

 

「では、準備をするものは何かありますか?」

「ホットケーキにかけるフルーツソースくらいかな」

「なんだか、楽しい朝食になりそうですね」

 

 フルーツを取ってきますと、ジネットは廊下を進んで食料庫へ向かう。

 

「ヤシロ」

 

 名を呼ばれて振り返れば、領主と給仕長がそっくりな顔でこっちを見ていた。

 

「ボク、お腹空いた!」

「すみません、意地汚い主がお腹を空かせておりますので、大至急二人前お願いします」

 

 ま、全員で教会に行って飯を食うには談話室は狭いからな。

 先に陽だまり亭で食っていけばいい。

 

 じゃ、味見もかねて、先行試食会でも始めますかね。

 

 

 

 

 

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