「……マグダ、出陣」
陽だまり亭を出て、街道を歩く。
目的地は、大通りを越えた向こうの通りにある溜め池前の広場。
去年の大雨の時、通りに溢れた水を逃がすためにヤシロとロレッタの弟妹たちが作った溜め池。
あの近辺の住民はやたらと妹たちに好意的で、今では移動販売の主要ポイントの一つとなっている。
最近は、加熱するたこ焼きブームの影響で、二号店ではたこ焼きを売るようになっていた。
ウェンディたちの結婚式が終わった後、打ち上げでたこ焼き修業をした妹たち。今では商品として通用するたこ焼きを焼けるまでに成長していた。
しかし、いまだ大量のお客さんは捌けないようで、たまにこうしてマグダにヘルプの声がかかる。
まったく……まだまだだ。
たこ焼きの女神とまで言われた(←ウーマロに)マグダには、まだまだ追いつけそうもない。
それはそうと、ポップコーンの売れ行きが落ちているという現状も問題である。
ポップコーンの戦乙女と呼ばれた(←ウーマロに)マグダとしては、ポップコーンもしっかりと売っていきたい所存。
陽だまり亭は変わった。
けれど、まだまだ改善の余地はある。
マグダがやるべきことはまだまだ多い。
「……マグダは、やるっ」
「はぁぁあん! おもむろに立ち止まってキリッとした表情を見せるマグダたん、マジ天使ッス!」
街道で偶然ウーマロを見かけたのでコミュニケーションを取ってみる。
今日も相変わらずのウーマロ。やや、可愛い。
「あれ? マグダたん、ちょっとお疲れッスか?」
ぴくっ……と、マグダの耳は動いたに違いない。
むぅ。ヤシロ以外にマグダの心を読める者が現れるとは……ウーマロ、腕を上げたな。
「……アンニュイな女は、色っぽい」
「はぁぁああん! 『そっちじゃない』方向へ全力疾走していくマグダたん、マジ天使ッス!」
むむ?
『そっちじゃない』とな?
失敬な。
マグダは今年で十三歳。そろそろ大人の色香も漂い始めるお年頃。
……証拠を見せる。
「……あっは~ん」
「はぅっ! 心臓がっ! 心臓が二回止まったッス!?」
心臓が「きゅんっ!」と一回止まって「あ、勘違いかも…………あぁ、やっぱりきゅんっ!」と二回止まったということだろう。
ふふふ……マグダは、小悪魔にもなれる。
「……ウーマロ。今日も仕事に励むように」
「はぁあぁあん! そろそろ日没って時間に応援されたッス! なんならこっからもうひと仕事してくるッス!」
衛兵のようにビシッと敬礼をして、街道を全速力で駆けていくウーマロ。
うむ。マグダは今日もいいことをした。
「……相変わらず賑やかなヤツだな、ウーマロは……」
ぴくり……と、耳が動く。
この声を聞くと、自然と耳がそちらに向いてしまう。これはもう条件反射のようなもの……
そして、耳に続いて視線がそちらに向く。体ごと。
「……ヤシロ」
「よう。お使いか」
今朝出て行ってから、しばらくぶりの再会。
約半日。
ヤシロが陽だまり亭を空けるのはよくあること。
もっと長い時間会えないことも、ままある。
なのに、もう……随分と会っていなかった気がする。
久しぶり。そんな感情が湧き上がってくる。
そして、心の底から、――ほっとする。
「……陽だまり亭へ帰る?」
「いや。散歩中だ」
「……そう。こちらはこれから妹たちの応援に行くところ」
今のヤシロには、「マグダ」という言葉は言えない。
ヤシロの心に大きなダメージを与えてしまうらしいから。
…………寂しい。
「……付いてきても、別にいい」
「そうだな。じゃあ、付いていこうかな」
むふ……ヤシロはマグダには甘い。
最近はいろんな女に優しくしているようだが、マグダには最初から甘かった。マグダは特別であるという証左。
おそらく、マグダに甘くしていたせいで、その甘さが各方面へと拡散されていってしまった。
故に、ヤシロ近辺の女子たちはこぞってマグダに感謝するべき。
「……カリスマは疲れる」
「なんのだよ? たこ焼きのか?」
「……女子のカリスマ」
「ほぅ、それは初耳だな」
やはり、男子は最先端の情報に疎い。
今巷では、マグダのようになりたいマグダ女子が多発しているというのに。
二号店の妹たちがその好例。
みなこぞってマグダのマネをしたがる。
「……たこ焼き人気の火付け役でもある」
「そうだな。一気に人気が広がったもんな」
たこ焼きをひっくり返すマグダが可愛いから。男子はときめき、女子は憧れている。
……罪な女である。
「……ヤシロは、好き?」
「たこ焼きか? おう、好きだぞ」
むぅ!
たこ焼きを焼くマグダが好きかを聞いたというのに。
そんなにたこ焼きが好きならば、熱々を口いっぱいに詰め込んでやる。
はふはふ言えばいい。
「……そういえば、覚えているの?」
「ん?」
「……ウーマロ」
「あぁ、名前な」
先ほどヤシロは『相変わらず賑やかなヤツだな、ウーマロは』と言った。
ウーマロの名前を、覚えている。
「おっぱいより大事じゃないからな、あいつは」
「……なるほど」
たしか、レジーナが言うには、あの寄生型魔草は、大切な記憶に寄生するらしい。
それ故に、さほど大切ではないウーマロの記憶は無事だった………………むぅ、なんだか釈然としない。
「……ウーマロは、今後ご飯大盛り禁止」
「地味な制裁はやめてやれな」
マグダは、ヤシロにとってとても大切。
だから、寄生型魔草も真っ先に狙ったはず。
マグダの名前を思い出させるのは至難の業……
「……思い出せ」
「ものすげぇ命令口調だな、おい」
「……代わりにウーマロを忘れてもいいから」
「そこには同意しなくもないが……まぁ、落ち着け」
「……ウーマロのくせに生意気」
「敵意がおかしな方向に向いてるぞ」
いつもなら、もうそろそろ名前を呼ばれる頃合い。
ヤシロは、マグダを気にかけて、ことあるごとに名前を呼んでくれる。
その度に、マグダは安心感を得て……
……ギュッと、ヤシロの手を握る。
これはマグダの特権。ヤシロに拒否権はない。
マグダは、寂しくなったらいつだってヤシロに甘えてもいい唯一の存在。
ヤシロがそれを許可してくれる。
そして、マグダがこうすれば……
「大丈夫だよ。すぐに思い出してやるから」
そう言って、しっかりとマグダの不安を取り去ってくれる。
それが、ヤシロという男。
マグダが唯一認めた、頼れる男。
あまりにおっぱい好き過ぎるきらいはあるが……まぁ、ヤシロだからしょうがない。
あと二年もすれば、マグダの胸も店長並み……最低でもノーマレベルには育つ予定。
なんの心配もいらない。
ヤシロがそばにいてさえくれれば、マグダの人生に狂いは生じない。
……ヤシロが、マグダのそばにずっといてさえくれれば。
――すぐに帰ってくるから、いい子にして待ってんだぞ!
不意に……懐かしい声を思い出した。
力強い、大きな手が頭を撫でる感触と、優しい瞳に見つめられるくすぐったくて温かい感覚……
マグダの両親は、共に狩猟ギルドに属する狩人だった。
腕前はそこそこ良かったはずなのだが、あまりに優し過ぎたために成果はイマイチだったそうだ。
子を連れた魔獣を、狩猟ギルドのメンバーから守ったこともあったそうだ。
当然、そんなことをしたら相当なペナルティが科されるのだが……パパもママも、そんなペナルティを誇らしげに甘受していた。
そんな両親が、マグダは堪らなく好きだった。
「……ヤシロ」
「ん?」
「………………呼んでみただけ」
「なんだ、それ?」
くつくつと、ヤシロが笑う。
微かに、その振動が伝わってくる。
呼べば返事をもらえる。
それは決して、当たり前のことでは、ない。
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