「こちらで、しばらくお待ちください」
通されたのは、応接間らしき一室だった。
天井が高く、白い壁は隅々まで綺麗に掃除されている。
足元にはふかふかの絨毯が敷かれ、部屋の中央には意匠の細かいアンティークなテーブルと、それに合わせたそこそこ高そうなソファが置かれている。ペルシャ絨毯のような模様の布地が張られたソファは、足と肘掛けの部分のみ木目を活かした造りになっている。
「いつ見てもすごいですねぇ……」
天井を見上げ、ロレッタが息を漏らす。……口開いてるぞ。
しかしまぁ、俺に言わせればちょっと古いホテルのロビー程度のクオリティだ。
そんなわけで、上座にどっかりと腰を下ろし、お嬢様とやらの登場を待つ。
ロレッタは何も言わず、俺の隣に腰掛ける。
……こいつは上座とか知らなそうだよな。
「あの……お兄ちゃん」
ソファに座ると、ロレッタが俺にこんなことを言ってきた。
「絶対失礼なことは言わないでくださいですよ?」
「俺がそんなことを言うように見えるか?」
「う…………あたしはお兄ちゃんのことを信じているです。でも正直に言えば、…………言うように見えるです」
はっはっはっ、図星過ぎて言い返せない。
その時、静かに応接室のドアがノックされた。
重厚な木の音が室内に響く。
間もなく、音もなくドアが開かれる。
先に入ってきたのはナタリアで、開いたドアを押さえて出入り口を広く開ける。
その後ろから現れたのは――
「わぁ…………」
ロレッタが思わず声を漏らすほどの美しいお嬢様だった。
かつてのフランス王国ブルボン朝を思わせるような、エレガントで華やかなドレスを身に纏い、そんなドレスにも決して引けを取らない美貌に微笑を湛え、清流の如き優雅な足取りでこちらに近付いてくる。
大胆に肩と胸元を露出したドレスは、卑猥さなど微塵も感じさせることなくただただ着る者の美しさを引き立たせ、楚々とした女性らしさまでもを感じさせる。淡い桃色のドレスに包まれた透き通るような白い肌が眩しい。
こちらを見つめる大きな瞳は、穢れを知らず澄みきっており、微笑により細められることでその美しさを際立たせている。彼女の赤い瞳は、そこいらの宝石がただの石ころに思えるほどに美しく尊い。もし宝石商がこの場にいれば、そんな賛美を送ることだろう。
品よく切り揃えられた赤い髪の毛は、お嬢様という言葉からイメージするよりかはいささか短いが、彼女の持つ明るいイメージにぴたりと合致していてとても好感が持てる。
俺と目が合うと、彼女は少し照れたような表情を見せた。微かに頬が赤く染まり、何度か視線を逃がし、唇は羞恥に耐えるようにキュッとすぼめられている。
それでも迎えるべき客人に非礼無きようにと浮かべられた微笑は、彼女の羞恥と相まってどんな名画にも劣らない芸術的な美しさだ。と、ここに絵画商がいればそう絶賛することだろう。
ロレッタは、先ほどから一度も瞬きをしておらず、登場したお嬢様に見惚れている。
俺は改めてそのお嬢様を見つめ、せめてもの礼儀にと――心に浮かんだ正直な気持ちを口にした。
「女装にでも目覚めたのか、エステラ?」
「他に言う言葉は思いつかなかったのかい、君はっ!?」
そこにいたのは、正真正銘、エステラその人だった。
ただ、とても美しいドレスを着て、今日はちょっとメイクまでしている。
こうして見ると、本当に女の子なんだなぁ、と思う。
「お嬢様」
「え、なに、ナタリア?」
「あの男を殺します」
「ちょっ! いいから! 彼はそういう男なんだ! 大丈夫、いつものことだから!」
「では死なないように苦痛を与え続けます!」
「ヤシロ! 早く謝って! いや、ボクのことをすごく褒めて!」
魔神の如きオーラを放つナタリアを懸命に押さえ込みながら、エステラがそんな注文を寄越してくる。
褒めろったって……
「その胸で、よくそんな胸元のザックリ開いたドレスが着れたな。すごい勇気だ。称賛に値する」
「……ナタリア。GO!」
「イエス・サー!」
「冗談! 冗談だ! 似合ってるから!」
「……三十点」
「お前が入ってきた時、大輪の花が咲き誇ったのかと思うほどすげぇ似合ってる!」
「………………六十七点。まぁ、及第点でしょう」
ナタリアがナイフをしまい、ドアの隣へと戻っていく。
……こ、怖ぇ…………あいつのナイフ捌きはエステラ以上だ……
「まったく。ヤシロはいつでもどこでもヤシロなんだね……」
呆れたように言って、下座であるのも気にせずエステラが椅子に腰を掛ける。俺の向かいだ。
「普通さ、いつも気軽に接している相手がこんな華やかな格好をして、それも『実は領主の娘でした!』なんて場面で登場すればだよ? 驚いて言葉を失ったり、いつもと全然違う雰囲気にときめいたりするものじゃないのかい?」
ぷりぷりと怒るエステラは、いつも見ているエステラそのものだった。
「なに言ってんだよ。驚くわけないだろう」
「……もしかして、バレてた?」
「なに、お前……隠してたの?」
だとすれば、こいつは迂闊過ぎると言える。
というか、頭はいいのにちょっと抜けているというか……まぁ、俺も確信を持ったのはついさっきだけどな。それまでは「そうじゃないかなぁ?」くらいのことだったのだが。
苗字が言えないとか、男物の服を着て帰るとひと悶着起きるとか、家にこっそり帰るのは無理だとか。こいつはいろいろなヒントをあちこちで口にしている。
そして、平気な顔をして金貨を使う。
さらに、海漁の許可証をはじめ、各種の許可・申請手続きの滞りの無さ。
もっと言うならば、四十二区に雨による被害が出始めた途端、忙しくて顔を見せなくなったこととか……とにかく、こいつは自分が特別な人間であることを宣伝して歩いているようなものだった。
俺も、もしかしたら領主か……でなくても貴族の娘なんだろうなと思っていたのだが、スラムでゾルタルの会話記録を見てピンときた。
口調や言い回しがまんまエステラだったからな。
ただ、『領主=エステラ』とまではさすがに思えずちょっと混乱した。ゾルタルが『領主直々に』なんて言葉を繰り返し使いやがったもんだから尚更な。
そこでロレッタから得た情報だ。
『現在領主は伏せっており、その代行として娘が表に出ている』
ゾルタルは領主に謁見のアポイントを取った。が、実際に現れたのはその代行であるエステラだった。
代行として出てきた以上、その代行者の発言がイコール領主の発言だとゾルタルは受け止めたのだろう。
どこまでも拡大解釈するヤロウだな……で、そんなんが罷り通ってしまう『精霊の審判』にも、どこまで穴だらけなシステムなんだよと言ってやりたい。まぁ、『疑わしきは罰せず』ってところなんだろうが。
「でもさ、驚かせてやろうと思っていつもよりも念入りにメイクしてきたのに……一瞬で見破るんだもんなぁ……張り合いがないよ、本当」
「あのなぁ……」
お嬢様らしさの欠片もないような姿勢でエステラがため息を漏らす。
たぶん、俺以外の人間と会う時はもっとちゃんとしているのだろうが…………していると思いたい。
「どんな格好をしていても、エステラのことは一目見りゃ分かるよ」
「――っ!? ……………………へ…………へぇ……そう、なんだ…………」
男女問わず、ここまで胸が平らな人間は他にはいない!
――とかいう冗談を言うとナイフが飛んでくるんだろうな、二方向から。……やめとこ。
「あ、あのっ、ま、まぁヤシロなら、うん、そうかもね。それくらい……あは……わけないかもしれないよね、うん。へ、へぇ~、そうかぁ。ヤシロはボクのこと、よく分かってくれているのかぁ」
……エステラがおかしい。
笑顔を作ろうとしているようだがまるで成功していない。今の顔を写真に撮って百人に見せたら百人中九十人は『変顔』と定義するだろう。あとの十人は無言でそっと写真を返してくるに違いない。
乾いた笑いを漏らすエステラの前に、そっと紅茶が差し出される。
ナタリアが入れてくれたようだ。……って、めっちゃ怖い目で睨まれてるんですけど!? しかも俺を睨んだまま器用に次の紅茶を注いでロレッタの前に出してるんですけど!? そのティーポットを持ってきたワゴンに置いて、下の方から明らかに汚い水差しを取り出し、フチの欠けたコップにちょっと濁った雨水っぽい液体をなみなみと注いで、おぉーっと、それを俺の目の前に置いたぁーっ!
「…………どうぞ、召し上がれ」
「ナタリア……露骨過ぎる」
「おっしゃってる意味が分かりかねます」
だとしたらちょっと仕事を休んで長~い休養を取りな。精神が病んでいる証拠だから。
「エステラ。俺のとお前の飲み物、交換しないか?」
「ぅええっ!? そ、そんな……それは、ちょっと…………で、でもヤシロなら……まぁ」
「ダメです、お嬢様! はしたない!」
熱暴走を起こしているエステラを諌めるナタリアに気付かれないように、そっと濁り水と紅茶を取り替え…………途中でガシッと腕を掴まれた。
ナタリアがこっちを見ている……スゲェ見てる!
「……貴様…………お嬢様を殺す気か?」
「ってことは、お前は俺を殺す気だったんだな?」
「えぇ、そうですが。何か問題でも?」
「問題大有りだろうが!」
えぇい、もう! 埒が明かん。
「エステラ。真面目な話が二つある」
「二つ?」
話を振ると、エステラはいつもの引き締まった表情に戻った。
聞く態勢を取ってくれたので、俺は順を追って今日の出来事を話した。
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