と、今日はその話をしに来たわけではない。
「悪いなオーナー。今日はただの客なんだ」
俺が言うと、オーナーは俺の隣で背中を丸めているデリアに視線を向けて「ほぅ、そうですか」と、嬉しそうに顔のシワを深くした。
「では、奥のお席をお使いください。幾分かは、静かにお過ごしいただけるでしょう」
そんな気遣いを受け、俺たちは店の奥へと案内される。
席に着くと、デリアは花束を大切そうに机の上に置く。花がよく見えるように、少し自分の方へと向けて。
「一生大切にするんだぁ~」
「いや、一週間くらいしか持たないからな?」
「根性で乗り切らせる!」
「……花にそれを求めるなよ」
あとでドライフラワーの作り方でも教えてやるか。
「デートの前に、一つ頼みたいことがあるんだ」
このまま有耶無耶になっては困るので、先に話を切り出しておく。
「今度開催される大食い大会に、四十二区の代表選手として参加してくれないか?」
「え、あたいが?」
「あぁ。お前の力が必要だ。頼む」
机に手をつき、頭を下げる。
デートの目的はこれだったかのかと、ガッカリされるだろうか?
そうなったら美味しいケーキでご機嫌を取って……
「任せとけ!」
静かな店内の空気を、すべて押し出すような大きな声で、デリアははっきりと言う。
顔を上げると、キラキラした笑顔が俺を見ていた。
「ヤシロがあたいを頼ってくれるなら、あたいはそれに応えてやる!」
ドンッと、胸を叩き力強く言ってくれる。
頼られて嬉しい。
掛け値なしに、溢れんばかりの好意を向けてくれるデリアに……少しだけ照れてしまった。
こんなに信用されて、いいのか……この俺が。
なので、照れ隠しに冗談なんかを言ってしまうわけだ。
「今、おっぱいがすげぇ揺れたな」
「なっ!?」
清々しい笑顔は、途端に真っ赤に染まり、怒りとも喜びとも取れそうななんとも微妙な表情で、デリアは「もぉう!」と吠えた。
「人が真面目に話してる時に冗談やめろよなぁ!」
指をかる~く握った、女子がスキンシップでよく使うネコパンチが飛んできて、俺の額に触れた瞬間……ネコだと思っていたものは獰猛なクマであったことを知らされた。
「ンゴッズッ!」
これまで発したことがないような音が喉と鼻から漏れていく。
……冗談やめてほしいのは、こっちだぜ…………これは、冗談のレベルをはるかに超えている……
「むぁっ!? だ、大丈夫か!? つい、オメロにする時の力加減でやっちまった……」
オメロ……お前、毎日こんな2トン車の衝突みたいな衝撃に耐えてたのか……ちょっと、尊敬しそうだ…………あの世で。
「で、でも、今のはヤシロが悪いんだからなっ!」
「あ、あぁ……俺が悪かった…………危機管理能力の欠如と言わざるを得ない……」
「あはっ、分かってくれたらいいんだけどさ」
「あはっ」で済ませられる、可愛らしいダメージならよかったんだけどな……
「あっ、でもさ。あたい、そこそこは食べるけど……そんな言うほどじゃないぞ? ヤシロも知ってるだろ? 陽だまり亭で賄い食べてるの見てるんだから」
確かに、デリアは人より少し食うくらいだ。
だが。
「甘い物に限定すればどうだ?」
「甘い物……?」
「そうだ。お前の大好きな甘い物。普段は食べ過ぎないようにセーブしている甘い物だ」
「ど、どうしてそのことを……」
デリアは、甘い物を暴食するとタガが外れると危惧しており、いつも一人前程度に留めている……つもりで三人前くらい平らげているのだ。
「そのリミッターを解除したら、どうなる?」
「……そ、そりゃあ……人よりかは…………かなり、食う……いや、甘い物なら誰にも負けない!」
「ベルティーナでもか?」
「…………いやぁ……アレはなぁ……」
クマ人族の表情を曇らせる食欲。パネェぜ、ベルティーナ。
「おやおや。随分と盛り上がっておりますね」
檸檬のオーナーが水を持ってやって来る。
四十二区の飲食店では、浄水器で綺麗にした水を無償提供するのがスタンダードになりつつあった。酒場なんかは『水飲んでる暇があったら酒を飲め』って感じだけどな。
檸檬の水は、やはりというかなんというか、爽やかに香るレモン水だった。
「陽だまり亭さんには感謝しています。レモンの可能性を見せてくれましたから」
「たまたま知っていただけのことだよ。仰々しく考えんなって」
「いえいえ。その『たまたま知っていたこと』の数々が、我々を、この街を、大きく変えてくれたのです。感謝の言葉もありません」
「よせって。気持ち悪ぃよ」
「ははっ、ヤシロは謙虚だなぁ」
「そういうんじゃねぇから!」
そういうのはジネットに言ってくれ。俺の担当じゃないんでな。
「本日は是非、サービスさせてください」
「おっ、やったな、ヤシロ! まけてくれるってさ」
いやいや、デートで割引って……
「オーナー。サービスはいいからさ、ちょっと協力してくれねぇか?」
「と、おっしゃいますと?」
「レモンパイを二十人前ほど焼いてくれ」
「にじゅっ……二十人前、で、ございますか?」
爺がポックリ行きそうなほど驚いてやがる。
本当は百人前とでも言いたかったのだが、そのレベルのバケモノは『アノ二人』くらいのものだろう。
とりあえず、デリアにはどれくらいいけるかを見せてもらうだけでいい。
食いきれなきゃ、お土産として持って帰るさ。
「ははぁ、なるほど。大食い大会の練習ですな」
「まぁ、そんなところだ」
「ふむ……確かに、ケーキのような甘い物であれば、男性より女性の方が有利かと……考えましたな、陽だまり亭さん」
俺を陽だまり亭さんと呼ぶんじゃねぇよ。代表はジネットだから。
「デリア、無理しない範囲でいいから食べてみてくれ」
「い、いいのか!? いつも一切れで我慢してんのに、今日はいっぱい食っていいのか!?」
「あぁ。俺の奢りだ。じゃんじゃんいってくれ。お前の食いっぷりに、四十二区の未来がかかっていると思ってな」
「お……、おぉ……なんだ、今日は怖いくらいにいいこと尽くめじゃないか……あ、あたい、明日死ぬのか? 死んじゃうのかな!?」
大袈裟だっつの。
「では、丹精込めたレモンパイを二十人前、お持ちいたしましょう」
「無茶を言ってすまんな。よろしく頼む」
「プルルルルルハァーッ!」
「「――っ!?」」
オーナーが謎の叫びを残してカウンターの奥へと消えていく。……なんだったんだ今のは? すげぇ巻き舌だったけど……
「ヤ、ヤシロ……今のが、『ギャップ萌え』ってやつか?」
「萌える要素が皆無じゃねぇか」
と、とにかく、爺さんがちょっとテンション上がっちゃっただけだと思おう……深く考えたら負けな気がする。常人が極端に少ない四十二区だもんな、ここは。
レモンの爽やかな香りと、カスタードクリームの濃厚な甘い香りが店内に立ち込め、香ばしく焼ける生地の香りが食欲をそそる。
「お待たせいたしました」
大きな皿に載ったレモンパイが2ホール運ばれてくる。
「これでひとまず十六人前でございます」
ワンホールを八等分して一人前だから、そうなるのか。
二十人前って、中途半端なこと言っちまったな。
「数が半端になるな」
「んあ? あ、そうだな」
すでにレモンパイに視線が釘付け状態のデリアも、そのことに気が付いたようだ。
「キリが悪いのもアレだよな」
「そうだよな」
「んじゃあ、十六人前で……」
「オーナー、二十四人前に変更な」
上に行きやがった!?
「承りました! 丹精込めたレモンパイを、もう八人前お持ちいたします! プルルルルルハァーッ!」
「「――っ!?」」
またしても奇声を上げて、オーナーがカウンターの奥へと姿を消す。
「……あれ、決まりなのかな?」
「俺がオーナーなら、今すぐやめさせるんだがな……」
次のレモンパイが焼けるまでに、目の前にある分を食べてしまおう。
「じゃあ、食うか」
「あたい、ワンホール食いに憧れてたんだよなぁ! いただきまーーすっ!」
フォークを突き立て、デリアがレモンパイに齧りつく。
「ん~~~~~っまいっ!」
お気に召したようで、がつがつと物凄い勢いで掻き込んでいく。
あぁ……こりゃ二十人前余裕だわ。
俺が一人前もらうとして、デリアには二十三人前にチャレンジしてもらおう。
それだけで十分だろう。
……つか、もうすでにワンホールの半分くらいなくなってるんですけど?
「デ、デリア。もうちょっと落ち着いて食え。喉に詰まるぞ?」
「大丈夫! 甘いものは別喉だ!」
「うん、ねぇから、そんな喉」
「オーナー! おかわりぃ!」
「いいんだっつの、二十三人前で!」
「プルルルルルハァーッ!」
「追加を承るなっ!」
結論――デリアは、甘い物なら、すげぇ食う。
そして、大食いの代表の力量を見るのは、領主の金でやるべきだ。……そこまで食わなくても……あ、4ホール平らげたよ、デリアのヤツ。まったく、わんぱくさんだぜっ☆……くすん。
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