「あ、あの。みなさん。何か楽しそうですけど、一体何を?」
厨房の隅で蠢いていたらしいジネットが、頬に微かな赤みを残しつつ戻ってきた。
なんとなく、意識して視線を逸らされているような気がする。
「ぇ……ふぇっ!?」
ジッと見つめていると不意に視線が合い、その瞬間ジネットの顔が赤く染まる。
うわぁ、初々しい。…………やめてくれ、マジで。恥ずいから。
「……店長。これが適量」
「そうです! 店長さんのはどう考えてもかけ過ぎだったです!」
赤い頬でぽややんとしているジネットに、マグダとロレッタがナポリタンの皿を手に詰め寄る。
……ほんと、どんだけ使ったんだよ。
「んっ! 美味しいです。辛さがアクセントになって、トマトソースの味が引き立ってます!」
「適量を使えば、辛みは飯を美味くするんだよ」
「そうですね。これは、飽きの来ない辛みですね」
口に付いたソースを拭きながら、ジネットが感心したように頷いている。
もう、照れはなくなったようだ。
「で、どんだけ付けたんだよ。こいつらの拒否反応は凄まじかったぞ?」
「いえ、あの……アッスントさんに言われたように、パンに、こう……たっぷりと」
「……噛むと中から辛い汁が溢れ出してくる」
「あれは、辛いというより痛いだったです……」
「そ、そんなに辛かったですか? わたしは結構好きな感じだったのですが。確かにちょっとは辛かったですけど」
ジネットの料理スキルが、他の連中よりも味覚の許容範囲を広げているのかもしれないな。
そういや、四十区で買った臭ほうれん草を食った時も、意地で飲み込んでたっけな。
「辛い料理は人を選ぶが、好きなヤツはとことん好きなんだよな」
「確かに。わたしも、基本的には落ち着いた味が好きなんですけど、たまに、無性に辛い物が食べたい時はありますね」
「……四十区の激辛チキン……」
「あぁ……あれは人間の食べる物じゃないです」
大食い大会で四十区の料理として登場した激辛チキン。
マグダとロレッタは食べたことがあり、一度食べて以降見向きもしなくなった。相当辛かったらしい。
しかしながら、その激辛チキンにもファンがいることは事実であり、辛い料理は一定以上の人気を誇っていることは確かだ。
……辛い料理…………唐辛子…………
そこでふと、積み上げられた木箱が目に入る。…………ソラマメ。
「そうだ! 豆板醤を作ろう!」
「とーばんじゃん、ですか?」
「あぁ。ピリ辛の調味料で、炒め物なんかに使うんだ」
「それは、美味しそうですね!」
豆板醤は、ソラマメに麹や唐辛子を加えて作るものだ。発酵が難しいが出来なくはない。
女将さんの自家製豆板醤で作る麻婆豆腐は絶品だったなぁ……ただ、熟成に半年くらいかかるんだよな。分量を減らせば一ヶ月~三ヶ月くらいで作れるって言ってたっけ?
「すぐには出来ないか……」
「時間がかかっても、新しいことでしたら挑戦する価値があると思いますよ」
と、料理オタクのジネットが目を輝かせている。
ベクトルは違うのだが、若干ベルティーナを彷彿とさせるんだよなぁ、こいつのこういうところ。
「麹ってものを知ってるか?」
「麹といえば、お味噌を作る時に使うヤツですね。名前くらいは知ってます」
ジネットが知っているということは、この街の中に存在しているということだ。
なら、アッスントを使えば必ず手に入る。……もとい、アッスントに『頼んだら』、だな。あくまで友好的にいくべきだろう、こういう儲け話をする時はな。
麹を手に入れたらすぐに作り始めよう。小分けにして少しでも早く熟成できるようにして、陽だまり亭のメニューに加えるんだ。そうすれば、また違った層の客を獲得できるはずだ。
「ちなみに、塩麹ってのは聞いたことあるか?」
「しおこうじ、ですか? さぁ、それは初耳です」
ん~……まぁ、なかなか耳にする機会はないかもな。けど、麹があるなら存在している可能性は高いはずだ。米麹とかも。
「んじゃあ、アッスントに、死に物狂いで探し出してもらうとしよう」
「お兄ちゃんが、アッスントさんをアゴで使う気満々です!?」
「……アッスントは、かつての強敵が味方に付いた途端三下扱いになるという好例」
「いえ、そんなことはないと思いますよ……ヤシロさんもそんなことは思ってらっしゃいませんよ。ねぇ?」
「え? 違うのか?」
ヤムチャ枠だろう、あいつ?
「もう。ダメですよ、ヤシロさん。お友達をそういう風に言っては」
「え……俺とアッスントって、友達なの?」
なんか、すごく嫌な気分なんだけど……
「ウーマロさんも、ベッコさんも、ウッセさんも、パーシーさんも、みなさんお友達ですよ」
「うわぁ……濃いメンバーばっかりだな……名前を聞いただけで胸やけしそうだ」
「……モーマットとオメロは除外された」
「セロンさんもです」
「み、みなさんですよ! ね? ヤシロさん?」
認めたくないものだな、そいつらが友人だなんて。
「……しかし、アッスントを動かすには、それなりの説得力が必要。特に、成功の保証がないものの場合は」
耳をピンと立て、もっともなことを言うマグダ。
さすが、よく分かってるな。
「だからこそ、『未知の調味料』の魅力をあいつに見せつけてやるのさ」
あいつが、「きっと大したことない味だろう」と思ったものが、実はメチャクチャ美味かった。――そんな経験をさせてやれば、実物を見せることが出来ない豆板醤に対しても前向きに取り組んでくれるはずだ。
「そのために、ロレッタ!」
「はいです!」
「落花生を剥けっ!」
「さっきから、かなり剥いてるですよ!? お兄ちゃんが食事してる時も、なんならこの会話の間もずっと剥き続けていたですよ!?」
ロレッタのちまちました努力のおかげで、ボウルにちょろっとピーナッツが溜まっていた。
普通の成果だな。もっとこう、「えっ、もうこんなに!?」みたいな展開にはならないものか……ならないのがロレッタなんだよな。
「お前はホンット普通だな」
「普通やめてです! 結構頑張ってるです!」
頑張ってコレだから普通だと言っているんだ。
「ジネットにやらせてみろ。二秒で全部剥き終わるぞ」
「そんなことないですよ!? 無理ですからね!?」
「とか言いつつも~?」
「無理ですよ!? ほら、もう二秒経ってますから!」
過度な期待をかけてみたのだが、あわあわするだけで一向に手が進まなかった。
しょうがない。普通に剥くか。
「じゃあとりあえず、全員二十個ずつ持て」
山のようにある落花生を、各々に二十個ずつ配る。一つのテーブルを四人で囲み、落花生を手に持つ。
「一番最初に全部剥いたヤツが優勝だ」
「わぁ! なんだか面白そうですね」
「……ふっふっふっ。実はマグダは、落花生剥きが得意」
「すでに十数個剥いている、経験者のあたしに敵うと思ってるですか? 経験者の力、見せてやるです!」
なんだか、うまい具合にノッてくれた。
まぁ、とりあえずはピーナッツバター分あれば問題ないだろう。
「んじゃ、レディ……ゴー!」
俺の合図とともに、全員が一斉に落花生を剥き始める。
甘い……甘いぞ、お前ら!
中学時代、落花生にハマって毎日のように食べていたために「落花生の王子さま」と呼ばれたこの俺に敵うなどと、本気で思っているのか!?
王子の本気、見せてやるぜっ!
「むーきむきむきむきむー!」
「お、お兄ちゃんが気持ち悪いくらいに早いです!?」
「……はぁぁああっ!」
「むぁぁあっ!? マグダっちょ! 『赤モヤ』はダメですよ!? 何ちょっと出そうとしてるですか!?」
「よいっしょ……よいっしょ……」
「店長さん、遅っ!? ビックリするくらいに手際が悪いです!?」
「むきむー! むきむー! ……出来た!」
「変な掛け声なのに、本気で速いです、お兄ちゃん!? ただなんで最後がいつも『むー』なのか気になるです!?」
「……ロレッタの妨害が入らなければ、マグダが勝っていた」
「あたし、そんな悪いことしてないですよ!? 普通のこと言っただけです! むぁあ! 自分で普通って言っちゃったです!?」
「はい。わたしも終わりました」
「みんなにつっこんでる間に、店長さんにまで抜かれちゃったです!?」
一人ギャーギャーと騒ぎ、まったく手が動いていなかったロレッタ。
こいつは大体そんな感じだよな、いつも。
「負けたヤツは、殻掃除」
「罰ゲームあったですか!? もう一回! 今度は集中してやるです!」
「……うむ。珍しくロレッタと意見があった。四年に一度の奇跡」
「そんなに意見食い違ってないですよね、いつも!?」
「……再戦を希望する」
「わたしもやりたいです。楽しかったです」
「しょうがねぇな……まぁ、胸を貸してやってもいいぜ」
「お兄ちゃんが、たった一回の勝利ですごく尊大な態度に!?」
「もしくは、胸を一日貸し出してくれると嬉しいぞ」
「あ、いつものお兄ちゃんです。なんかホッとするです」
そんな感じで、落花生早剥き競争は、結局六回戦まで行われ、一回目でコツを掴んだジネットが驚異的な伸びを見せ、三回戦以降誰も太刀打ちできないスピードを見せつけ四連勝したところで終了となった。
覚醒ジネットには誰も敵わない。……なんかもう、マジックみたいだもんな、最後の方。
かくして、大量のピーナッツが用意できたので、俺はそれを使ってピーナッツバターを作った。
砕いたピーナッツをすりこぎで潰して、摺って、ペースト状にして、砂糖とバター、それにほんの少しだけオリーブオイルを混ぜていく。
フードプロセッサーの偉大さを再認識しつつ、真夜中に差しかかる頃に完成させた。
マグダとロレッタはすでに眠っており、ジネットだけが手伝ってくれていた。
試食は、明日だ。さすがに疲れた。
明日はこいつでアッスントと交渉だ。
まぁ、うまくやるさ。
殻剥きとすりこぎでパンパンになった腕をさすりながら、俺は眠りについた。
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