「それじゃあ、そろそろ始めようか、『遅咲き、春のパン祭り』を」
エステラの言葉に、ナタリアをはじめ給仕たちが会場に散りスタンバイを整える。
今回のパン祭りの会場は大広場だ。
大通り近辺の連中も「イベントがない」とぼやいていたからな。今回は大広場を貸し切ってパン祭りの会場とした。
丸一日かかってしまった運動会とは違って、今回は二~三時間程度で終わるイベントだ。大広場を占拠しても特に大きな問題は起こらないだろう。
パンは種類ごとに露店を構え、無料配布される。
店先でどれにしようかと悩まれては回転率が落ちる。
なので、どれが食いたいかを決めてからそれぞれの露店に並んでもらう。店の番をしている者はもらいに来た客にパンを渡すだけでいい。子供にでも出来る簡単なお仕事だ。
とはいえ、混乱は予想されるから給仕たちはピリピリしているけどな。
今回パンを提供してくれたゲラーシーとリカルド、双方から簡単な挨拶をもらい、最後にエステラが「存分に食べて楽しんでほしい」と締めくくってパン祭りはスタートした。
開会宣言と同時に露店の前に行列が出来る。殺到する人の波を整列させるべく声を張り上げる給仕たち。
すげぇ勢いだ。バーゲンか、はたまた初売りの福袋かというような勢いで人が露天に群がっていく。
それだけ、新しいパンが注目されているということか。
「この様子では、あっという間になくなりそうだな」
人々の勢いに、ゲラーシーが頬を引き攣らせる。かろうじて笑顔をキープしているが、圧倒されているのが隠し切れていないぞ。
「シスターを満足させるどころか、領民たちですら物足りないと感じるかもしれないな」
大量に、それはもう大量にパンを持ってきたゲラーシーだったが、それでもまだ見積もりは甘かった。
そりゃそうだ。何人いると思ってんだよ、領民。
それに、よく見れば四十二区の住人ではない者も大勢混ざっている。
おそらくは二十九区と四十一区の連中なのだろう。領主が参加するということで、エステラが広く門戸を開け放って迎え入れていた。
「うまー!」
「やばっ! これ、やばっ!?」
「どんだけー!」
などと、絶賛の声が上がって……つか、もうちょっとまともなコメントはなかったのか?
注目する場所を変えてみる。
「噛めば噛むほど口の中に小麦の香りが広がって……」
「まるで草原を吹き抜ける風になったよう」
「このメロンパンも、メロンの風味が生きていて、美味しいですねぇ」
なんか、ワインの評価みたいになってるが……とりあえず、メロンパンにメロンの風味はねぇよ。
「好評のようだね」
人々の反応を見て、エステラが満足そうに頷く。
「こんなにいい物をずっっっっっと隠し持っていたのかい、君は?」
「ふん。提供してやる謂れがなかったからな」
「感謝するよ、その『謂れ』が出来てくれたことに」
そうまでしてでも、俺はパン食い競争が――並んで揺れるおっぱいが見たかった!
「ベルティーナさんに、それにソフィーにシスターバーバラ。懇意にしているシスターが困っていたら、君は手を差し伸べずにはいられないもんね」
「はぁ? 俺が人助けでレシピを教えたとでも思ってんのか?」
「思うのは自由だろ?」
「自由だが不愉快だから訂正しろ」
「なら訂正するよ。ボクと、ボクの領地の民たちのためにありがとう」
「自惚れんな」
くすくすと笑うエステラ。
誰がお前のために骨を折ったか。そもそもお前は飛んでも跳ねても揺れないんだから、パン食い競争とは無縁の存在なんだよ。いわば、パンから最も遠い存在と言える。
「俺はまぁるくて柔らかいもんが好きなだけだ」
「ふふふ。なるほど、君らしい回答だね」
何がそんなにおかしい?
……にやにやすんな。
「けれど、これで教会も文句を言わなくなるだろうね。『外周区の売り上げが落ちたからなんとかしろ』って、無理難題を吹っ掛けられることもなくなりそうだよ」
売れなくなったんなら、自ら行動を起こせっての。
企業努力で乗り越えろってんだ。
まったく、施されて当然だと考えやがって。
そんな教会に逆らえないのが貴族というものだ。領主であればなおのこと。
特にエステラは、「外周区でパンが売れなくなったのは四十二区が妙な食い物を生み出し広めたせいだ」と遠回しに言われていたらしいから、この情報提供で大分立場的にも楽になったことだろう。
発案者は極秘でも、どの区からの提案であるか程度は教会の連中には分かる。教会の外部には漏れないが、内部の、特にイヤミを言ってくるようなお偉い方の耳には入ることだろう。
恩を売れたなら僥倖。まぁ、よくて『チャラ』ってところかな。
教会ならそんなとこが関の山だろう。どうせ。
なんにせよ、これだけ評判が良ければ『パンが売れない』なんて事態はもう起こらないだろう。
エステラがイヤミを言われることもなくなる。
「ありがとね、ヤシロ」
「感謝ならさっきしてたろうが、『謂れが出来たことに~』って」
「うん、それはもちろんだけど」
俺の前に来て、まっすぐに俺の顔を覗き込んでくる。
「君のおかげで、厄介な悩みが一つ解消されたんだ。だから、個人的に、君に、ありがとうと言いたかった。これはただのエステラとしてのお礼だよ」
そんなことを俺に言えば、恩に着せられてあとあと面倒くさい見返りを期待されかねないってのに……清々しい顔しちゃってまぁ。
「厄介な悩み……か。エステラ。菓子パンに豊胸効果は無……」
「もう。言うと思ったよ」
ぽすっと、エステラの拳が俺の胸にぶつかる。
ぶつかったまま、ぐりぐりと手首がひねられる。なんだよ、くすぐったいな。
「君は、人の感謝を素直に受け取る練習をした方がいいよ」
「うっせぇ……くすぐったいから、やめろ」
言って、エステラの手を払いのける。
そうだよ、くすぐったいんだよ。……そんなまっすぐな目で見られるのはな。いつもみたいに悪態でも吐いてろっての。
あくまで俺の野望の『ついで』でお前の悩みが一つ解消されただけに過ぎない。
ただの副産物だ。オマケだ。
いちいち有り難がるな。
「パン食い競争、すっげー楽しかったなぁ~っと」
「まだそんなことを言うのかい? いい加減『どういたしまして』って言ってごらんよ? ほら、この口でさ」
意地の悪そうな顔で言って、エステラが俺の両頬をつねって引っ張る。
やめろ、こら。
ほっぺたをみょぃんみょぃんさせんじゃねぇよ。
「「イチャイチャすんな」」
並んで立つリカルドとゲラーシーに、呆れたような顔で言われた。
イチャイチャなんかしてねぇわ。
エステラが一方的に絡んできてるだけだ。
ふん。
「あ、ルシア。メロンパンがあるぞ。二つほどもらってきたらどうだ?」
「やっ、やかましいわ! 二つも食べられるか、戯けめ!」
「いや、二つくらい食えるだろう」
「女は小食だからな」
ルシアの焦りの意味が分からないゲラーシーとリカルドがルシアの過剰反応に首を傾げる。
で、リカルドがまた余計な一言を零す。
「あぁ、またあれか。女特有のダイエットとかいう……」
「あ゛?」
ルシアの一睨みでリカルドが石化した。
怖ぇ。ルシア、石化睨みのスキルを習得してたのか。コカトリスみたいなヤツだ。
「……コカトリス」
「人を奇妙な名で呼ぶな、カタクチイワシ」
どの口が言う。
ルシアはダイエットなんか必要ないような体型ではあるが……まぁ、面と向かって「ダイエットか」はないよな。
石化したリカルドを見ながらゲラーシーがため息を吐いていた。
姉がいる分、ゲラーシーの方が女性の扱いはマシ、なのかねぇ? 知らねぇし興味もないけど。
無礼男を黙らせて、ルシアが人差し指を立ててご高説を垂れる。
「メロンパンはカロリーが高いからな。食べ過ぎるわけにはいかんのだ」
「ほぅ、カロリーなんて言葉をどこで覚えたんだ?」
「イメルダ先生のもとでだ」
「何があったんだよ、あいつの家で!?」
なに師事してんだ。
スタイルで言えば、(胸を除けば)ルシアだって全然負けてないだろうに。
「先生は四十二区に来てから胸が成長した実績の持ち主だからな。体型管理に関していろいろ教示を受けたのだ」
「いや、ルシアさん……ボクの区の人たちと仲良くなってくれるのは嬉しいんですけど、領主が一ギルドの令嬢に師事するというのはさすがに外聞が……」
「実は、この二泊の間に私も2ミリほど成長してな」
「えっ!? ヤシロ、本当!?」
「どれ……なっ!? た、確かに2ミリ成長している!?」
「イメルダ先生ー! せんせーい! 先生は何処ー!?」
「落ち着かれよ、ミズ・クレアモナ! 先ほどミズ・スアレスに言った言葉を思い出すのだ」
「……っていうか、服の上から目視で2ミリの変化に気付けるテメェが怖ぇよ、オオバ」
騒ぎ出すエステラに得意げなルシア、エステラを宥めるゲラーシーに驚愕の表情をさらすリカルド。
賑やかなヤツばっかだな、領主ってのは。
さて、領主のそばにいると俺まで同類だと思われるから、ちょっと会場を見て回るか。
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