「ジネットの料理は美味いんだ。ここのリフォームも、ジネットの料理と引き替えだったからな」
「えっ!? そうなんですか!?」
まぁ、料理プラスアルファだったけど。
「それに、俺がここにいるのも、たぶん、ジネットの料理がきっかけだったしな」
モリーが家族を思い出していたからだろうか。
そして、とても幸せそうな笑みを浮かべていたからだろうか。
俺も少しだけ親方と女将さんのことを思い出していた。一緒に住んでいたあの家の風景、女将さんの料理、親方の工場の油の匂い……
だから、ガラにもなく昔のことなんかを語りたくなったのかもしれない。
相手がモリーだってのも理由だろうか。
四十二区の領民でないモリーになら、別に話してもいいような気がした。
「初めて食べたのがクズ野菜の炒め物でな。クズ野菜をありきたりな調味料で味付けした、安い料理なんだが……、それが美味くてなぁ」
一口食べて、女将さんを思い出したんだ。
思えば、二口目からは夢中で食べていたっけな。
親方たちがいなくなってからこの街に来るまで、口に入れる物の味なんかまったく分からなくなっていたのに。
あのクズ野菜の炒め物は心底美味かった。
「俺が持ち込んだ料理じゃなくて、ジネットの料理を食ってみれば、さっきモリーが言ってた優しい料理ってのを実感できると思うぞ。あいつの料理は美味いだけじゃなくて胸のこの辺がじんわり温かくなる味なんだ」
初めて食べるのに懐かしい。
大層な料理じゃないのにご馳走だと思える。
そんな料理がジネットの料理なんだ。
「ちょっと、持ち込み過ぎたって……思っててな。正直なところ」
それは、以前から思っていたことだ。
俺が持ち込んだ料理はどれもしっかりと利益を上げてくれている。ジネットも楽しんで作っている。
けれど、それは『陽だまり亭らしさ』をどんどんと削り取っていってしまっている。と、そんな気がしてならないのだ。
「特に、あんドーナツやカレードーナツは悪手だった」
「悪手って……今日だってすごく売れてましたよ?」
「どんなに売れても、ジネットが作ったものじゃないだろ?」
ドーナツは誰にでも作れる。
今日売れたのだって、マグダとロレッタが作った物だ。
あの二人も陽だまり亭の店員だから、あいつらが得意な料理がメニューに並ぶのはいい。
けれど、それが主力になるのは違う。
「陽だまり亭は、やっぱりジネットの料理がメインじゃなきゃダメなんだよ」
「……あの、ヤシロさん。もしかして、なんですけれど……」
モリーが言いにくそうにこちらを見ている。
ここまで話したんだ。その質問には正直に答えてやってもいい。
どうせ、他には誰もいないのだから。
「あんドーナツのレシピを公開するのって……」
「利益のためだよ。そう言ってるだろ?」
「でも、利益は……下がります、よね?」
「下がるのは売上だ。利益とは違う」
利益ってのは、金だけを指す言葉じゃない。
「ジネットが嬉しそうににこにこ笑って料理をして、そんな料理が好きだってヤツがここに集まってわいわい楽しげに飯を食う。それが、陽だまり亭にとっての一番の利益になるんだよ」
金なら、他の方法でいくらでも稼げる。
けれど、陽だまり亭のあの雰囲気、空気は他の方法では得られない。
ジネットが嬉しそうに笑っていて、ジネットの料理をみんなで食べなければ得られない貴重なものなのだ。
「稀少な物には価値が出る。それが誰かにとって特別な物であれば尚更だ」
ジネットにとっての陽だまり亭は、祖父さんとの思い出の場所であり、今では気心の知れた仲間が集うかけがえのない場所だ。
金で手に入れられるものではないし、金で手放せるものでもない。
「それを取り戻せるなら、あんドーナツの独占で得られる微々たる売上なんかどうってことないんだよ。稼ぎたきゃ、次の戦略を練ればいいだけだからな」
今日みたいに、ジネットが料理を出来ずにしょんぼりするようなことがあっちゃならない。
こんな事態になるまでそこに気が付けなかった自分が情けないよ。
「ジネットは、ちょっと忙し過ぎるくらいがちょうどいいんだ。他のヤツが見たら呆れるくらいにたくさんの料理をして、一人でも多くの客に『美味い』って言われる。その方が、きっとジネットは喜ぶ」
そして、ジネットが喜ぶなら――
「それが、陽だまり亭にとって最大の利益になる。だろ?」
だから、あんドーナツのレシピくらい公開してもいいのだ。
公開すればいつでも食えるようになるしな。封印するわけじゃない。ならいいじゃないか。
あんドーナツやカレードーナツは、ジネットが作りたいと思った時に必要な分だけ作る、その程度で十分だ。
「……ハチミツのせいかな。ちょっと口が滑り過ぎた」
空になったカップを流しに置いて、モリーへと笑みを向ける。
少々凄んで、逆らえない呪いをかけておく。
「だから、モリーは今聞いたことを誰にも話すなよ? な?」
この笑顔で言い聞かせれば、大抵の人間は頷いてくれる。
少々引き攣った顔で。
だが、モリーはふわっと柔らかい笑みを浮かべた。
「私も、はちみつのせいで口が滑るんですけれど……、ヤシロさんって、私の好きな人に似てます」
ん?
モリーの好きな人?
……似てるってことは、俺じゃないよな?
…………誰だ? 地味に気になるぞ。
なんだろう、モリーみたいな大人しいしっかりした娘に好きな男がいるなんて……ちょっと、ショック。え、まだ早くない? 大丈夫? 悪い男に騙されてない?
「モリー。その男について詳しく話してみなさい」
「ぅへ!? む、無理ですよ、そんなの!」
顔を真っ赤に染めて、モリーが両手をぶんぶん振る。
あぁ……これ、マジなヤツだ。
うわぁ……ショックだぁ。
「でも……ヤシロさんも秘密を聞かせてくれましたし……お互いに秘密ってことなら……ヒントだけ、なら…………」
そう言って、空のカップを俺のカップの隣に並べて置いて、モリーがこっそりと耳打ちしてくる。
「ヒントは……砂糖大根、です」
それで限界を迎えたのか、モリーはダッと駆け出し、廊下を「みしみしみしっ!」っと鳴らして飛び出していった。
えぇ……あいつらのうちのどっちかなの…………?
すげぇ、意外。
つか、モリー。
あいつらに似てるって、それ、悪口。
まさかの相手にめまいを覚える。
中学生英語の教科書みたいな口調で「HAHAHA!」と笑うアリクイ兄弟の顔が脳裏に浮かんで心がげっそりする。
……どこが似てるんだろう。教えてほしい。全力で直すから。
「……俺も寝よ」
洗い物は明日にして、廊下へと出る。
モリーが飛び出していったドアは開けっ放しだった。
……あれ?
そういえばモリーが飛び出していく時、ドアを開ける音ってしたっけ?
もしかして、たらいの水を捨てに行った時からずっと開いてた?
…………じゃあ、さっきの家鳴りは……?
「…………まさか、な」
一瞬脳裏に浮かんだイヤ~な予感を必死に振り払い、引き攣る頬をぐにぐに揉みつつ、俺は中庭へと出た。
二階を見上げると、どの部屋も窓が閉まっていて明かりも漏れていない。静まり返っている二階の内、中庭から見て右側の一番広い部屋へと視線を向ける。
ジネット、もう寝てる……よな?
「………………寝よう」
そうそう悪いことは起こらない。
そんな偶然が重なることはない。
自分にそう言い聞かせて、俺は階段をゆっくりと上がっていった。
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