十二月十六日。地面をアイスピックでつつこうにも、地面が一切見えない銀世界。
誰だ、こんな世界を構築しやがったのは……
「わは~! 雪の上を歩けるですよ~!」
「……沈まない」
みんなで作ったかんじきを履き、ロレッタが大はしゃぎしている。マグダは一歩一歩確認するように雪の上を歩いている。
「すごいですね、ヤシロさん。雪に足が取られないなんて、魔法みたいです」
ジネットが目をキラキラさせている。が、こんな古来よりの伝統が魔法呼ばわりされるとはな。北関東以北の人はビックリだろう。
「まるで、雲の上を歩いているようです」
ぎゅぃっ、ぎゅぃっと、雪を踏みしめながら歩くジネット。心なしか、足取りが軽やかに見える。
「そりー!」
「ひくー!」
「笠地蔵のマネっ子やー!」
弟たちが、食材を載せたソリを引いている。
車輪で動く荷車は使えなくとも、ソリならいける。雪上の運搬に、これ以上の重宝する物があるだろうか。
つか、笠地蔵の話、広まってんのか?
「……寒い。ヤシロ、抱っこ」
「雪の上でふざけんじゃねぇよ」
「……大真面目」
「…………もうちょい頑張ってくれ」
俺はお前みたいに体力に自信があるタイプじゃないんでな。
寒いのはとことん苦手なようで、マグダはずっと大人しい。多少はかんじきに興味を示してはいるが、はしゃぎ回るようなことはしない。弟たちは三人で協力してソリを引いてくれている。
「わっほ! わっほ! 雪、恐れるに足りずでぇ~っす!」
……なので、ロレッタ一人が大はしゃぎしているわけだ。
「お前も少しは手伝え!」
「わぶっ!?」
拳大の雪玉がロレッタの顔面に命中する。
ふむ。やっぱり俺の肩はまだまだ健在だな。さすが、ハンドボール投げクラス記録保持者だ。
「むゎっ! やったですね、お兄ちゃん!」
ロレッタが瞳をキラリと輝かせて特大の雪玉を作り始める。
が、俺の隣には「どんくさい」の代名詞、ジネットが歩いているのだ。俺がよければ確実にジネットが雪玉の餌食になる。
「……ジネットに当てたら朝ご飯抜きな」
「はぅっ!?」
雪玉を取り落とすロレッタ。あぁ、無残……雪玉はパッカリと割れて小さな塊となり果てた。
「か、帰ったらリベンジです!」
「あぁ、帰ったらな」
どうせ客も来ないんだ。雪合戦でもして遊ぶとしよう。
畑の前に差しかかるも、当然モーマットは出てきていない。
この雪じゃ、畑仕事も不可能だろうからな。
俺は、畑に積もったまっさらな雪の上に飛び降り、足跡で『モーマットのバ~カ』と書いてやった。
「……もう、ヤシロさん」
道へ戻ると、困り顔のジネットに諭された。
まぁまぁ。これくらいの遊びはいいじゃないか。
「どうせ、俺が書いたってバレやしねぇよ」
「いや、たぶんソッコーでバレるですよ」
自信たっぷりにロレッタが言う。なに、お前モーマットの生態に詳しいの? モーマット博士なの?
ふと見ると、マグダがロレッタにくっついている。
耳がぺた~んと寝て、元気がない。
「マグダ」
「………………むぅ」
返事も最小限だ。相当つらいらしい。
「教会に着いたら、いい物作ってやるから。もうちょい頑張れな」
「…………むぅ」
ぺったりと寝てしまった耳を手で覆うように温めてやる。
耳が冷たいのってつらいんだよなぁ。
噛み合わせが痛くなってくるよな、耳が冷たいと。
「ヤシロさん。先ほど準備されていたのは、その『いい物』なんですか?」
「ん? あぁ。教会のガキどもも喜ぶと思うぞ」
かんじきとソリ作りに時間を食われるかと思いきや、弟とロレッタののみ込みが早く、丸投げすることが出来た。
なので、俺はあいた時間で『いい物』の準備に取りかかったのだ。
もち米を蒸して、小豆を茹でた。
「あとはこれをもう一度煮込めば、お汁粉になる」
「おしるこ……というのは、スープなんですか?」
「スープ……と、言えばスープか」
お汁粉のポジションってどこらへんなんだろうな?
自動販売機に入ってるから『飲み物』と言えなくもないし、『スープ』と言われればそうかもしれないが……やはりどちらもしっくりこない。
お汁粉は結局『お汁粉』なのだ。それ以上でも以下でもない。
そういえば、昨日の川遊びにパーシーは大量の砂糖を持ってきてくれていた。……もしかしたら、これは賄賂なのかもしれない。……ネフェリーとうまくいくように仲を取り持てって感じの……ま、言われてないから知ったこっちゃないけどな。
そんなわけで、お汁粉の準備は万端なのだ。
餅は、ついている時間がなく、おはぎみたいに軽く潰しただけの簡単なものになったが……まぁ、美味さに違いはないだろう。
これでマグダが元気になってくれればいいのだ……がっ!?
「マグダっ!?」
突然マグダが雪の中に倒れ込んだ。
前のめりで、バターンと。
「どうした? 限界か?」
慌てて抱き起こすと、マグダは小刻みにぷるぷる震えていた。
これは、まずいんじゃないのか!?
「……は、はな……」
「花?」
マグダが震える声で言う。
なんだ? 何が言いたいんだ?
「……鼻を、かぷって……してほしい」
「………………は?」
「………………して、ほしい……」
鼻を、かぷ?
「……鼻を、かぷってすればいいのか?」
「………………そう」
「………………臭いぞ?」
「……平気」
いや、歯磨き粉とかないしさ、一応口をゆすいだりはしてるけど…………え、マジで?
「…………ヤシロ……」
いつもの無表情ながら、どこか弱々しい瞳で俺を見上げてくる。
俺の服を掴む手に力が入る……が、いつものマグダからは想像も出来ないような弱々しさだ。
こいつがしてほしいと言っているんだ。きっと、何か意味があるのだろう……
何より、こんな状況でふざけるとも思えない…………
「分かった。じゃ、じゃあ……行くぞ」
「…………」
すぅ……と、息が漏れただけだった。
なんだか、今にも眠ってしまいそうだ……そのまま目を覚まさない感じの眠りに……
嫌な想像に、一瞬背筋が冷える。
鼻をかぷってすることになんの意味があるのかは分からない。分からないが……
「………………かぷ」
俺は、そっとマグダの小さな鼻を噛んだ。
ちょっと、キスするみたいでドキッとしたが、相手はマグダだ。間違って唇が触れても、子供だからセーフと言える。
さぁ、鼻をかぷってしたぞ。……これで、どうなるんだ?
――と。
ゾクゾクゾクッ! と、マグダの身体が振動した。
水に濡れた後、犬が水しぶきを飛ばすような、人間には真似の出来ない、あの超高速振動だ。
な、なんだ?
そんなに臭かったか、俺の口!?
「…………ママ」
「……え?」
マグダがギュッと俺にしがみついてくる。
俺の胸に顔を埋めて頭をこすりつけてくる。
マグダの腕に、力が戻っている。
「…………にゃあ」
小さく鳴いて、動きが止まる…………
「………………はぅっ」
突然耳がピンと立ち、ぴるぴるぴるっと小刻みに震え、そしてまたピンッと立つ。
耳は、俺の方を向いている。
「……マグダ?」
「……ちょっと………………待って」
俺の胸に顔を押しつけ、なんだかもじもじと体をよじる。
落ち着きなく、忙しなく、グリグリと頭をこすりつけてくる。
「…………ママ親に甘えるような真似を…………恥ずかしい……」
どうやら、照れているようだ。
……で、ママ親って……
「…………マグダ、もう大人なのに」
「まだ未成年だからセーフだろ」
どうやら、極度の寒さに精神の方が参っていたようだ。
心細かったのかもしれない。
鼻かぷをした後、マグダの腕にはしっかりとした力がこもっている。
もしかしたら、マグダたちトラ人族にとっての鼻かぷとは、親が子にする愛情表現の一環なのかもしれない。で、そうされた子供は頭をこすりつけたり、柔らかいところを揉み揉みしたりするわけだ。今、マグダが俺にしているように。
「…………大人になれば、こんなことは……なくなる」
どうも、マグダ的に今のこの甘えん坊モードは恥ずかしいらしい。
普段から割と甘えてきているような気もするが……頭をこすりつけたり、俺の腹をぷにぷに揉んだりするのは初めてか。……なんか、止まらないっぽいな、これ。
「…………でも、今は未成年だから……」
「はいはい。そうだな」
「…………ヤシロだから」
「はいはい」
「………………ありがとう」
「ん」
こいつは、もしかしたら雪に嫌な思い出でもあるのかもしれない。
トラウマが蘇ると、急に意識を失ったり倒れたりすることがあるらしいしな。
まぁ、追及するつもりはないが、気には留めておこう。
で、こいつがおかしな行動を取っていたら、こうやって甘えさせてやろう。
こいつにはきっと、そういうもんが絶対的に足りていないんだ。
そうしていれば、こいつもいつかは……馬鹿笑いしたりするようになるのかね。ちょっと見てみたい気がするな、それは。
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