異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

25話 どうしようもないお人好し -3-

公開日時: 2020年10月24日(土) 20:01
文字数:3,894

「おい」

 

 気付けば、俺は一家に向かって声を発していた。

 その声を俺は、突き刺すようなとても荒々しい声だなと……けれどどこか憂いを含んでいる声だなと……まるで他人事のように感じていた。

 

 一同の視線が俺に向けられる。

 

「今、腹いっぱいってことは、ここに来る前にたらふく食ってきたってことか?」

 

 ジネットたちは、突然のことに何事かと言わんばかりの表情を見せる。

 そんな中で、今しがたの驚きよりも、現在進行形で引き摺り続けている絶望感を色濃く見せているヤップロックとウエラー。その二人に、俺は端的に問いかけた。

 瞬間、二人の視線が宙を泳ぐ。

 

「そ、それは……」

「食べてきたってことだよな? 腹いっぱいならよ」

「え……あ、はい、まぁ…………」

「へぇ、そうか……」

 

 俺はまっすぐに腕を伸ばし、ヤップロックとウエラーに人差し指を向ける。

 

「『精霊の……』」

「ヤシロさんっ!?」

 

 ジネットが慌てて俺の前に体を割り込ませ、それと同時にエステラが伸ばした俺の腕を乱暴に掴みひねり上げる。

 

「君っ! 今、何をしようとしたんだい!?」

「ヤシロさん、それはあまりにも酷いですっ!」

 

 酷い?

 誰がだ?

 俺か?

 …………違うだろう。

 

 日頃から鍛錬でもしているのか、俺の関節を決めるエステラの動きに無駄はなく、力も強かった。

 だが……男には、負けられねぇ時に負けねぇための意地がある。

 ひねり上げられた腕を振り払う。

 そして、自由になった腕でしょぼくれた顔をさらすヤップロックの襟元を締め上げる。

 

「ふざけんなよ、大馬鹿野郎!」

 

 どうしてそんな言葉を言ったのか、俺にはよく分からなかった。

 ただ、言わずにはいられなかったのだ。

 

 今、俺を突き動かしているのは脳みそではない。

 腹の底から突き上げてくる、激しい怒りだ。

 

 

 

 

『なんの心配もいらないよ』

 

 

 

 

 不意によみがえった懐かしい声が、俺のタガをぶっ壊しやがった。

 

「何が『大丈夫』だ!? どう大丈夫なのか言ってみやがれ!」

「ヤシロさん! 乱暴はダメですよ!」

「下がってろジネット! こういうバカは、きちんと言ってやらなきゃ分からないんだ! 分かってないことにすら気付きゃしねぇんだよ!」

 

 睨みつけると、ジネットが肩を震わせ、俺から少し遠ざかる。

 本能が恐怖したのだろう。脳内で『こいつは危険だ』と、警告が発動されたのだろう。

 

 俺は再び視線をヤップロックへと向ける。

 怯えた目が俺を見つめ、だが、何も言い返そうとはしなかった。

 

「今日初めて会って、ほんの十数分見ただけではっきり分かったんだが……お前、バカだろう?」

 

 俺の作った宣伝シャツを手放しで褒めた後、こいつは「ウチも、それくらいのアイデアがあれば」と呟いた。そして、「あんなことには」とも。

 アイデアは他人から授かるものではない。

 こいつはとことんまで他力本願なのだ。「あんなことには」だと? その「あんなこと」がどんなことかは知らん。何かしらとんでもない壁にぶち当たったのだろう。

 そんな時に、「それくらいのアイデアがあれば」なんて、タラレバを抜かしてるのが他力本願である証拠だ。

 壁にぶち当たった時にするべきことは、妄想でも現実逃避でもない。壁を超えるか、ぶち壊すか、諦めて別のルートを探すかだ。

 

 なのにこいつはとどまりやがった。

 高い壁を見上げ、「自分に羽が生えていれば」とありもしない想像に逃げやがったのだ。

 

 その結果が、このザマだ。

 

「おい、オッサン。お前は最初から最後まで、徹頭徹尾間違ってるぞ」

 

 家族四人で、一番安いクズ野菜の炒め物を一人前しか頼めないような状況で、なぜそんな選択肢を選ぶ?

 

「金が無くて、飯が食えないんだよな?」

「い、いや…………」

「バレてるぞ。息子にも、しっかりとな」

「………………」

 

 バレていることに気が付いていて、それを気付かないフリで笑って誤魔化していたのだろう。

 誰のためにだ?

 息子のためにか? 心配かけたくないから? は? バレてるのに、なに言ってんだ?

 

 違うよな。

 自分のためだよな。

 

 惨めな自分が、これ以上惨めにならずに済むように、自分を責めて、他人から責められないように防衛線を張っているんだよな?

 

「テメェは父親だろうが! 金がないなら、テメェが働くしかねぇだろう! 飯が一人前しか買えないってんなら、嫁と子供の分までぶんどって、まずはテメェの腹を満たせ! そして、死ぬ気で働いて四人分の食費を稼いでみせやがれ! 今我慢させた分、しっかりと贅沢させてやるのが父親のやるべきことだろうが! 違うか!?」

 

 テメェが飢えて、テメェが犠牲になってどうする。

 それでテメェの寿命を縮めて、さっさとくたばって……残された子供が幸せになるとでも思ってるのか?

 テメェが死ねば、神様が同情して子供たちに慈悲を与えるとでも?

 

 残念だったな。

 神は自分から進んで人助けなどしない。

 立ち上がることを知らない弱い者は、立ち上がる方法を教わらないまま野垂れ死ぬだけだ。

 

「テメェがやろうとしてんのは、自分の責任を子供に押しつけて、圧しかかる重みから逃げ出す行為だ。死んで救われるのは死んだ本人だけで、死者が負うはずだった重責は残された者にそのまま圧しかかるってこと、お前、理解してねぇだろ?」

「…………私は………………」

 

 ヤップロックの口がわなわなと震える。

 小さな口から漏れ出る息は、今にも消えそうなくらい弱々しかった。

 

「もう死ぬしか道がないと思ってんなら、真っ先に子供たちを殺してやれ」

「そんなこと……っ!」

「出来ないよな。最愛の子供の未来を奪うなんてこと、出来っこねぇよな。……だがな、テメェがこのまま野垂れ死んだら……断言してやる、この子たちの未来は一生暗いままだぞ」

「…………そんな」

 

 ヤップロックの視線が子供たちへと向けられる。

 テーブルの向こうでウエラーは声を殺して泣いていた。

 

 親が責められている光景を目の当たりにして、子供たちは泣くかと思ったのだが……意外にも、二人とも静かに座っていた。……そんだけ、こいつらの日常が壊れていたってことなんだろうな。

 子供はいろんなものをよく見ている。

 もうダメだってことを、きっと感じ取っていたのだろう。

 

 

 …………やるせねぇ。

 

 

 強く締めていた襟を解放すると、ヤップロックはよろけるように椅子へへたり込んだ。

 力なくうな垂れ、放心している。

 

 絶望の淵に立たされた時、自分の足で立ち上がれる者はそう多くない。

 だが、そんな時に、ちょっとしたきっかけをくれる誰かがいれば、意外と人は踏ん張れたりするのもまた事実だ。

 目的地を告げられず、延々とマラソンをさせられるのはつらい。

 だが、42.195キロだろうが100キロだろうがなんだっていい、明確なゴールを示されれば完走することだって不可能ではないのだ。それがあり得ないくらい長い距離だとしてもな。

 目的地が見えているだけで、進むべき方向が示されているだけで、人は、信じられないくらいに強くなれる。

 

 だからもし、今この場にどうしようもないお人好しがいて、そのきっかけを与えてくれたりしたとすれば……それはこの一家がとても幸運だったということだろう。

 運不運ってのは、ままならないものだよな、まったく。

 

「ジネット。トマトとチーズを用意してくれ」

「……え?」

「あと、玉ねぎとニンニク……バジルがあれば最高なんだが」

「えっと……はい、それならあると思います」

「コショウは?」

「……香辛料は…………値段が」

「そうか。じゃあまぁ、とりあえず、あるものは使わせてもらうぞ」

「はい。でも、ヤシロさん、一体何を?」

「ん? ナンとピザを作るんだよ。さっきからそう言ってるだろう?」

「え………………あの、ヤップロックさんたちのことは……?」

「は? 知るかよ。俺には関係ねぇもん」

「ですが……」

「俺は俺のやるべきことをやるんだよ。ただまぁ……表に出ちゃマズいものを結構大量に作ることになるからなぁ…………余ったヤツを処分してくれるヤツがいると、助かるんだけどなぁ……」

「……ヤシロさん……っ!」

 

 なんだよ。

 そんな嬉しそうな顔すんなっつうの。

 俺はもともとナンとピザを作るつもりだったんだよ。

 出来た料理をどうするかまでは、考えてなかったけどな。

 

「ま、腹減ってんなら食ってけば?」

「…………あの、いいんですか?」

「無理にとは言わん。ウーマロ、お前はどうする?」

「いただくッス!」

 

 即決。

 この図々しさこそが、人生を成功に導く秘訣なのかもしれない。

 

「マグダは?」

「……食べる」

「エステラ?」

「……君って、本当に不思議な人だよね」

「え? 『そんな胸を大きくする作用もないものは食べたくない』?」

「誰も言ってないよ、そんなことは! 食べるよ! 食べるに決まってるだろう!?」

 

 余計なことを言うからそういう目に遭うのだ。

 お前もいい加減学習しろ。

 

「ベルティーナさん」

「取り分が減ったのは誠に遺憾です」

「……あんただけですよ、不服そうなの」

 

 このシスター、本当にこのままでいいのだろうか…………

 

「じゃあ、もうしばらく待ってろ。結構時間かかるからな」

 

 言って、俺は厨房に入る。

 まずはナンを焼きつつトマトソースを作る。

 カレーはまだ、こっちの世界でお目にかかっていない。なので、ナンもトマトソースで食うことにする。

 

 ニンニクと玉ねぎをオリーブオイルで炒め、香りがついたら角切りにしたトマトを入れてひと煮立ちさせる。塩コショウで味を調えたいところなのだが……コショウ、か。

 

「特別だぞ、まったく」

 

 因縁の香辛料を一つまみだけ使ってやる。

 この一つまみで数万円の価値があるってのに……かぁ、泣けてくるね、自分の馬鹿さ加減に。

 

 

 なんでムキになっちまったのかな…………

 

 

 トマトソースのいい香りに包まれて、そんなことを考えていた。

 ま、答えなんか出やしなかったけどな。

 

 

 

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