「……いい、とは?」
落ち着いた声で、端的に問う。
それが、ヤシロ様の望む反応。
期待も不安も見せず、ただ、事務的に。
「今は、お前に会いに来たんだ」
「そう……なのですか」
……いけない。
ここで喜ぶわけにはいかない。
エステラ様の記憶はまだ戻っていない。
きっと他にも、まだ記憶が戻っていないことを不安に思っている方がいるはずです。
それを……
自分の順番が早く回ってきたからと…………主を差し置いて、先に来たからと…………ヤシロ様に大切に思われている順なんじゃねぇの? ぷぷー! ぺったんこザマァ、などと…………
「ひゃほほいっ!」
「うん……俺、お前のそういう素直なところは割と嫌いじゃないけど……場を弁えろ?」
はっ!?
思わず取り乱してしまいました。
いけませんね。
ヤシロ様に会ってから……彼のあまりに自由な生き方が羨ましくて……そして、堪らなく眩しくて……
ずっと憧れ続けて……
…………伝染してしまいましたね。
「申し訳ありません。ヤシロ菌が体中に転移して、もう手遅れかもしれません」
「人のせいにすんな。あと『菌』って言うな」
こんな、軽口を叩き合える人が現れるなど……考えてもいませんでした。
「私の名前は、まだ思い出せませんか?」
単刀直入に尋ねる。
どうも、回りくどいのは好きではないようです。
ヤシロ様に出会ってから、新しい自分を次々発見して、戸惑ってばかりですが……
「お前はまっすぐだな」
「おっぱいですか? 失敬ですね。この見事なカーブが見えないのですか?」
「なんでそうなっちゃったんだろうな……この一年で」
ヤシロ様も、私が変わったと思っているようですね。
そんなに、分かりやすく変わったのでしょうか?
「前から割と大きかったんですよ?」
「うん。そこじゃないんだ、話の論点」
違うのですかっ!?
「ま……まさか……そこまで重篤だったなんて……っ」
「おっぱいを健康のバロメーターにするのやめてくれるかな? おっぱいの話をしてない時もあるから」
「『精霊の……』っ!」
「揉むぞ、こらっ!?」
「あぁ、やはりヤシロ様ですね。少し安心しました」
「俺は不安になってきたよ……お前の将来が……」
こんな会話は、おそらく他人から見れば「くだらない」の一言で済んでしまうのでしょう。
ですが、私にとっては……
「ふふ……」
堪らなく楽しいひと時なのです。
こうしている間は、ヤシロ様の心を独占できている――そう思えるから。
何より、ヤシロ様が私を忘れていない証拠にもなりますから。
「ヤシロ様は私にご用がおありだということですよね?」
「あぁ。まぁ、用っていうか、ダベりに来たんだよ」
「そうダベか」
「うん……お前の思考って、俺の求めてるものを掠って、物凄く遠くへ行っちゃうんだよな」
きっと、一緒にいて飽きないと思いますよ。
私があなたに対し、そう思っているように。
「では、私が話題を提供しても構いませんか?」
「おう。何か面白いことでもあったのか?」
「実は、我が主が『重曹で揉めば大きくなる!』とかいう噂を聞きつけ、明らかにおかしいだろうという量の重曹を浴室へ持ち込み、案の定排水管を詰まらせ、私たちにバレないように手近にあった棒でガッコンガッコン排水管を突っつき倒し、物の見事に水漏れを発生させたせいで現在館内の給仕たちが総出でその修復にかかっているという傍迷惑なエピソードはどうでもいいのですが……」
「どうでもいいことでお前んとこの主が赤っ恥かかされてる件について、何か言及したいことはないか?」
「特に」
「ないんだ……」
そんな、日常の一コマはどうでもいいのです。
ただバラしたかっただけなんです。
それよりも……
「覚えていますか? 私とヤシロ様が初めてお会いした日のことを」
「あぁ。たしか……この場所だったな」
クレアモナ家の正門。
そう。
私はこの場所で、初めてヤシロ様に出会った。
日が暮れてからの訪問に、私は最初ヤシロ様を警戒していました。
それも、最上級の。
その後、エステラ様と会談されている様を見て…………
「二度ほど、本気で刺してやろうと思いました」
「あれぇ、おかしいなぁ。俺は四度ほど殺されるかもって思ったんだけどな」
「大丈夫です。ヤシロ様は毒入りの雨水などでは死なないと、私は信じています」
「お前の信頼と俺の心肺停止にはなんの因果関係もないからな? つか、毒まで入ってたのか、あの雨水!?」
「あぁ、『毒』というと聞こえが悪いですね……『強制終了飲料』といったところです」
「うん、毒だね。それもたぶん猛毒だ」
「これでも、領主を守る給仕長ですので」
「あん時のお前は、ただ単純にあいつに近付く男が気に入らなかっただけだろうが」
「とんでもない! 純粋に、胡散臭い目をした不審な男を始末しようと思っていただけです!」
「物凄くきっぱりと俺の心抉りに来るよね!?」
ふふ……あぁ、なんて楽しいのでしょう。
ヤシロ様と向かい合っていると、次々に言葉が生まれては唇を滑り落ちていきますね。
その度に心が弾み、世界が幸福に包まれていく、そんな気がします。
本当に、不思議なものです。
あの頃は、エステラ様に近付く悪い虫だと、ただただ敵視していましたが……
はて、いつからこうなったのでしょう……
私が、ヤシロ様を敵視するのではなく、心を開くようになったきっかけは…………
「――っ!?」
思い出して、顔が熱くなりました。
そう……あれは、大雨が続き、仕事が立て込んでかなり無理をして……私は体調を崩した。
そして、それを彼に見抜かれて…………おでこに手を……
「――っ!?」
……ちょっと間を置いて……
「――っ!?」
「なにビクビクしてんだよ、さっきから!?」
仕方のないことです。
言いようのない、これまでに感じたこともないような感情が体の奥底から湧き上がってくるのですから。
なんでしょう……なんでしょう、この感じ。
自然と頬が緩むくせに、どこか不安で眉が下がる……
恥ずかしくて顔が見られないのに、どうしても顔が見たい…………チラッ。
ぎゃああ、ダメだ! ダメです。今はちょっと、無理です。
「ヤシロ様。顔を取り外して、埋めてください」
「なんだろうなぁ、お前の暴言って予想外の角度で飛んでくるよなぁ」
言葉を投げれば返ってくる。
それがいかに『特別』なことか。
私にとっては……
給仕長たる私は、呼ばれるまでは物を言わず待機をし、無駄な言葉は発さず、求められるものに答えるのみ……
それが、あなたは……
私の望みを、いつも叶えてくれる。
話しかければ返事をくれる。
いつしか、その笑顔を見るために、私は言葉を探すようになっていました。
なんと言えば、あなたが笑ってくれるのか。
なんと言えば、あなたに喜んでもらえるのか。
なんと言えば、……あなたが私を見つめてくれるのか。
そんな言葉探しが、私の日常となり……それ以上に、あなたにもらった言葉を思い返す時間が増えました。
『会話記録』など必要ありません。
あなたの言葉は……いつもこの胸の中で、何度も何度も繰り返し私に語りかけてくれるのです。
「悪いな」と、気遣うように。
「ありがとな」と、はにかみながら。
「頼むな」と、信頼を込めて。
誰かを助けるための裏方。サポート。
それが私の領分。
頼られることが、何よりも幸せ……
たとえ、それが何かの陰に隠れていようとも。
見つめてもらえることが、なかったとしても……私は…………
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