異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

154話 ミリィのお部屋 -2-

公開日時: 2021年3月13日(土) 20:01
文字数:4,086

「ぁ、ごめんなさい…………それで、その……でりあさんにね、お願いに行ったの」

 

 こほんと、可愛らしい咳払いをしてミリィが話を戻す。

 水汲みが重労働となり、無理をきたし始めたのでデリアに相談に行った……おそらく、水路に関する内容なのだろう。

 

「川の水面が水路より高くなるようにしてほしいって……」

「あの……」

 

 話の途中で、ジネットが恐る恐る手を上げる。

 

「こんなことを聞くのは、もしかしたら常識知らずなのかもしれませんが……水路って、川の水が流れ込んでこないような場所に作られているんですか?」

 

 川の水面が水路よりも低くなったという点に疑問を抱いたようだ。

 なぜ、いつ何時も水が流れるようにしておかないのか、と。

 

「水路は川に直接繋がっているよ。ただ、水が流れ込む入水口が川底よりも随分高い位置に設けてあるんだ」

「それはなぜなのでしょう? 川底と同じ高さにしておけば、水不足の際にこのような事態は防げるのではないんでしょうか?」

 

 ジネットの疑問はもっともだ。

 だが、ジネットは実に単純で、とても重要なことを見落としている。

 

「ジネット。これまでに水不足になったことは何度くらいあるんだ?」

「え? えっと…………わたしの知る限りですと、今年が初めてかと…………あ」

「そう。そういうことだよ、ジネットちゃん」

 

 四十二区は、去年まで毎年水害に悩まされていた。

 雨季になれば毎年嫌になるほど大量の水が二十九区から落ちてきて、雨と合わさりすべてを水没させていたのだ。

 

「入水口を川底の高さに合わせていたら、毎年の水害はもっと酷いものになってしまう。土を掘ることは簡単だけど、一度掘った水路を埋めることは難しいからね」

 

 一度掘り返し埋め直した土は、元よりも柔らかくなる。

 ここの川みたいに流れの激しい川にさらされ続ければいつか決壊してしまうだろう。

 簡単な水門を取り付けるとか、手段はあるだろうが……今年、突発的に起きた水不足のためにそこまで思い切った改革は取れない。

 また、現在は曲がりなりにも雨期なわけで、いつまた去年のような大雨に見舞われるか分からないのだ。

 試しに水路を深くしてみた結果、深刻な水害を招きましたなんて、冗談では済まない。

 

「それに、水路を深くすれば、その分川の水が流出してしまうことになるから、やっぱり慎重にならざるを得ないんだよ」

 

 川の水位が下がれば川魚に悪影響を及ぼすだろう。

 一度壊れた生態系を元に戻すのは困難を極める。下手に手を加えることは、極力避けた方がいい。

 

「そうなんですか……すみません、短絡的な意見を言ってしまって」

「いや、そこは誰もが最初に考えることだから気にしなくていいよ。ボクも、そういう提案をしてナタリアに指摘された口だから」

 

 エステラとジネットはそう歳が離れているわけではない。なら、エステラにとっても、水不足は今年が初めて経験することなのだろう。

 知識がないことは恥じることではない。知らなければ覚えればいいのだから。

 無知を無知のまま放置し、あまつさえ無知に気付かない者の方がよっぽど恥ずかしい。

 

「ではもしかして、ミリィさんも同じようなことを?」

「ぅん……けどみりぃたちは、水路を深くしてほしいっていうことじゃなくて……」

 

 そこで、ミリィの瞳が揺らいだ。

 小さな、サクランボのような唇がキュッと結ばれる。

 

 デリアに言われたことでも思い出したのか、今にも泣き出しそうな表情になってしまったミリィ。

 なんとか涙をこらえ、ゆっくりとその時のことを、言葉にしていく。

 

「ギルド長さんはね、他の、水路を使うギルドさんとも協議してから決めようって……言ってたの…………なのに、みりぃ……ギルド長さんが倒れちゃいそうで……怖くて……」

 

 きっとミリィは独断で行動を起こしたのだ。

 そして、それを悔いている。

 

「みりぃ……でりあさんなら、すごく優しいから、誠意をもってお願いしたら、きっとわかってくれるって思って…………」

 

 知り合いという『特権』を期待してしまったことを。

 それは、気楽に使えるようでその実諸刃の剣だ。

 

『知人』だからこそ、他のヤツよりも明確な線引きが出来なければいけない。

 

 お互いがプロであるなら、なぁなぁで済ませることは出来ない。そんなことの方が多いのだ。

 

 ジネットなら、ミリィに「ご飯を食べさせてほしい」と言われれば喜んで作ってやることだろう。

 では、「ギルドの人も一緒に、毎日三食よろしく。ついででしょ?」なんて言われたらどうか?

 

 おそらく、ジネットをもってしても、それは受け入れられず断るしかないだろう。むしろ断らなければいけないことだ。

 こちらの『厚意』を当然の『権利』として受け取られては、利益が一方的に食い潰されることになる。

 他人の『厚意』は無料ではないことをしっかりと理解しなければいけない。

 無料ではないものを『無料にしてもらっている』――そのことを、絶対に忘れてはいけないのだ。

 

「……みりぃね、でりあさんに言ったの……『水路に水が流れなくて困ってるから、水位を上げてほしい』って」

 

 ミリィが拳を握る。

 その時の自分を許せずに非難するように。

 

「……水位を上げるために、川を一時的に堰き止めてほしい……って」

「堰き止める……ですか?」

 

 ジネットが俺とエステラを交互に見る。

 その視線に答えたのはエステラだった。

 

「実はそれは、モーマットも訴えていたことでね……『完全に塞ぐわけじゃなく、川底に岩を積み上げて一時的に川の流れを抑制してほしい』って」

 

 川下に岩を積み上げ、川幅を狭くする。

 そうすれば海へと流れ出ていく水の量を減らすことが出来、一時的に中腹部の水位は上がる……と、そういう提案らしい。

 

 だが、それは――デリアを最も怒らせる案だ。

 

「ぅん……みりぃも同じことを言ったの…………そうしたら、でりあさんが、すごく怒って…………今まで見たことないくらいに…………怖くて……」

「え、っと……でも、完全に塞ぐわけではないんですよね? それも一時的ということは、いつかは元通りに戻すんですよね? ……何か、問題があるんですか?」

 

 まぁ、ジネットは知らないかもしれない。

 ミリィも、もしかしたらエステラも知らないかもしれない。

 

 川の流れを堰き止めるということは……

 

「鮭が帰ってこられなくなる」

 

 俺の言葉に、ジネットは目を大きく見開き、ミリィは俯いた。

 ミリィのあの反応……ミリィは知っていたのか? それとも、デリアとそういう話をしたのかもしれないな。

 なんにせよ、状況を分かりやすくするために説明をしておいてやろう。

 ジネットが、詳しく知りたいと、熱心な瞳をこちらに向けているからな。

 

「以前話したかもしれんが、鮭は一度海へ出て川へと帰ってくる魚なんだ。その鮭が通る河口を塞いでしまうと鮭は帰ってこられなくなる」

 

 この街の鮭は年がら年中遡上してくるようだし、今もなお何匹もの鮭が川を上ってきているのだろう。

 

「帰ってくる鮭が減れば、川で卵を産む数も減る。卵の数が減れば鮭そのものの数が減り……まぁ、そういうことだ」

 

 鮭は自分の生まれた川へと戻る。

 四十二区の川で生まれる鮭が減れば、四十二区に戻る数も減る。

 最悪の場合、いなくなってしまう可能性もある。

 

「明確にいつまでと確約できない状態で河口を塞ぐわけにはいかない。デリアはそう思っただろうな」

「……毎日毎日、『今日も帰れなかった鮭がいるんだ』と思うと、心が苦しくなりますね」

 

 デリアの思いを想像し、同じ苦しみを共有するジネット。

 デリアは鮭が好きだが、その好きはただ単に『好物』という枠を超え、この川で幼い頃からずっと一緒に育った特別な存在という域にまで達しているのだ。デリアを見ているとそう思わされる部分が多々ある。

 あいつ、たまに鮭と一緒に泳いでるしな。

 

「鮭は一途な魚でな。なんらかの理由で河口が塞がったとしても、懸命に故郷を目指して遡上してくるんだ。水位が極端に低くなったせいで川底に体をぶつけて傷だらけになっても、たとえ水がなくなり陸に打ち上げられたとしても、生まれた川を目指して遡上し続けるんだ」

 

 無計画な堰のせいで川の生き物が数を減らす……なんてことは過去よくあったことだ。さすがに、近代の日本ではそうそうなくなったが……

 四十二区で無計画に河口を塞いだりすれば、それと同じようなことが起こりかねない。

 

「鮭が頭のいい生き物で、細くなった河口を行儀よく整列して遡上してきてくれるなら、話は簡単なんだがな」

 

 自然界の生き物はそう思うようにいってはくれない。

 

「ミリィたちが必死になって森の花や木を世話して、はらはらしながら見守って、何かある度に手を打って……それと同じことが川でも起きているんだよ」

「…………ぅん」

 

 ミリィの声が涙に詰まる。

 責めるつもりはないのだが……ここで下手に話を有耶無耶にするのはかえってよくないかもしれない。

 

「災害に遭っても、人間が生き残れるのは知恵があるからなんだ。それを持たない者たちは、人間が守ってやらなきゃいけない。な、分かるよな?」

「ぅん……みりぃ、必死になりすぎてて、自分のことしか見えなくなってた……かも」

「大丈夫だよ、ミリィ。こういう時、必死になるのはみんな同じさ」

 

 うな垂れたミリィの髪にエステラが触れる。

 小さな触角が揺れて、静かに垂れる。

 

「必死になって、前しか見えなくなった人たちを、ちゃんとぶつからないように誘導するのが領主であるボクの仕事なんだ。ここからは、ボクたちに任せてくれないかな?」

 

 あれ?

 今、ボク「たち」って、さらっと俺も入れられた気がするんだが?

 

「それに、ヤシロはミリィを責めるつもりで言ったんじゃないよ」

「ぅん。それは、わかってる……てんとうむしさん、優しいから……」

 

 まだ微かに俯いたまま、ミリィが顔をこちらに向ける。

 頭の上の大きなてんとうむしの髪飾りが揺れる。

 

「みりぃに、謝るための勇気をくれたんだと思う……みりぃも、ずっと謝りに行きたいって思ってて……でも、なかなか、出来なくて……」

 

 人に謝るというのは勇気がいることだ。

 そのきっかけが掴めないまま引き摺るのは、精神的にもよくない。

 

 ミリィが疲れきっているのは、そんな心の疲れが影響しているのかもしれないな。

 

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