「これからお風呂に行くのね」
ゲラーシーの失言でネタバレしてしまった。
ルピナスレベルになると、失言を誤魔化すなんてこと出来るはずもない。
相手の失言こそ耳聡く聞きつけ、しっかりと記憶するのが貴族だからな。
「はい。大きなお風呂なのできっと母様は驚かれますよ」
下手に隠すのではなく、情報を開示するカンパニュラ。
だが、その顔が物語っている。
「母様が想像されているお風呂の何倍も大きいから、きっと驚かれますよ」と。
ネタバレしてしまったなら、敢えて隠さず情報を小出しにする。
人は想像する生き物だから、何も考えるなと言っても勝手に結末を想像してしまうのだ。
きっと、ルピナスの頭には、広いお風呂が想像されているのだろう。
ひなびた温泉宿の露天風呂サイズか、ローマ風呂サイズか……
だが、四十二区の大衆浴場はその想像を確実に超えていくだろう。
風呂と聞いて湖を想像するようなへそ曲がりでもない限り、あの規模の風呂はまず想像しない。
カンパニュラ、うまい誘導の仕方だ。
……なんだか、ちょっと詐術の基礎を教えたくなってきたぞ。
カンパニュラなら、きっと一流の詐欺師になれることだろう。
……うん、ルピナスとデリアに滅されるな、そんなことすると。
やめとこ。
「なんじゃ、風呂かい」
一方のタートリオは明らかにがっかりしている。
「ワシは風呂が好きでなぁ。自慢になるが、我が家の風呂はかなりデカいぞい。いまだかつて、我が家の風呂よりデカい風呂など見たことがないぞい」
「へぇ、そうなのか! 実は俺も広い風呂が好きでな。よかったら、コーリン家の風呂の話を聞かせてくれるか?」
「ん? ……まぁ、よいが。その代わり、これから行く風呂がみすぼらしく見えても文句を言うでないぞい?」
タートリオのように、すでにワンランク上のいい物を知っている場合、どうしても驚きという部分ではまったく情報を得ていない者に比べると数段落ちてしまう。
その数段が「な~んだ」というがっかり感を生む。
自分の知識と比較して、こちらが勝っていたとしても「まぁ、比べれば多少はこっちの方がいいかもな」みたいな、どこか斜に構えた感想になってしまって100%素直に驚くことが出来なくなるのだ。
なぜなら、四十二区の風呂がタートリオの家の風呂のライバルになってしまっているからだ。
これから比較しようという物は、無意識で敵対心を向けてしまう。
そして、人とは基本的に負けず嫌いで自分と自分の居場所が好きな生き物だ。
無条件でまだ見ぬ、思い入れも何もない場所や物に、自分のお気に入りが負けているなんてのは、なかなか受け入れられない。
それはたとえば、ラグジュアリーファンのお嬢様たちが、ケーキを売り始めた陽だまり亭に「なんだか気に入らない」という感情を抱いた時のように。
なので、そういう相手には「え、そうなの!?」と驚いて見せ、そちらの話題に食いついてみせるのが効果を生むことが多い。
「わざとらしい」と思われるくらいオーバーなのは逆効果だと思われがちだが、なかなかどうして、人というのは持ち上げられることと、自分に興味を抱いてもらえることが大好きなのだ。
偏屈な大人ほど「わざとらしい」と顔をしかめるくせに、「それでそれで、どうなったの? もっと話を聞かせて!」という態度を取られ続けると「……しょーがないなぁー」と満更でもない顔をさらすのだ。
とかく、人とは単純な生き物なのである。
そして、懐いてくる相手に対しては「こいつ、可愛いなぁ」なんてことを思いがちで、そう思ってしまった相手は『ライバル』から『味方』『身内』へとカテゴリーが変更される。
そして、そのような偏屈者は一度心を許した相手にはとことん甘くなる傾向が強いので、最初「比較して、仮に負けていても簡単には認めてやるもんか」と頑なだった感情が「じゃあ、お前の方も見てやろうか」と柔和な感情に変わり、柔和な感情で見た『ビックリするような光景』は手放しで「すごいな!」と言えてしまうものなのである。
そうして、俺の作戦はまんまと功を奏する。
「ほぉー! これはまた、見事なもんじゃぞーい!」
広い大浴場にジジイの声がこだまする。
声音は『上機嫌』。斜に構えることもなく、素直にこの大浴場を楽しんでいると分かる口調だ。
「お前はすげぇなぁ、ヤシロ」
タートリオの態度の変化を傍で見ていたハビエルが、呆れたような感心したような顔で言ってくる。
「デミリーでも、これくらいのことはやってのけるぞ」
「そうか? いや、まぁ、アンブローズならそうかもな」
エステラの父親よりも付き合いは短いとはいえ、やっぱりハビエルとデミリーは親友なのだろう。
デミリーのことをよく分かっているような口ぶりだ。
「とりあえずハビエル。ゲラーシー、あ、間違えた、そこのバカをサウナに放り込んでくれるか?」
「間違えておらんかったろうが! 誰がバカだ!」
やかましい、バカ。
ネタバレしやがって。
お、ちょうどいいところに木こりが。お前ら、ゲラーシーが入った後、サウナのドアの前に座っててくれるか? ドアが決して開かないように。
オメロがいればその役を任せるのだが、オメロはデリアの殺気を浴びたので二~三日は目覚めないだろう。……惜しい男を亡くしたものだ。
「ほっほー!? これはなんじゃぞい!?」
「あぁ、オモチャだな」
「これは子供らが遊ぶのかの?」
「いや、ワシもたまにここで遊んでるぞ」
豪快に笑うハビエル。
ガキに混ざるなよ。
「これもまた、『リボーン』には載っておらぬのか……」
「まだ、な」
ようやく少し落ち着いたが、大衆浴場はまだまだ混雑している。
四十二区内で客が捌き切れていない状況だ、外に向けての宣伝をする段階ではない。
「きっと情報紙だったら、完成と同時に……いや、企画が持ち上がった時点で記事にしておったぞい」
「『リボーン』は四十二区だけのものじゃねぇし――」
四十二区で起こったあれやこれやを書いて紙面を埋めるわけにはいかない。
今は素敵やんアベニューの宣伝にも力を入れたいし、四十区や三十五区を蔑ろにしないように特集記事も組まなきゃいけない。
スポンサーは大切にしなきゃな。
「――まだまだ他に書くことがあり過ぎるんだよ」
俺が言うと、ハビエルが豪快に笑った。
「確かに、全部を書くには『リボーン』の紙面は小さ過ぎるよなぁ」
訪れる度に何か新しいものに出会える街だと、ハビエルはそんな風に四十二区を評した。
そこまで極端な改革はしてないけどな。
「次は何が出てくるんだっていう、この楽しさが四十二区なんだ」
「なるほどのぅ」
なぜかハビエルが自慢げに四十二区の宣伝をしている。
お前も移住してくる気じゃないだろうな?
危険過ぎて妹たちが外出できなくなるだろうが。
え、ハビエルが妹を襲うとは思えないって?
あっはっはっ、分かってねぇな。
……ハビエルが襲われかねないんだよ、怖ぁ~い木こりのお嬢様にな。
「くぅ……、悔やまれるぞい」
タートリオが厳めしい……やりきれない表情を見せる。
「ワシがまだ情報紙を動かせたならば、四十二区の特集を組んだというのに……情けないぞい」
自分には、もうその力がない。
それが分かっているから、なおのことそう思うのだろう。
むしろ、自分には出来ないからこそ、素直にそんなことが口に出来たのかもしれないが。
なんにせよ、タートリオは四十二区に興味を持ち、そして好印象を抱いた。
当初の目的は達せたな。
あとは、交渉だ。
エステラと合流してからと思っていたが――
「乳は揺れる隙に突けって言葉もあるし」
「鉄だな、熱いうちに打つのはよぉ」
ハビエルの呆れたような声をスルーして、俺はタートリオに営業用スマイルを向ける。
あぁ、そうだ。営業だ。
「なぁ、タートリオ。情報紙の運営、お前一人でやってくれねぇか?」
「……は?」
萎れていた顔がこちらを向き、驚きに目を見開く。
だが、こちらを見る瞳の奥にはいまだ燃え尽きることのない闘志が見え隠れしていた。
ほら、やっぱさ、『BU』の連中にとって情報紙ってのは慣れ親しんだ生活の一部じゃん?
それをなくしちまうってのは反動がすごいんだよ、どーしてもさ。
だ、か、ら☆
骨抜きにしてこっちに都合のいい組織に作り替えちゃおうと思います。
「どうだ? 俺と手を組まないか?」
ニヒルな営業スマイルを向ければ、萎れても枯れない野心家の瞳がこちらを見つめて、はっきりと頷いた。
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