バロッサ・グレイゴン。
ウィシャートと繋がり、かなり偏った視点で世論を煽るように作為的な記事を書き連ね、四十二区の足を引っ張り続けていた元情報紙発行会のド三流記者。
かつて情報紙発行会の会長を務めたテンポゥロ・セリオントが情報紙発行会を乗っ取り好き勝手やっていた時に、同じ虎の威を借りてふんぞり返っていた女記者だ。
あまりに酷い偏向記事に業を煮やしたマーゥルに呼びつけられてもなお、自分の非を認めず、最後の最後まで不遜な態度を改めなかった、ある意味大したヤツ……と、言えなくもない。一切リスペクトする気が起こらないけどな。
そんなド三流――いや、もう記者でもないから何流もないか――バロッサが、イベント開催中の運動場へ怒鳴り込んできた。
どんな獣道を匍匐前進してきたのか、全身は薄汚れてボロボロだった。
目を血走らせて奇声を上げたバロッサを見て、エステラがため息を吐く。
「どういった用件かな、ミズ・グレイゴ――」
「その名前を口にしないで!」
エステラの言葉を遮り、バロッサは身を屈めて辺りをきょろきょろと警戒する。
そして、語気は強いままだが潜めた声で言う。
「あんたに話があるのよ! それから、アタシのことはバロッサって呼んで」
「……分かったよ、バロッサ」
「ちょっと。『ミズ』くらい付けなさいよ」
「君はボクを『クレアモナ』と呼び捨てにした気がしたけれど?」
「…………チッ。まぁ、いいわ」
お前がいいか悪いかを決めるんかい。
立場を弁えろよ。すでに貴族じゃなくなった、ただのバロッサ……いや、統括裁判所に狙われている、犯罪者の親族か。
「とにかく、今はイベント中なんだ。話なら場所を移して――」
「あらあらっ! ここじゃマズいのかしらぁ?」
なぜか勝ち誇って、バロッサが吠える。
「まぁ、そうよね! 汚いやり方で叔父様を嵌めたんですものね。領民には聞かれたくないわよねぇ~」
ぐるりと、運動場にいる人々の顔を見渡す。
「『微笑みの領主様』だっけ? ……ふんっ! なに笑ってんだって感じだけど、でもそうね、折角いい印象が付いてるんだもんね? 悪印象とか、付けられたくないわよね?」
「何が言いたいんだい、君は?」
「だぁ~かぁ~らぁ! あんたの悪事をバラされたくなかったら、アタシに協力しなさいっつってんのよ! 察し悪過ぎじゃない、マジで!?」
一応、脅しているつもりらしい。
というか、そうか、こいつはそんな勘違いをしているのか。
「ボクが、一体どんな悪事を働いたと?」
「え、なに? それって脅してんの? 強気に出て、こっちがビビるとでも思った? あははっ、マジウケるんですけど」
運動場で、ただ一人、バロッサが笑う。
「だから、具体的には、どんな悪事なんだい?」
「いいっていいって、強がらなくて。だって、さっき慌てて場所を変えようとしたじゃん? それってさ、ここで話されちゃマズいことがありますーって自白したようなもんっしょ? 自爆ってんですけどー! ウケる!」
エステラを指さして声高に笑うバロッサ。
なんてことだ……人はここまで盲目になれるものなのか。薄ら寒さを感じるレベルだ。
世界が自分を認めないからと、自分に心地よいものだけを見続けていると、世界と自分の間に大きな隔たりが出来ていることにすら気が付けなくなるのだろう。
「自分は間違っていない」「自分が正しい」――その妄想から軸足をズラせないから、真っ当な世間の流れから外れて、道を逸れてしまうのだろう。
エステラが場所を移そうと言ったのは、保身のためなんかじゃない。
あいつは、いつだって、誰が相手だって、変わらずに甘ちゃんなのだ。
エステラが場所を変えようと言ったのは――
「言っちゃっていい~のかなぁ~? 化けの皮、はいじゃってもい~ぃの~かな~ぁ?」
「言ってみろよ!」
まるでげんこつで殴り飛ばすような強い語気で発せられた言葉に、バロッサが身をすくめる。
視線を動かし、おのれを睨むクマ人族の美女の迫力に「ひっ!」と声を漏らす。
「エステラがどんな悪いことをしたのか言ってみろ! でもな、もしそれがエステラを悪く言いたいだけの嘘だったら、あたいがお前をぶっ飛ばすからな!」
デリアが燃えるような瞳でバロッサを睨みつける。
それに呼応するように、周りにいた者たちが口々に声を上げる。
「テメェ、ウチの領主様になんて口の利き方してやがるんだ!」
「おい! こんなヤツの話なんか聞くまでもねぇ! ボッコボコにしてやろうぜ!」
「そうだそうだ! どーせ大したことは言ってねぇよ!」
「つーか、よくノコノコと顔を出せたもんだよなぁ!? お前アレだろ? 情報紙で四十二区を悪く書いてた記者だろ!?」
「あぁっ、あの胸糞悪い記事を書いたヤツか!?」
「アレ読んで、俺ぁ、ハラワタ煮えくり返ったんだよな!」
「もういい! やっちまおうぜ、みんな!」
「「「おぉおっ!」」」
――こうなるのが目に見えていたからだ。
エステラはな、お前を守ろうとしてんだよ、バロッサ。
ほとほとあきれ果てるほどに、お人好しの微笑みの領主様だからな。
「な、なによ……っ! アタシ悪くないじゃない! 書けって言われたから書いただけじゃない! それに、全部嘘ってわけじゃなかったし! 悪く書かれるようなことをする方が悪いんじゃないんですかぁ!?」
「なら、アタシらがあんたに何をしたって、ぼこぼこにされるようなことをした方が悪いんさね?」
ノーマが、これまでに見たこともないような冷たい笑みを浮かべて煙管をふかしている。
じり……っと、群衆がバロッサに詰め寄る。
「ち、ちが……っ、ア、アタシらも逆らえなかったの! そうよ! アタシらだってウィシャートの被害者なんだよ! 仕方ないじゃん! 逆らったら潰されるんだからさぁ! それって、アタシらが悪いわけ!? じゃあ、三十一区も『BU』もみんな悪いってことになるけど、それでいいわけ!?」
「論点をズラさないでくれる?」
パウラが吠え、ネフェリーがその隣に立つ。
「四十二区を攻撃してきたのはその人たちじゃなくて、あんたたちでしょ!? 情報紙も、組合も!」
「確かに、三十一区とか『BU』の人たちも、ウィシャートに脅されてたかもしれない。でもね、その人たちはそれを理由にしてあなたみたいな卑劣なことはしなかったよ!」
パウラとネフェリーが揃ってバロッサを睨みつける。
握った拳が震え、昂った感情が涙を滲ませる。
「だって……こいつだって……」
と、バロッサはエステラを指さす。
「こいつのせいで……アタシたちは……叔父様は、組合の役員の地位を剥奪されて……テンポゥロ会長だって…………こいつらが逆らわなきゃ、こんなことになってなかったのにっ!」
「……侵略者が被害者ぶるとは、滑稽の極み」
「そもそも、そっちがウーマロさんや四十二区を攻撃しなければ、エステラさんは絶対あんたたちなんか相手にもしてなかったですよ! エステラさんは、もっと楽しいことをみんなと一緒にいっぱい考えて、この街をどんどん発展させていくことに忙しいんです! 四十二区のみんなは、権力者の足の引っ張り合いになんか関わってる暇なんかないんです!」
これまで、憤りを感じながらも、何度もそれを飲み込まざるを得なかったマグダとロレッタも、この無神経な被害妄想の亡者に正論を突きつける。
「みんな……みんなウィシャートが悪いのに……っ」
ここまで来てもなお、他人のせいだというスタンスを譲らないバロッサ。
そんな濁った眼が、カンパニュラを捉える。
「あっ! ……あんた、知ってるわよ」
がばっと顔を上げ、血走った目でカンパニュラに詰め寄る。
咄嗟にナタリアとテレサが間に入り、その進行を止める。
「あんた、ウィシャートの親族なんだって!? それで、三十区の領主になるんでしょ!?」
ナタリアに体を押さえられながらも、カンパニュラに向かって腕を伸ばす。
ナタリアが拳を握ったところで、カンパニュラから「ナタリア姉様」と声がかかる。「お話を、伺います」と、静かに言ったカンパニュラを尊重し、ナタリアはバロッサを押さえつけるにとどめた。
黙らせた方が、カンパニュラのためだと分かっているのに、よく我慢してるよ、ナタリアも。
「私に、何かご要望がおありですか?」
「何かじゃないっつーの! あんたの親族のせいなんだから、あんたが代わりに責任取るのが筋でしょ!? アタシを守りなさいよ! ううん、それだけじゃダメ! アタシに権力を与えなさい! 後ろ盾になって、手のひらを返してアタシに冷たく当たったあのバカどもに復讐する手伝いをしなさいよ! 散々人のこと利用しといて、都合が悪くなったら切り捨てやがってアノヤロウども! 目にもの見せてやるんだから、協力しなさいよ! して当然よね! あんたたちのせいなんだから!」
ひとしきり喚き散らかされた言葉をすべて聞き、カンパニュラが一つ、息を吐く。
「あなたは、……とても寂しい生き方をされているのですね」
「はぁ!? ガキが知った風な口利いてんじゃねぇよ!」
「その『ガキ』に過分の要求をされていたようですが、それはよいとして……」
そしてカンパニュラは、心底憐れむような瞳でバロッサを見つめた。
「あなたの人生は、なんのためにあるのですか? 世界のすべてを恨み、思い通りにならないことに腹を立て、努力をするでもなく他人にすがる。……それは、自由や権利という枠組みを大きく逸脱しています。それは、傲慢や傍若無人と呼ぶべき行いです」
「黙れぇ! あんたに何が分かんだ、クソガキが! みんなお前らが悪いんだ! ウィシャートが、クレアモナが、統括裁判所が、王族が! みんなあいつらのせいだ!」
ぎゅっとまぶたを閉じたカンパニュラに代わって、静かな声がバロッサの雑言を止めた。
「周りのすべてが間違っていると感じるなら、それはきっと君自身が外れてしまっているんだよ」
エステラが、とても寂しそうな顔で告げる。
「常識や、良識っていう、人が人であるためになくしてはいけない、最低限のモラルからね」
きっぱりと言われ、ようやくバロッサは口を閉じる。
ナタリアの体にもたれるように、地面に向かってずり落ちていく。
「…………だって……だって…………」
地面にへたり込み、俯いて、「だってだって」と繰り返す。
「もう一度だけ聞くよ、バロッサ。何を期待してここまで来たの? ボクに、どうして欲しい?」
明らかに狙われているバロッサが、なぜ危険を冒してまで四十二区まで――エステラのところまで来たのか。
エステラは、最初からずっとそれを聞いていた。
そしてようやく、バロッサはその問いに答える。
「……助けて…………ください……っ!」
涙と鼻水に濡れて、ぐしゃぐしゃになった声が、か細く運動場に零れた。
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