「おとーしゃ、……あえてよかったね」
足元で、小さな声がした。
見れば、いつも元気なテレサが、らしくもなく俯いて立っていた。
俺が注文した肉を盛った皿を持って。
「……あーし、おかーしゃ、……しらないからなぁ…………」
ことっ……と、小さな音を立てて、椅子に皿を置く。
背が足りずカウンターには置けなかったのだ。
いつもなら、なんとか置こうと努力するのだろうけれど。
今は力なく、とぼとぼとその場を離れていく。
「テレサ……」
バルバラが、つらそうな声を漏らす。
「かーちゃん、さ。テレサが生まれてすぐ、死んじゃったんだよな……」
とぼとぼ、とぼとぼと、フロアの中を歩き回るテレサ。
もしかしたら、覚えてもいない母親の姿を探しているのかもしれない。
「会いたい……だろうな、テレサは……かーちゃんに」
「君は、どうなんだい?」
エステラが、寂しげな目でバルバラを見ている。
バルバラは、一瞬ノドをヒクつかせたが、それを隠すように下手な笑顔を浮かべた。
「アーシは、ほら、悪いことばっかしちまったしさ……かーちゃん、会いには来てくんねぇよ……きっと。…………でも、テレサは、いい子だったんだけどな……」
前髪をぐしゃっと握りしめ、親指の付け根でまぶたを押さえる。
唇が震えて、震える息を吐き出す。
「優しい……すっげぇ優しいかーちゃんだったんだけどな…………やっぱ、怒ってんの……かなぁ…………アーシのこと……」
会いに来てくれない。
取り残された子供の不安ってのは、この世の絶望と同じくらい重く暗いものなのかもしれない。
「会いたいなぁ……アーシも…………かーちゃ……」
「テレサちゃん! バルバラちゃん!」
人でごった返すフロアの中で、聞き覚えのある声がした。
ガタイのいいオッサンたちに埋もれるように、真っ白で華奢なオコジョがひょこひょこ歩いてくる。
テレサとバルバラを見つけ、嬉しそうに大手を振っているは、ウエラーだ。
「テレサちゃん、みーつけた」
「……ぉ、かーしゃ?」
「うふふ。一番可愛いオバケさんだったから、すぐに分かったわ」
「…………おかーしゃ!」
テレサが駆け出した。
いろんな大人にぶつかりながらも、一直線にウエラーの胸に飛び込む。
「あらあら、どうしたの? ちょっと疲れちゃった?」
「おかーしゃ! おかーしゃ!」
胸に顔を埋めてぐりぐりこすりつけるテレサ。
普段はおとなしいいい子のテレサの珍しい行動に、ウエラーは驚いた顔を見せる。
でも、しっかりと受け止め、いつもの、穏やかな声で語りかける。
「テレサちゃんは頑張り屋さんだから、お母さん心配だわ。つらい時や、甘えたい時はいつでも言ってね? 約束よ」
「うん! ぅん……! おかーしゃ…………いっしょが、いぃ……」
「うん。わたしも、ず~っと一緒にいたいわ。テレサちゃんと、バルバラちゃんと、トットとシェリルとお父さんと、家族みんなで」
「ぅん……」
小さい手が、ぎゅ~っとウエラーを掴まえている。
よかったな、テレサ。
ちゃんとかーちゃんが迎えに来てくれて。
「バルバラ」
「……ん」
見てみろよ、テレサのあの顔。
すげぇ幸せそうじゃねぇか。
なのに、なんて顔してんだよ、お前は。
そんな顏してんじゃねぇよ。
お前がテレサに与えてやったんだぞ、あの温もりを。
元はお前のわがままだったかもしれないが、それが今、テレサの涙を止めたんだ。
だからよ、お前も笑ってろよ。
「もし、お前らの本当のかーちゃんが、今出てきてたらさ」
「ん……」
「テレサはウエラーに全力で甘えられなかったろうな」
「…………あ」
やっぱ、本当の母親ってちょっと特別なもんだしな。
俺にしたって、女将さんのことはすげぇ大切だけど、本当の母親が目の前に現れたら、どんな行動取るか分かんないし……
「今は一緒にいてくれる家族がいるんだ。まずはそれを大切にしろって、そう言ってんじゃねぇの?」
「そう……かな」
「そうだろ。だから、お前らがもっとしっかり一人前になって、もう大丈夫だって思った時に、ひょっこり顔を見せてくれんじゃねぇかな。知らねぇけど」
ただなんとなく、そんな気がする。
本当に、我が子の幸せを考えられる親ならば。
今この瞬間の幸せより、この先の未来のために。
「お前の言ったとおりだな」
「……へ?」
「お前のかーちゃん、めっちゃ優しいな」
「……ひぐっ! ぇ…………ぇいゅぅう……っ! ぐじゅ……っ! 英雄っ!」
「わっ、おい!?」
バルバラが飛びかかってきた。
俺の胸に腕を回し、テレサがウエラーにしているように、顔面を押しつけてわんわんと泣き出す。
ただ、お前……今、ビキニだからな?
状況考えろ?
ここにはパーシーもいるんだぞ!
「英雄…………えぇ……ぃゆ……ぅぅうううっ!」
「泣くな! つか、離れろ!」
「おんぶオバケだからいーの!」
「これじゃ抱っこだろうが!」
「じゃあ抱っこオバケ!」
お前はテレサと同じ思考回路か!?
脳年齢同じか!?
「英雄……英雄……ぇぃゅ……っ!」
「あぁ……もう、はいはい」
こりゃ、泣き止むまで離れないなと観念して、頭なんかをぽふぽふと撫でてやる。
ちらりと、視線が合ったジネットが、くすっと困り眉毛で微笑んだ。助けてはくれないらしい。
「英雄……アーシ、英雄に出会えてよかった…………英雄…………ありがと」
「へいへい。いいから泣き止め」
「…………あと、もうちょっと……」
「……へいへい」
縋りつき泣き続ける者が数名現れて、周りの者たちは何があったのかと困惑顔だ。
いい晒し者だぜ、まったく……
妙な噂が立たなきゃいいけどなぁ……なんて思っているのが半分。
「Bカップ時、プラス2ミリ」
と、俺の鼻の下の長さを計測してノートに書き記しているミニ丈浴衣の薬剤師にどんなお仕置きをしようかと考えているのにもう半分脳みそを使い、俺は拘束された時間を無為に過ごした。
とんでもないサプライズを仕込み過ぎだよ、ハロウィン。
もっと普通でいいっつの。
けど、今日のこの話が広まれば、来年からはもっと盛大なお祭りになるんだろうなぁ。
そんな予感がしていた。
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