異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

143話 コーヒーの記憶 -3-

公開日時: 2021年2月20日(土) 20:01
文字数:2,982

「ヤシロさん」

 

 どれくらいの時間が経ったのだろうか……どうやら少し眠っていたようだ。

 ジネットが俺の肩を揺すって起こしてくれた。

 

「まだ眠いですか?」

「いや、平気だ。すまん」

「いいえ。コーヒー、淹れましたよ」

「あぁ……悪いな」

 

 ジネットが俺の前にコーヒーを置く。

 そして、俺の隣に一つと、向かいにも一つ。

 

「失礼します」

 

 そう言って、ジネットは俺の隣へ腰を下ろす。

 向かいに置かれたコーヒーは、祖父さんの分らしい。

 

「なんだか、近いですね」

 

 少し照れくさそうに、ジネットが肩をすくめる。

 このテーブルに並んで座ることは何度かあったが、向かいがあいている状態だと、なんだか普段よりも近い気がした。

「えへへ」と、照れ笑いを浮かべるジネットに、照れをうつされた。……くそ。

 

「飲んでいいのか? それとも、祈りを捧げたりするのか?」

「え? あ、どうぞ。召し上がってください。冷めてしまいますから」

「そっか。……じゃ」

 

 なんとなく、カップを持ち上げた後に、祖父さんの席に向かって目礼をする。

 

「あ……」

 

 と、ジネットが微かに声を漏らす。

 

「なんだ? 俺、なんかいけないことでもしたか?」

「いえ……。やっぱり、ヤシロさんって不思議な方だなと思いまして」

 

 不思議?

 

「亡くなった方の魂は、精霊神様のお導きにより天界へ召され、現世にはもう存在しない……というのが精霊教会の考え方なんです。ですから、わたしたちが故人を偲ぶ際は、記憶の中にある在りし日の姿に思いを馳せるんです」

 

 この世界には写真などない。死んだ後は、近しい人間の心の中だけが、唯一存在できる場所となる。

 

「ですので、あまり馴染みのなかった方は、今みたいに敬意を払ってくださることはそうそうないんです」

「この陽だまり亭を作った人なんだろ? そりゃ、敬意くらい払うさ」

 

 この街に来てから経験した、本当にいろんな出来事……そのすべてが、この陽だまり亭から始まっていた。

 この場所の創始者ってのは、ちょっとすごい存在だと思うぞ。

 

「ありがとうございます」

 

 こちらに体を向け、丁寧に頭を下げる。

 顔を上げると、照れくさかったりしたのだろうか、くすくすと笑い出した。

 

「ヤシロさん、オバケは怖いのに、故人の魂には敬意を払ってくださるんですね」

「うるせっ」

 

 照れじゃなく、からかわれていたようだ。こいつめ。

 

「よいしょ……」

 

 体をこちらに向けたせいでずれてしまった椅子を、ジネットは一度立ち上がり、元の位置へと戻す。そして再び腰を掛けたのだが…………さっきより、近くなってない?

 今にも肩が触れそうな距離だ。まだ暗い静かな食堂で二人きり……さすがにちょっと緊張する。

 

「あの……ヤシロさん」

 

 微かに、ジネットの声が震える。ジネットも、緊張とか……しているのだろうか。

 

「少しだけ長くなるかもしれないのですが…………お祖父さんのお話を、聞いていただけますか?」

 

 こちらを見ないまま、ジッとコーヒーカップを見つめて、そんなことを言う。

 こいつが相手を見ずに話すなんてのは珍しい。やっぱ、緊張してんのか?

 

「あぁ、聞かせてくれ」

 

 ジネットが自分の過去を話すのは珍しい。

 それも、聞いてほしそうにするなんてことは、ちょっと記憶にない。

 

 どこかホッとした表情を浮かべて、ジネットはぽつりぽつりと語り出した。

 

「わたしは、九歳の年から、ここにお手伝いに来るようになりました」

 

『九歳の年』ということは、ジネットが九歳になる年……つまり八歳の頃ってことか。

 

「まだ幼かったわたしは、お手伝いどころかずっと足手まといで……お祖父さんの仕事を余計に増やしてばかりでした」

 

 今からは想像もつかないが……八歳の子供ならしょうがないかと思える。

 

「けれど、お祖父さんはいつも優しくて、『お前がいてくれるだけで、店が明るくなるんだよ』と、そんなことを、いつも言ってくれていました」

 

 それでも、そんなことには甘んじず、ジネットは一つずつ丁寧に仕事を覚えていったのだろう。

 

「常連のお客さんも、同じようなことを言って……とても可愛がっていただきました」

 

 その風景が目に浮かぶようだ……

 ジジイが経営する店には、やっぱりジジイやババアが集まるのだろう。そんな中に、懸命に頑張る八歳の少女がやって来たのだ。

 ジジイババアはこぞって可愛がったに違いない。

 

 それが、ジネットの言う『あの頃の陽だまり亭』なのだろう。

 

「それから、なんとか仕事を覚えて、十二歳の年に、わたしは正式にこの家へと迎え入れられました」

 

 十一歳の頃だ。

 今のマグダよりも、一つ年下だったんだな。

 

「とても楽しくて、とても、幸せでした」

 

 ジネットがコーヒーに口をつける。

 ゆらりと上る湯気が空気へ溶けていく。

 

「ずっと、この幸せが続けばいいと思っていました。……いえ、続くと、思い込んでいました」

 

 けれど、別れは突然やって来る。

 

「この家の子になって、一年と少し……あの日、わたしはいつもと同じように買い出しに向かったんです。なんということはない、なんでもない、普通の買い出しでした」

 

 ジネットの顔に、影が落ちる。

 散々泣き尽くして、もう涙も出ない。そんな憔悴しきった表情に、俺には見えた。

 

「買い出しから戻ると……お祖父さんが倒れていました…………」

 

 カチャリと……コーヒーカップが音を立てる。

 

「大量に、血を吐いていて…………わたしは、どうしていいのか、分からなくて……結局、何も出来ないまま、お祖父さんはそのまま…………」

 

 ジネットの唇が……キュッと結ばれる。

 

 …………分かる。

 その時のお前の気持ち…………分かるよ。

 

 何も考えずに毎日を過ごして、当たり前に日常は続くと思っていた。

 今日も明日も明後日も……ずっとずっと変わることなんてないと思ってた。

 

 けれど、それは突然やって来る。

 

 自分が、何も考えずに適当に過ごしてしまった時間を、どれだけ悔やむか。もっと真剣に向き合って、もっときちんと伝えておけばよかった、そんなことがどれほどたくさんあるか。

 

 俺には、分かる。

 

「え……きゃっ」

 

 思わず……

 そう、何も考えずに……

 

 

 俺はジネットを抱き寄せていた。

 

 

 椅子ががたんと音を立て、体は窮屈に折れ曲がっていて……それでも、強く……抱きしめずにはいられなかった。

 

「……ヤシロ、さん?」

 

 耳元で、戸惑ったような声が聞こえる。

 微かに震える吐息が温かくて、少しくすぐったい。

 

「お前が……泣きそうだったから」

 

 そんな言い訳を、口にする。

 そして、ギュッと、腕に力をこめる。

 

「わたしは、大丈夫ですよ?」

 

 諭すように、ジネットが言う。

 けれど……

 

「もう少しだけ……このままで」

 

 もう少しだけで、いいから……

 

「……はい」

 

 静かな囁きが耳を撫で……そっと、ジネットの手が背中へと回される。

 まるで、子供をあやすように、ジネットは俺の背中をゆっくりと撫でてくれた。

 

 …………あ、ダメだ。

 

 

 泣きそうなのは、ジネットじゃない…………俺だ。

 ジネットの話が、そのまま…………自分の過去と重なって…………堪らなくなった。

 

 奥歯を噛みしめ、漏れそうになる息をのみ込んで……ギリギリのところでこらえる。

 呼吸が……乱れる。

 

「大丈夫ですよ……」

 

 囁くような、柔らかい声がする。

 

「もう、一人じゃないですから……」

 

 それは、お前がか…………それとも、俺がか……

 

 

 それからしばらくの間、俺は何も言えずにジネットを抱きしめていた。

 その間、ジネットも何も言わずに、ただ俺に体を預けていてくれた。

 

 

 

 早朝の陽だまり亭は、とても静かだった。

 

 

 

 

 

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