「というわけで、ジネット」
「はい」
向かい合い、しばし見つめ合い、ジネットの笑顔を真正面から独り占めにした後で、俺はジネットのケープに記念のピンバッチを取り付ける。
羽の生えた太陽の形をした記念のピンバッチを。
「なんて書いてあるか、見てもいいですか?」
「ん……」
ケープに着けられたピンバッチをつまみ、そこに刻まれた文字を読むジネット。
それに合わせて、俺からも賛辞を贈っておく。
「ジネット。『ミス太陽の笑顔』グランプリ、おめでとう」
「……っ!?」
短い呼吸音がした。
「ジネット?」
名を呼ぶと、ジネットがこちらを向いて――
「あ、あぅ……」
一瞬で顔が真っ赤に染まった。
「お、おい。ジネット……?」
「あっ、いえっ、あのっ!」
わたわたと手をばたつかせ、意味なく髪を撫でつけ、くるりと背を向けた。
「あ、りがとう、ござ……い、ます」
ぷしゅ~……っと、つむじから湯気が昇る。
いや、なにもそんなに照れんでも……。お前の笑顔は割と褒めてる方だろ?
陽だまり亭にはジネットの笑顔が必要だと、何度かそんなことも言った気がする。
今さら笑顔を褒められたくらいで照れるような理由は……
「あの……わたしが、ヤシロさんと出会って、初めて褒めていただいたのが、笑顔……でしたので」
それは、出会った直後。俺が思わず口にしてしまった言葉のことだろう。
『パイオツ・カイデー』
こいつは、それを『笑顔が素敵』という意味だと、いまだに思っている。
……まぁ、今さら真実は伝えられないよな。
すげぇ喜んでいたし、たまにその言葉に元気付けられたりしているみたいだし……
まさかそれが『おっぱいデカイ!』って意味だと知ったら…………懺悔ではすまないかもしれない。
もっと早く本当のことを言っておけばここまで大事にならずに済んだのだろうが…………うん。墓場まで持っていこう。
「それで、その……こうして、また……改めて、笑顔を評価していただけたということは……あの、違っていたら全然、それはそれでかまわないのですが、でももし、あの……そうだとしたら……なんと言いますか…………」
「くはぁ……」と、締め付けられた気管を押し広げるように息を吸い、喉元を押さえて呼吸を整える。……成功しているようには見えないが。
ゆっくりとこちらを振り返り、そっと俺を見上げてくる。
息苦しいのか、ジネットの両目に涙が溜まっていき、うるうると光を反射させる。
濡れたまつげが微かに震え、潤む瞳が俺を見る。
そして――
「ヤシロさんは、わたしの笑顔が……好き、ですか?」
――そんな、なんとも答えにくい問いを寄越してくる。
え、なに?
「好きだよ」って言えばいいの? 言えると思うか? 無理だろ、こんな真夜中に二人っきりの静かな空間で、真っ赤な顔して瞳をうるうるさせたジネットにそんなこと言ったら…………俺の方が死ぬ。
じゃあ「別に」って言うか?
嘘吐いてまで傷付ける理由がねぇっつうの。
だから。
なんとも言いようがないから……
「……だから、……っ、グランプリなんじゃねぇの?」
察してー!
もう、これが限界!
精一杯やったよ、俺!?
これでいいだろう、もう!
「そう…………ですか」
火が消えたような、静かな、小さな囁きが聞こえ、その後に長い静寂が訪れた。
……あれ?
もしかして、俺、選択を誤った?
そんな不安が押し寄せてきたまさにその時。
「……やったぁ」
らしからぬ、子供っぽい呟きが聞こえた。
かろうじて聞き逃さなかった、それくらいの小さな声で。
「一生大切にします!」
ぱっと顔を上げたジネットは、まだ赤みが残りながらも、いつもの眩しい笑顔をしていた。
「一生じゃなくていいよ」
「いいえ。一生の宝です。子々孫々まで受け継ぎます」
「壮大過ぎる! そこまで原価高くないから!」
受け継ぐのは時価数千万円級のお宝だけにしてお……け…………ん?
子々孫々?
あれ?
え?
ジネット……
結婚する気、あるの?
ふと、ベルティーナとの会話が思い出された。
ミスコンを見ている時の、些細な、どーでもいいような会話なのだが……
うぐっ! 心臓が、痛い……っ!
「ヤシロさん」
あくまで冷静を装い、心の中で謎の心臓痛にもがき苦しんでいるなんておくびにも出さない俺に、そんなことはつゆとも知らないジネットがにっこりと微笑みかけてくる。
「わたしの笑顔の大半は、ヤシロさんが作ってくださってるんですよ」
へー、そうなんだ。
お願い、追い討ちやめて……
「やっぱり、ヤシロさんは誰かを笑顔にする天才です」
さっきは「上手」程度で、天才とまでは言ってなかったはずだが?
「わたし――」
いつものように穏やかな微笑で。
控えめに俯きながらも目はまっすぐに俺を見て。
なんでもないことのように、当たり前のように、何気ない風を装って。
「ヤシロさんのそういうところ、大好きです」
とんでもないことを言う。
いや。
いやいや。
いやいやいやいや。
「大好き」なんてのは、ガキがよく使う言葉で、大人になればなるほど使わなくなる、いわば子供じみた表現で――たとえば、そうだな、「物凄く」の上を行こうとして「めちゃくちゃ」「鬼のように」「ギガンテス」「マンモス」と言葉遊びをするように修飾語を極端にしていくようなものに似ていて――要するに、大の大人が真面目に発するような類の言葉ではないのだ。
そうだとも。そこには言葉通りの意味などなく、「好き」という言葉を「好意的」「好感が持てる」「なんかいいなぁ」「よきかな」くらいの軽い意味合いで捉え、それを単純に大きくしただけのものに過ぎない。
姪っ子が親戚の、それもお小遣いをよくくれるおじさんに懐くのと同じ心理だ。そういう時に使われる言葉なのだ、「大好き」なんてのは。
それに、ほら、あれだ、バルバラにだって言われたしな、「大好き」って。だからって別に全然なんとも思わなかっただろ?
あれは、あいつにとって俺が都合のいい結果をもたらしてくれる存在であると認識したから出てきた言葉で、言い換えるなら「利用価値がある」ってのと同義だ。……そう考えるとムカついてきたな、バルバラのヤツ……
――と、俺がバルバラに対する憤りを感じていたせいだろう、無言の時間が続き、ジネットが照れたように言い訳めいたことを口にした。
「い、いえ、あの……バルバラさんがおっしゃっていたのを聞いて、わたしも言ってみたくなりまして……あ、あのっ、感謝の気持ちといいますかっ、その…………素直な気持ちと、いいますか……」
あぁ、うん。
分かったから。
深い意味なんかないと釘を刺しておきたいのだろう、うん、分かってる。分かってるから……二人っきりの時に照れて真っ赤な顔でわたわたしないでくれ。照れが伝染る。
「……明日」
明日。
そう、明日だ。
今日がどんな日であれ、明日は必ずやって来る。
繰り返される日常。
当たり前の日々。
いつもと変わらない時間。
イベントが盛り上がるのは、そういう何気ない日常があるからなのだ。
変わらないってのはいいことだ。
安心感があるからな。
だから、いつもどおりに。
着飾らず、カッコつけず、ありのままの自分で。
普段と変わらない声で。
「ふわとろタマゴのオムライス、教えてやるよ」
ほんのささやかなプレゼントを、贈っておこう。
「はい!」
そうすれば、いつもと変わらない、太陽のようなまぶしい笑顔がこちらを向いてくれるのだから。
…………なんてな。
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