異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

【π限定SS】苛立ちと共鳴

公開日時: 2020年11月9日(月) 20:01
文字数:4,445

 不思議なものですね。

 

 今、自分の目に映っている光景が、本当に目の前で繰り広げられていることだと理解するのに時間がかかるだなんて。

 

「うん。木材のヤスリ掛け、合格ッス」

「「「やったー!」」」

「けど、まだまだ及第点ってだけッスから、これからさらに精進するッスよ!」

「「「はいッスー!」」」

 

 トルベック工務店棟梁、ウーマロ・トルベックが四十二区にいることにも若干の違和感を覚えますが、その彼がスラムの子供たちに技術を教えているという光景は、なかなか現実味がなくて不思議な光景に映りました。

 

 お嬢様から聞いてはいましたが、トルベック工務店棟梁をこんな場所で見かけるとは。

 

 そして、それ以上に驚いたのが。

 

「すっごい荷車を作ってお兄ちゃんをびっくりさせよー!」

「お姉ちゃんもびっくりするー!」

「すごいのつくるー!」

「ほらほら、遊んでないで次の作業にかかるッス! 仕事はまだまだ山のように残ってるんッスからね!」

「「「はいッスー!」」」

 

 あのスラムの子たちが、あんなに楽しそうに笑っているなんて。

 以前調査で赴いた時には、みんな沈んだ暗い顔をし、警戒心を剥き出しにした荒んだ表情をしていました。

 

 それが、今はあんなに笑顔で。

 

「一体、彼らに何をしたのですか、オオバヤシロ……」

 

 日も沈んだ頃に突然現れ、お嬢様との面会を要求してきた無礼な男。

 その顔は、手配書で見ていた通りの悪人面で、私は最大級の警戒をしていました。

 

 それなのに……

 

「お嬢様ときたら……」

 

 無防備な顔をさらして、こそこそと内緒話までする始末。

 あの男が悪辣非道な者であれば、今頃お嬢様の未来はその名誉と共に地の底へ堕ち果て、暗黒色に染まっていたことでしょう。

 

 ……まぁ、そうなっていないのであれば、そこまでの男ではないということの証左とも言えますが。

 

 なんにせよ、油断は出来ません。

 私はまだ、あの男を認めてはいないのですから。

 

「しかし、ご自身の警護よりもあの男の監視を優先させるとは……何をお考えなのでしょうか、お嬢様は」

 

 お嬢様の命を受け、私はオオバヤシロを監視しています。

 必ず危険なことが起こるからと。

 それは、オオバヤシロが危険なことを仕出かすから警戒しろということでしょうか。

 はたまた、オオバヤシロを危険から守れとおっしゃっているのでしょうか。

 

 ……まぁ、言いたいことは分かりますが、到底理解は出来ませんね。

 

「あんな男のどこに、守るほどの価値が……」

「あー! おにーちゃーん!」

「お~ぅ、真面目に働いてるか~?」

「うんー!」

 

 陽だまり亭からオオバヤシロが姿を現し、裏庭の方へと顔を出しました。

 その途端、荷車づくりに精を出していたハムスター人族の少年たちがオオバヤシロのもとへと群がっていきます。

 随分と懐かれているようですね。

 

「見て見てお兄ちゃん! 見事なヤスリ掛けー!」

「棟梁のお墨付きー!」

「免許皆伝ー!」

「そこまでは言ってないッスよ!? 及第点ッス!」

 

 褒めてほしい。

 そんな思いがありありと見て取れる表情で、オオバヤシロに群がる少年たち。

 きっと、たくさん褒めて懐かせたのでしょう。

 少年に手渡された木材を指でなぞり、オオバヤシロが口を開く。

 

「……ウーマロ、木材とヤスリ貸せ!」

「ちょっ、なんで張り合ってんッスか!?」

「別に張り合ってないけど!? ただ俺の方が全然綺麗にヤスれるけどなーって思っただけだし!」

「子供ッスか、ヤシロさん!?」

 

 大人げなくムキになって、本当にヤスリ掛けを始めてしまいましたね。

 ……なんなのでしょうか、あの男は?

 

「見ろ! これが本物のヤスリ掛けというものだ!」

「うおっ!? ヤシロさん、すごいッスね!? これもう、ウチで即採用、いや、新人を預けられるレベルッスよ!?」

「「「おにーちゃん、すげー!」」」

「ふふん! ざっとこんなもんよ!」

 

 ……くだらない。

 こんなくだらない見栄のために十五分も時間を割いて……アホなんですか、彼は?

 

「……しかし、楽しそうですね」

 

 彼を取り囲む者たちはみな、心底楽しそうに笑っていました。

 

 スラムの問題は、もう何十年に亘って解決できずに置き去りにされた問題でした。

 なんとかしたいと思っても、資金も人員も十分ではなく、棚上げすることしか出来ませんでした。

 せめて治安だけでもと、お嬢様を筆頭にスラムに潜む罪人の追放運動は行いましたが……そこに住む者たちの信頼回復とケアまでは手が回りませんでした。

 

 スラム以外にも、救わなければいけない限界の住民がたくさんいたのです。

 命に優劣はつけたくありませんが……我々とて、万能ではないのです。

 最低限生きられるようにと、川での漁と森での採取を目こぼすのが精一杯でした。

 なんとも、臍を噛む思いを強いられてきた問題でした。

 

「それが、あんなに楽しそうに」

 

 賑やかな少年たちの声を聞きつけたのか、ハムスター人族の少女たちが店から出てきて、次々とオオバヤシロに飛びついていきます。

 苛立ったような声を上げて暴れるオオバヤシロですが、その顔は、私の目には笑っているように見えました。

 

 手配書に描かれていた似顔絵とは、似ても似つかない表情でした。

 

「……まぁ、目つきが悪い点は変わりませんけれど」

 

 ふらりと現れ、たったの二ヶ月でスラムに笑顔を取り戻してみせたその手腕。

 まだ問題は山積みではあるけれど、それを打破しようと懸命に働きかけるその行動力。

 

「確かに、お嬢様の言う通り、観察する価値はありそうですね」

 

 

 それから、私はオオバヤシロを監視し続けました。

 

 屋台を完成させ、ハムスター人族の子供たちと一緒になって大喜びしていたところも。川漁ギルドの面々を相手に移動販売の練習を行うところも。

 子供たちが笑うと、彼はいつもつられるように笑うのです。

 幼い笑顔がウツって、とても無邪気な笑顔になっていると、本人は気が付いているのでしょうか。

 

「大成功ー!」

「いっぱい売れてよかったねー!」

「たのしかったねー!」

「はしゃぎ過ぎだお前ら! 明日が本番なんだからな!」

「「「はーい!」」」

 

 木の陰に身を隠す私の前を、笑顔の集団が通り過ぎていきます。

 

 一人の男に導かれて、小さな成功をいくつも重ねていく少年少女たち。

 人々に忌避され、日陰に潜み、隠れるように生きてきた彼たち彼女たちにとって、今という時間はどのように感じられているのでしょうか。

 目に映る世界は、どのように見えているのでしょうか。

 

 雨続きの空に、雲の切れ間から突如差し込んだ太陽の光のような存在に照らされ、今、子供たちは何を思っているのでしょうか。

 

「……闇を照らせる太陽は一つであると、そんな風に思い込んでいたのかもしれませんね。私は」

 

 この街を導くのは病に伏せる主様に代わって領主代行を務めるお嬢様の役目であると、私は一つの価値観に囚われていたのかもしれません。

 手段はどうであれ、結果が望ましいものであるならば……

 

「毒ですら、有用な効力を発揮するのかもしれませんね」

 

 もっとも、まだまだ警戒は必要ですけれど。

 特に、お嬢様に近寄らせるのは極力避けるべきでしょう。

 

 

 見張ってますからね?

 

 

 そんな殺気が届いたのか、荷車の隣を歩いていたオオバヤシロが身震いをして、辺りをきょろきょろ見渡している様を見て、少しだけ留飲を下げたのでした。

 

 

 

 

 そして、移動販売初日。

 

 誰よりも意気込むオオバヤシロは、今日もきらめくような笑顔で(ただし目は死んだ魚のようであるが)、陽だまり亭を出ていった。

 成功を収めた妹さんたちとともに喜び、成果が上げられなかった弟さんたちのために本気でへこむオオバヤシロを見て、私は一つの錯覚をしてしまいました。

 

 もしかして、彼の中には一切の負の感情などないのではないか、と。

 外見と言動の危うさから誤解されがちだが、彼も陽だまり亭の店長と同じ部類の人間なのではないかと。

 

 

 結果として、それは勘違いでしたが。

 

 

 

 移動販売二日目。

 

 スラム住民への忌避感をその肌で実感したオオバヤシロは、弟さんたちを陽だまり亭へ帰し、そして妹さんのもとへ赴き、その惨状に言葉を失った。

 

 私は、ある程度予想をしていましたので……軽いショックで済みましたが、オオバヤシロには衝撃だったようです。

 初めて見ました。いつも不敵な笑みを浮かべているオオバヤシロの、絶望したような表情を。

 

 

 そして、悲しむ妹さんたちを見つめる、今にも泣き出しそうな沈痛な表情を。

 

 

「……私としたことが」

 

 ここ数日、私は職務を全うしているつもりでした。

 けれど、知らず知らずのうちに、私はこの状況を楽しんでしまっていたようです。

 ハムスター人族の子供たちが――弟さんや妹さんが嬉しそうに笑っている姿を見守ることを、楽しいと思ってしまっていたのです。

 

 だから、選択を誤った。

 

 オオバヤシロが弟さんたちの屋台を見に行ったのなら、私が妹さんの屋台を見守るべきでした。

 そうすれば、このような状況は避けられたはずです。

 

 考えが、及びませんでした。

 

 

「おいっ! 誰に許可取ってここに店出してんだよ?」

 

 そして、事件が起こってしまった。

 未然に防ぐことが出来たかもしれない……事前に摘み取ることが出来たかもしれない悪意ある諍いを、防ぐことが出来なかった。

 

 カマキリのような顔をしたゴロツキが、妹さんに難癖をつける。

 あれは、かつてスラムを追放された男ですね。覚えがあります。

 

 妹さんを庇うように、カマキリ男の前に立ち塞がるオオバヤシロ。

 その瞳には、明確な怒りが浮かんでいました。

 それでも穏便に済ませようとする姿勢は立派です。

 

 けれど、ぶち壊すことが目的のゴロツキに、正攻法は通用しません。

 そして、オオバヤシロは――私がこの目で見た限りでは――泣き寝入りをするような生易しい男ではありません。

 衝突は、必至でした。

 

「テっ、テメェら! 逃げんじゃねぇよ!」

「きゃあっ!?」

 

 カマキリ男が妹さんに手を出した瞬間、オオバヤシロの体から禍々しいまでの殺気が迸りました。

 一瞬、自分の目を疑うほどに。

 

「ほら見やがれ! やっぱりスラムの住人じゃねぇか! こんなもんで隠したって無駄なんだよ、無駄ァ!」

 

 空気も読めないバカがさらに煽り、彼はこの世界から隔絶される。

 

 そこだけが濃縮された闇のように黒く歪み、あまりにも静かに荒れ狂う。

 感情の奔流が溢れ出して一人の愚か者を飲み込んでいく。

 

 

 一分いちぶのためらいもない殺意。

 

 

 これまで、必死に探し出そうとして結局見出せなかった、オオバヤシロの負の感情。

 こんな場面で目撃することになるとは……

 

 ソレの向かう先が、我々でなくて、本当によかった。

 

「まったく……腹の立つ」

 

 今、私が感じている苛立ちは、不甲斐ない自分に対するものかもしれません。

 動いているつもりで、何も出来ていなかった自分の至らなさに。

 

 だとするならば、今私は彼と――オオバヤシロと同じような顔をしているのかもしれませんね。

 ……ふふ、不思議なものですね。

 誰よりも警戒すべき要注意人物に、シンパシーを感じるだなんて。

 

「自分の立場を弁えなさい、オオバヤシロ」

 

 

 あなたは、エステラ様に必要な人材であることを自覚なさい。

 

 

 彼の強靭が惨劇を引き起こす前に、私は地面を蹴り、全力で駆け出した――

 

 

 

 

 

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