「私、筋肉が付いたんです。きっとそうなんです」
午後の客が少ない陽だまり亭。
フロアの端っこの壁に向かう席に一人座ってモリーが現実から目を背けている。
「お兄ちゃん、モリーちゃんどうしちゃったです?」
「あぁ、デリアの体重が予想より重かったことを不思議に思ったモリーにな、『贅肉より筋肉の方が重いから、痩せていても体重が重くなることはよくあることだぞ』って教えてやったら……あぁなった」
「えっ、そうなんですか?」
「あぁ。厳戒態勢の中体重計に乗った直後からな」
「いや、そうじゃなくて、筋肉の方が重いです?」
「厨房の牛肉で試してみろよ。同じ大きさの赤みと脂身だと、赤身の方が断然重いぞ」
「そうだったですか! あたしも運動会でちょっと筋肉ついたですね!」
「……お前、ちょっと太ったろ?」
「どきぃ!? そ、そそ、そんなことはっ、決してあんドーナツのつまみ食いのし過ぎじゃないです、たぶん!」
ここにもいたか、意思の弱い系女子。
「わたし、筋肉が育ったんですね」
「……ヤシロ。店長がモリーと同じ症状に」
「あぁ、マグダ。ジネットに教えてやってくれ。お前の体重の半分はおっぱいだって」
「そんなことないですよ!?」
「店長、また育ったですか!?」
「育ってません、胸は! ………………うぅっ」
『胸は』と言ったことで、自分で胸以外が育ったことを認めてしまったジネットがテーブルに突っ伏してしまった。
「運動会で、あんなに運動しましたのに……」
「その前後でちょっとカロリーを取り過ぎてたんだろうな」
思い返せば、運動会が始まる前からパンの試作が始まり、パン食い競走をしたり、あんドーナツやカレードーナツ、ホットドッグの試食なんかが畳み掛けるように舞い込んできたのだ。で、今朝はピザも食ったろ。
さらに思い返してみれば、素敵やんアベニュー関連で新しいヘルシー料理の試作をしたり、ノーマのダイエット料理のメニューをノーマと一緒に考案したり、ここ最近ジネットは何かと食べる機会が多かった。
ただでさえジネットは、普段から「お料理をしているとお腹が空かないんです」とか言って小食だったのだ。ここ数日間の食事量の方が、ジネットにとっては異常だったのだ。
「おまけに、素敵やんアベニュー関連の料理はオシナが、ダイエット料理はノーマが作って、パンはパン職人、新ドーナツはマグダとロレッタが練習してじゃんじゃん作っている状況だから、ジネットはほとんど料理をしていない」
以前と比べると随分と少なくなっている。
今日なんか、朝食の下ごしらえをしたくらいだ。昨日はノーマたちに代わってもらってたし。
「作ってないからお腹空いちゃったです?」
「……店長は、ちょっと変な娘だから」
「そんなことないですよ!? マグダさん、それは語弊がある表現です」
突っ伏していた上半身を起こし、椅子から立ち上がって、ジネットはグッと拳を握る。
「でも大丈夫です。今から、そうです、今この瞬間から今までどおり誠心誠意お料理と向き合えば、すぐに元通りになります!」
そんな意気込みを後押しするかのように、陽だまり亭にお客が入ってくる。
「ごめんくださ~い」
「いらっしゃいませ! ようこそ陽だまり亭へ!」
「カレードーナツを二つください」
「……少々お待ちください」
「はい、お待たせしたです! たった今出来た、揚げたてほっかほかです!」
「……店長、お会計」
「…………はい」
ジネットの意気込みを挫くように、カレードーナツを手にした客はほくほく顔で去っていった。
料理をさせてもらえない。
「……はうぅ…………」
そうして、近場にあったテーブルに再び突っ伏すジネット。
「店長、元気出してです」
「……はい。分かってはいるんですが……」
「……そのように、椅子に座って上半身をかがめていると、お腹の肉が二段、そして三段に……っ」
「シャキッとしましょう!」
シャキッと立ち上がったジネット。
あぁ、腹が『のっかる』感触って、いろいろな後悔を引き寄せるよな。
けど、ある程度ゆとりがあるのが普通の状態だからな?
背中を丸めても段にならない腹はちょっと痩せ過ぎだ。
「けど意外だな」
あんドーナツをもそもそと貪り食いながらデリアがジネットを不思議そうな目で見つめている。
あぁ、うん。ついてきちゃったんだ。
え、仕事?
さぁ。川漁ギルドの連中が笑顔で手を振ってたから特に問題ないんじゃないかな。「今日の作業はもうほとんど終わってるんです!」「ここから先は親方の特訓タイムだったんです!」「急用? どうぞどうぞ! 親方が必要なんでしょう!? お連れしてください! いえいえ、遠慮なさらず! 是非に! 是非に!」と、押しつけられ……いや、見送られたから、まぁ、大丈夫なんだろう。
……デリア、怖がられてるだけで、嫌われてはない、よね?
今度オメロにきちんと確認しておこう。うん。
で、デリアが何を意外がっているのかと言うと。
「店長もそういうの気にするんだな?」
「そりゃあ……」
唇を尖らせて、チラッと一瞬だけジネットの視線が俺を見て、即座に体ごと逸らされる。
「ちょっとは気にしますよ。わたしだって、オシャレとか、興味がないわけではないんですから……」
そうか。
ジネットもオシャレとか気にする年頃になったのか。
出会った頃は、パンツのふりふりにしか興味がないのかと思っていた。
「でもさ、店長は優しいし、料理も美味いし、家事も出来るだろ? あたいには出来ないことなんでも出来るしさ、ちょっとくらい太ったって欠点にならないと思うけどなぁ。おっぱいも大きいしさ」
「家事の技能と容姿やオシャレは違いますもん……」
「けど店長さん、可愛いですし、おっぱい大きいですし、容姿もばっちりだと思うですよ」
「そ、そんなこと……っ! わたしは、別に……可愛くなんて……」
「……店長はメイクをするとグッと美人になる。おまけにおっぱいも大きいので文句の付けようがない」
「美人だなんて……さすがに言い過ぎです……」
「けど、おっぱい大きいしなぁ」
「はいです。大きいです」
「……最強」
「もう! みなさん、ヤシロさん基準で語らないでくださいっ!」
「おいこら、ジネット」
俺、今回すっごく言いたいのを我慢してたのに!
俺が「おっぱい大きい」って言った瞬間「懺悔してください!」が飛んでくると思ってたから!
くっそ、こんなことなら混ざっとけばよかった!
「私なんて、おっぱいも大きくないですからね……」
一人、遠くの席でモリーが黄昏れている。
「「「「大丈夫、エステラよりは大きい」」」」
「みなさん……エステラさんに謝ってください」
ジネットに「めっ!」と怒られた。
「とりあえず、モリーも店長も運動すればいいんじゃないか?」
ぺろりとあんドーナツを平らげたデリアがなんてことはないような顔で言う。
「モリーの体が治ったら軽くジョギングしに行くか」
「ジョギング……です、か」
不安そうにジネットの瞳が揺れる。
そうだよな。ロレッタたちのダイエット合宿の時に、デリアの『軽く』を見ていると恐怖しか湧いてこないよな。
「ちなみに、距離はどれくらいですか?」
「ん~……細かい距離はよく分かんないけど、手っ取り早く痩せたいんなら、ルシア様んとこでも遊びに行くか?」
「「三十五区ですか!?」」
ジネットとモリーの声が揃った。
「それが、『軽く』なんですか?」
「軽ぅ~い感じで三十五区まで」
ジネット。お前も知ってるだろ?
こいつの言う『軽い』『優しい』って、距離とか難易度じゃなくて、心持ちの話なんだよ。
軽い気持ちで100キロマラソンとか、そんなノリだから。
「さすがにそれは……領主様のところに『遊びに』というのも、引っかかりますし」
「モリーちゃん、残念な片鱗が見えてもそういうところはちゃんとしてるです」
「……失われない常識が垣間見えて安心する」
そんなどうでもいいところで感心しているロレッタとマグダ。
そんな声も聞こえていないのか、ジネットは青い顔をしてボーッとしている。
みんなで荷車を曳いてほぼ一日かけて歩いていった三十五区までの道程を思い返していたりするのだろうか。
それをジョギングでなんて、まぁジネットには無理だ。
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