「ヤシロさん! 今すぐこれを着て教会へ行きましょう!」
慌てた様子で戻ってきたジネットは、なんだか御大層な装飾のポンチョみたいな服を身に纏っていた。法衣とでもいうべき衣装なのだろうか。
ジネットの邪気のなさ過ぎる顔と、この天気が相まって、ちょっとオシャレなテルテル坊主に見える。……それを俺にも着ろというのか?
「これは罪を清める聖法衣です。これを着て、真摯に懺悔をすれば、きっとアルヴィ様もご慈悲をかけてくださいます。さぁ、ヤシロさん。わたしもお供いたしますので、教会へ行きましょう!」
本当に、ジネットは敬虔なアルヴィスタンなんだな、と、そんなことを思った。
ふと見ると、ウーマロが床に膝をつき、手を組んで祈りを捧げている。こいつもアルヴィスタンなのか。
で、マグダはというと……トウモロコシを齧っていた。
あぁ、なんか落ち着くわ、その感じ。
「教会の信者じゃなくても、謝りに行った方がよさそうだな」
「この街で暮らしていたいのならね」
「嫌だと言ったら?」
「ジネットちゃんに迷惑がかかる」
……嫌な返しをしやがる。
「分かった。懺悔でも罰金でも……おっと、『寄付』だっけか? とにかくなんでも言う通りにするよ」
権力に刃向うのは、その資格を持った者だけがするべきだ。
いくら己が正論を振りかざそうと、路傍の石ころなみに無力な市民には何もすることなど出来ないのだ。盾突けば不幸になるだけだ。
……ただ、その怒りを静かに蓄えることは出来るけどな。
その静かな怒りが満タンまで溜まり、針を振り切った時……権力者は己の過去を顧みてその言動を審議にかけられるのだ。
酌量の余地があればよし……なければ…………
「ただ、その前に確認したいことがある。今後、同じ過ちをしないためにも、どうしてもやらなければいけないことだ」
「何をする気だい?」
「パンの定義を調べたい。どこまでがパンに含まれるのか……何がよくて、何がダメなのか」
パンがダメならナンを食べればいいじゃない。
……ってのは、誰も言ってはいないが、「パンじゃないから悪くないもん」が通用するのかどうかを知っておきたい。
「じゃあ、持っていけるものだけ持っていって、向こうで説明をしよう」
「分かったよ……」
あぁ、なんか久しぶりだな、この重い気持ち……
職員室に呼び出された時と同じ気分だ。あ~ぁ。
仕方ないので、俺は焼いたパンと、仕込んであるパン種を持って、教会へと向かうことにした。
「ウーマロ。悪いが、マグダと一緒に留守番をしていてくれないか?」
「え、いや、それはいいッスけど……お客さんが来たらどうすればいいんッスか?」
「笑顔で対応しといてくれ」
「いやいやいや、無理ッスよ!?」
「……ヤシロ」
「ん? なんだ、マグダ」
「……マグダも一緒に行く。ヤシロ、放っておけない」
「そうか?」
「……そう」
「ん~……じゃあ、しょうがねぇな。ウーマロ。一人で留守番よろしく」
「意味分かんないッスよ!? じゃあ、お店閉めればいいじゃないですか!」
「バカヤロウ!」
俺はダダをこねるウーマロを叱責し、エステラの胸元を指さす。
そこには、大きな文字でこう書かれてあるのだ。
『年中無休』
「店を閉めたら嘘になるだろうが」
「今日はもう、一回開けたんだからいいじゃないッスか!? 休業じゃないッスよ!」
「もしお客さんが来て、店が閉まっていたら悲しむだろうが!」
「店が開いてても、店の人が一人もいなきゃ同じッスよ!」
えぇい、この分からず屋め!
俺は憤りながらも、そっとマグダの背中を押す。
ぽんと、一歩前に踏み出したマグダは、ウーマロに向かって無垢な瞳を向ける。そして、こてんと首を傾げて窺うような声で言った。
「…………ダメ?」
「卑怯ッスよ、ヤシロさんっ! それは卑怯ッス!」
マグダの背中をぽん。
「…………ダメ?」
「あぁっ! バリエーションの少なさが逆にキュンとくるッス! 分かったッス! その代わり、出来ることしか出来ないッスからね! それと、早く帰ってきてくださいッスよ!?」
うむうむ。
やはりウーマロはいいヤツだ。
今度マグダの似顔絵入りハンカチでも作ってプレゼントしてやろう。
「じゃ、行くか」
「……これから懺悔に行く人間の顔じゃないよね、君は」
エステラがなんでかすごく疲れて見える。
顔でするもんじゃないだろう、懺悔ってのは。
妙に神妙な面持ちのジネットに先導され、俺たちは並んで教会へと向かった。
雨の街には誰の姿もなく、重い空から騒がしい雨粒が降り注いでいるだけだった。
なんだか、この街がこのまま水の底に沈んでしまうんじゃないかという不安にかられる空模様だ。
教会に着く頃には、雨と泥で足元がぐちょぐちょだった。
談話室に入ると、ベルティーナが出迎えてくれた。子供たちは今、お昼寝の時間らしい。
ジネットが神妙な面持ちでベルティーナに事情を話す。
……なんかドキドキする。
もしかして、すげぇ怒られるんじゃ…………『寄付金』とか取られるのかなぁ…………
だとしたら、どうにかして工面しなきゃなんねぇな……ったく、そういうことなら最初から言っとけっつの。後出しで「それダメだから。はい、罰金」とか、無しだろ、どう考えても。
そんな不満がむくむくと胸の中で頭をもたげ始めた頃、ベルティーナが俺を見た。
あまりにも美し過ぎる、宝石のような瞳が俺を見据える。
心臓が軋みを上げそうなほど締めつけられる。
なんだ、この緊張感…………シスターの気迫って、こんなにすごいのか……
「……ヤシロさん。話は伺いました」
「は…………はい」
口の中から唾液がなくなり、からからに乾く。
言葉が喉に引っかかってうまく出てこない。
この威圧感…………生活指導の体育教師といい勝負だ。
「もぅ、ダメじゃないですか。メッ!」
「………………は?」
「でも、知らなかったのでしたら、しょうがありませんね。今回は反省と懺悔をもってその罪を許します」
え…………そんだけ?
「あ、あの……いいんですか、シスター」
「えぇ、いいでしょう。ジネットも、ヤシロさんの分まで心を痛めているようですし……悪意があってのことではないと、誰の目にも明らかですので」
「…………っ!」
ベルティーナの言葉を聞いて、ジネットの瞳に涙が浮かぶ。
「シスター…………ありがとうございますっ!」
勢いよく頭を下げ、その拍子に涙の粒が宙に舞った。
キラキラと輝く光の粒は、ジネットの周りを飛び交った後、静かに床へと降り注いだ。
「ヤシロ」
そっと、エステラが耳打ちをしてくる。
「ジネットちゃんの涙に感謝するんだね。今回はあの輝きにかなり助けられたと思うよ」
「泣いて許してくれるんなら、いくらでも泣いてやるさ、俺だって」
嘘泣きと反省をしているフリは大得意だ。
「涙の純度が違うだろう、君とジネットちゃんじゃ」
「おいおい。ジネットの涙を悪く言うなよ」
「なんで自分が勝ってると思い込んでるんだい? 図々しいにもほどがあるよ?」
エステラが呆れたようにため息を漏らす。
とはいえ、一応礼くらいは言っておくべきだろうか。
あの、純粋な涙に対しては。
「ジネット。すまなかったな……ありがとう」
「いえ。わたしが最初にお伝えしていなかったのが悪かったんです」
「いや、それはないだろう」
「いいえ。ヤシロさんは、この街のことを何も知らないとおっしゃっていたのに……こんな基本的なことを伝え忘れていたなんて…………申し訳ありませんでした」
なんでか謝られてしまった。
「それこそお門違いだ。お前が悪いなら、知らなかったとはいえ軽率な行動をした俺も十分悪い。いいから頭を上げてくれ」
「はい。あとで一緒に、懺悔しましょうね」
くそ……まんまと罪を認めさせられてしまった。
「こんな分かりにくい制度が悪い」で逃げ切るつもりだったのに……
これはアレか? 新手の誘導か?
まんまと乗せられたんじゃないだろうな、俺は……
ジネットめ……やっぱり、こいつはどうも他のヤツとは勝手が違う。
用心するに越したことはないな。
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