「ヤシロさん」
ジネットが、俺の背後から声をかけてくる。
マグダの後ろから来なかったのは、きっとマグダに配慮してのことだろう。きっと今のマグダは警戒心が強まっているだろうからな。
「大丈夫そうですか?」
「あぁ。腕に力も入ってるし、顔色もよくなってきている」
心なしか、体温も上がってきている。
「もう平気だな、マグダ?」
「…………むぅ。あと五分」
「だ、そうだ」
「では、わたしは先に教会へ行って、火を起こしておきますね。すぐに温かいものが食べられるように」
「そうだな。よろしく頼む」
「はい」
ジネットはゆっくりと弟たちのもとへ戻り、そして先に教会へ向かった。
「マグダっちょ、平気です?」
「……平気。あと七分で完全復活」
「二分延びてんじゃねぇか……」
ロレッタがマグダの顔を覗き込もうとするが、マグダは頑なにそれを拒む。
ロレッタが動く度に、マグダの顔が俺の胸に押しつけられる。ちょっと痛いからいい加減やめてほしいんだが。
「なんなら、あたしも鼻かぷしてあげるですよ?」
「…………でも…………」
「遠慮しなくていいですよ!」
「…………臭いから」
「臭くないですよっ!?」
辛辣なマグダの言葉に、ロレッタがショックを受ける。
こんだけ冗談が言えるようになればもう大丈夫だろう。
「ロレッタ。お前も先に行ってお汁粉を温めておいてくれ。作り方は……」
俺はロレッタにお汁粉の作り方と、沸騰した際の差し水のタイミングや砂糖の分量などを言って聞かせる。
こいつが覚えきれるなんて思っていない。
「会話記録を見ながらやれば失敗しないはずだ」
「分かったです! ドドーンと任せるです!」
ロレッタが得意げに胸を張る。普通サイズの膨らみだ。
会話記録があればレシピの伝達は楽でいい。
アホのロレッタでもちゃんと完成させてくれることだろう。
「それじゃ、お兄ちゃんたちも早く来るですよ!」
「へいへい。あ、それから、ロレッタ」
「なんです?」
「転ぶなよ? 『絶対』転ぶなよ?」
「そういう『振り』やめてですっ! 転ばないですよ!?」
一瞬、転んだ方がいいのかと悩んだ後、結局転ばずにロレッタは教会へと駆けていった。
「…………さて」
俺はマグダの頭に手をポンと載せる。
「もう、俺しかいないぞ」
「…………そう」
まぁ、なんつうか。珍しいこともあるもんだ……
そうだよなぁ、人生なんていろいろだよなぁ……
胸んところが温かくなって、今は冷たくなっている。
だから、俺だけは気が付いていたんだ。
マグダの状況に。
顔を上げたマグダは、泣いていた。
こんな時も、無表情なんだな、お前は。
「…………変?」
「いいや。俺も一時期車に乗るのが怖かったからな」
「……くるま?」
「馬車みたいなもんだ。そいつで事故に遭ったことがあるんだよ」
「……馬車、怖い?」
「今は全然平気だ。とっくに克服した。だからよ……」
この時、俺の頭の中には――降り積もる雪の夜に、独りぼっちで「みぃみぃ」鳴いている子猫の映像が浮かんでいた。
……寒かったろう。もっとこっち来て温まれよ。
「急がなくていいし、焦らなくていい。んで、心配もしなくていい」
「…………」
「全部、いつかは過去のことになる。そうすりゃ、意外と大丈夫になったりするもんだ」
「……大人になれば……?」
「いや。年齢じゃねぇよ」
トラウマやがんじがらめになっちまってる煩わしいもんが、大したことのないもんだって思えるようになるのは……
「たぶん、自分の居場所が見つかった時だ」
「……居場所…………」
「寒い夜だって、家に帰りゃ暖かいだろ? 帰る場所があれば、人は強くなれるもんさ」
「………………そう」
「そうだ」
「…………そう」
「ん」
「………………………………そう」
マグダの過去に何があったのかは知らん。聞く気もないし、もしかしたら一生知ることはないかもしれん。けど、それでいい。
こいつの過去がどうだったかを知らなくても、こいつの今を、俺は知っている。
こいつのこれからを、一緒に見てやることが出来る。
それだけで十分だ。
「……むぅ」
膨れた頬で不満げな声を漏らし、マグダが再び俺の胸に顔を埋める。
ぎゅ~っと、力いっぱい抱きつかれる。
「…………ヤシロは、たまにカッコよくて………………ズルい」
「だろ? 狙ってやってんだぞ、実は。そのために毎日お茶目なヤシロ君を演出してんだよ」
「…………それはない。あれは素」
へいへい。どっちでもいいさ。
お前が思いたいように思っておけ。
ただ一個だけ。
「困ったら、俺を頼れよ」
「…………うん」
マグダの身体がじ~んわりと温かくなる。
安心でもしたのだろう。子供特有の温かい体温だ。
俺たちはしばらくそこに座って、寒過ぎる風にさらされていた。
冗談じゃねぇってくらいに寒かったのだが……マグダが落ち着くまではこうしててやろうと、思った。
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