「な~んや、ウチも何かやってほしぃなってきたなぁ~、わんわん」
レジーナがニヤニヤと、俺にすり寄ってくる。
……この真っ黒薬剤師……腹まで黒いのか。
「わんわん、やで?」
イラァ……
……ふっ。よぉし、分かった。
「レジーナ、『ハウス』ッ!」
「なんや、酷いこと言われた気がするっ!?」
お前は今すぐ巣に帰れ! 一人で!
「……っとに。ほら、もう行くぞ」
「あ……っ」
アホを無視して先へ進もうとすると、隣から空気漏れのようなか細い声が漏れ聞こえてきた。
視線を向けると、ジネットが「…………じぃ」っと、遠慮がちに俺を見つめていた。
……なんだよ、その「わたしも、出来れば……」みたいな控えめなおねだり視線は。
『ハウス』って言えばいいのか?
……ジネットなら真に受けてへこみそうだな。かと言って『お手』はなぁ…………あ、そうか。
「よし、ジネット!」
「はいっ」
「『お乳』!」
「懺悔してください!」
差し出した俺の手にジネットのお乳が載ることは、……なかった。
……くすん。
余計なことで体力と気力を盛大に磨り減らされてしまった。
かかなくてもいい冷や汗をかき、喉もカラカラ、……いや、ガラガラだ。
デートスポットがそばにあるというだけで、こうまで日常生活に悪影響をもたらすなんて……
「まぁ、要するにあれだ。花園はろくでもない場所だってことだな」
「いえ、あの、英雄様。私が言うのもなんですが、もっと普通に楽しめる場所ですよ?」
なんだよ、俺が普通じゃないってのか!?
別に意識とかしてねぇし!
周りとか気にしないタイプだし!
ただ一つだけ――
「リア充全員、不幸になれー!」
「じょ、冗談ですからねー!」
口の両サイドに手を添えて叫ぶ俺の横で、ジネットがまったく同じ格好でそれを訂正する。
何が冗談だ。大真面目だっつの!
「英雄様も、花園に入れば楽しくなるかもしれませんよ。本当に綺麗な場所なんです」
「別に俺、人生に『綺麗』とか求めてないし」
「そう言わずに、ご一緒いたしましょう。さぁ」
俺を宥めるように、ウェンディが花園へと俺たちを誘う。
ウェンディとセロンが先頭を行き、俺はそれに続く。
少し遅れてジネットが付いてきて、その後でエステラがスススッと俺に接近してきた。
「ヤシロのせいで変に疲れた……」
「なんで俺のせいなんだよ」
「ヤシロのせいだよ」
トンっと、肩を俺の腕にぶつけてくる。なんだよ、そのささやかな反抗。
ボディータッチにちょっとドキッとしちゃうだろうが。
「……自重してよね」
最後に、わき腹に八つ当たりネコパンチを繰り出てくるエステラ。
大した衝撃でもなかったのだが、意表を突くわき腹の攻撃に不覚にも半歩ほどよろめいてしまった。……くすぐったかったんだよ。
そして、その半歩のよろめきのせいで、左隣にいたジネットに接触してしまった。
「あ、悪ぃ、ジネット」
「いえ…………わたしの方こそ…………申し訳ありませんでした……」
お戯れが過ぎたと、ジネットはやや自嘲気味な、困ったような笑みを浮かべる。
おそらく、この場所の空気が悪いのだ。ここの空気は、人間を変なテンションにさせる効果があるに違いない。
そうでなければ、人前で花の蜜を、それも二人で飲むなんて公開処刑みたいな真似出来るはずがないからな。
うん、そうだ。きっと変な毒でも飛び交ってるんだよ、この場所には。
……花園、マジで燃やしてやろうかな。世界と、独り身男子の心の平穏のために。
「見えてきましたよ。あそこが、花園です!」
ウェンディが指さす先には、辞書の『楽園』という言葉の横に例として描かれていそうな、そんな美しい光景が広がっていた。
広大な土地に、色とりどりの花が咲き乱れ、風に揺れては芳しい香りを辺りへと漂わせている。
可憐に咲く花々が、世界を幸福な色へと染め上げている。
そんな楽園のような広大な花園の中で、二人一緒に花の蜜を飲んでいる虫人族がいた。
「……んぐっんぐっんぐっ! ぶっふぁ~! んまいっ!」
「ジュゾゾゾゾゾゾーーーー! くひぃ~! 染みるぅ!」
「なんだ、あの汗臭そうな魔獣どもは?」
そいつらは、頭に大きな角を生やしたガタイのいい連中で、どっからどう見てもオッサンだった。
「オ、オッサン同士のカップルかいなっ!? ……は、捗るわぁ!」
「捗るな! 怪しいメモを一心不乱に書き殴るな!」
いかん。このままでは四十二区に、また一つ腐れた物語が増えてしまう。
火の粉、ここで使うか? メモかレジーナが燃え尽きればしめたものだ。
「彼らは、カブトムシ人族とクワガタ人族の男性のようですね」
ウェンディの言葉はおそらく正しいのだろう。
なにせ、顔がどう見てもカブトムシとクワガタなのだ。
「お……あんたら、人間かい?」
カブトムシのオッサンが俺たちの姿を上から下から舐めるように観察して言う。
……失敬なヤツだな。
「カブさん。……こいつら、服が……」
「あぁ、そうだな。もしかしたら貴族かもしれねぇな」
と、聞こえる声で内緒話をする。
……失敬なヤツらだ、本当に。
「なぁ、あんたら。俺たちを見て、どう思うよ?」
失敬。
汗臭い。
見る価値もない。Because、オッサンだから。
が、まぁ、わざわざケンカを売ることもないだろう。
失敬な言動くらいは大目に見てやるさ。今日は争いをしに来たわけじゃないからな。
過去を乗り越えた俺は、一回り大きく成長したのだ。
心の余裕ってやつを見せてやるさ。
「オッサン二人で甘いもんを嬉しそうに飲んで、気っ色悪ぃなぁ」
「ケンカ吹っかけてどうするのさっ!?」
いやいや。
素直な感想を述べただけだし。
差別とか、そういうドロドロしたものではなく、ただただ純粋に汗臭いなぁって。
「あっはっはっはっ! オッサンが二人で甘いものは気色悪ぃか。こりゃあ、一本取られたぜ!」
多少はイラッとされるかと思ったのだが、カブトムシのカブさんとやらは大声を上げて笑い出した。
隣のクワガタもくすくすと笑っている。
「いやいや。この花の蜜は疲れた体を癒してくれて、活力がみなぎるんですよ。ガテン系ギルドの連中は結構みんな飲んでるんですよ」
そんな説明を、クワガタの方がしてくる。
カブトムシがカブさんなら、こいつはクワ君ってところか?
「クワ君は、いい体つきをしているのに腰が低いんだな」
「クワ君? って、俺のことですか? 人種名であだ名付けられたのは初めてだなぁ」
「ん? だって、こっちのカブトムシはカブさんだろ?」
「おいおい。俺はカブトムシ人族から取ってカブって呼ばれてんじゃねぇぞ」
「じゃあ、なんだよ?」
「名前がカブリエルなんだよ」
「なんか足んない!?」
ガブリエルじゃないのか!? パッチもんか?
ルイピトンみたいなもんか?
「ちなみに、俺はマルクスです」
「普通!?」
お前はロレッタか!?
クワガタに一切かかってねぇじゃねぇか!
「ふっ、ははは! 面白い兄ちゃんだな! 気に入ったぜ。あんたも一杯やってくか?」
カブリエルが足元の花を指さして俺に聞いてくる。
まぁ、興味はあるんだが……さっきパーラーでジュース飲んだところだしなぁ。
「ウェンディ。君も何か飲むかい?」
「え……それじゃあ、セロンと一緒に……」
「あぁ、すまん。俺たちは物凄く急いでるんだ。今すぐにここを出なきゃいけなくてな! 一口たりとも蜜を飲んでる時間はなさそうだ。いやぁ残念残念!」
「……ヤシロ。君はセロンたちを応援したいのか邪魔したいのか、どっちなんだい?
エステラがため息交じりに俺を非難する。
応援か邪魔か?
そんなもん決まってんだろう。
応援はするが、俺の前でイチャラブはさせない!
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