「心配ですね」
俺が戻ると、ジネットが会場を見つめてそう呟いた。
「どうした?」
「へ? ……あ、ヤシロさん。おかえりなさい」
俺を見つけ、笑顔で迎えてくれる。
いや、それよりも。
「何が心配だって」
「あの、なんでもなければいいんですけれど……」
そんな前置きをして、ジネットは再び視線を会場へと向ける。
会場の前方。ステージの前に設けられた貴賓席の方へ。
「エステラさんが、お寿司を召し上がりにいらしてないので、お腹が空いていなければいいなぁ、と」
「そういや来てないな」
最初は、あれだけ領主が集まっているのだから挨拶回りで時間を取られているのだろうと思っていたが――もうすぐ日が沈む。挨拶くらいならとっくに終わっているだろう。
「あの、ヤシロさん。もしよろしければ――」
「あぁ。ちょっと様子を見てこよう」
「すみません、わたしのわがままで」
「いや。あとになって『食べられなかった』って八つ当たりされるのは俺だからな。特上を四人分置いといてやってくれ」
「はい。ナタリアさんとルシアさんとギルベルタさんの分ですね」
ぺこりと頭を下げて、ジネットが俺を送り出す。
裁判の話は全区に告知された。
ウィシャートと関係の深かった連中、特にウィシャートによって利益をもたらされていた者にとってエステラは邪魔な存在になるだろう。
ナタリアやギルベルタ、イネスやデボラが揃っているあの場所で滅多なことは起こらないだろうと、ルシアやマーゥル、ドニスにデミリーがいるから権力的な圧力もないだろうと、そう思ったんだが……
地面より1.5メートルほど高くなっている貴賓席へ上ると、マーゥルたちが眉根を寄せ、エステラが困ったような顔をしていた。
エステラの前に立っているのは、見たこともない、背の低い痩せた男だった。
痩せた男の後ろにはガチムチのデカいオッサンが立っている。髪と立派な髭は真っ白で、若干、フライドチキンチェーン店の前に立っている白タキシードのオッサンを思い出す。あのオッサンを野生に放って十年間サバイバルさせたような風貌だ。
その後ろに小太りの範疇を大きく逸脱した恰幅のいいオッサンが立っている。
えびす顔で一歩引いている姿勢から、人の好さそうな雰囲気がしているが……
「何事だ?」
「あら、ヤシぴっぴ」
「ヤシロ」
マーゥルの声に反応して、エステラがこちらを向く。
物凄く安堵したような表情。相当困っていたようだな。
「誰かね、君は?」
痩せた小さいオッサンがジロリと俺を睨む。
「クレアモナ家の懐刀よ」
あれ、マーゥル。もう情報紙読んだの?
とりあえず、そーゆーデマを流布するのやめてくれる?
「ほぅ、貴様が……」
頭の先からつま先まで、ねっとりと値踏みするように小さいオッサンが俺をじろじろ見てくる。
この貴賓席にいて、給仕長たちが追い出していないということは、こいつらもきっと領主なのだろう。
よぉ~く見ると、チビ、ケンタッキー、デブの後ろに影の薄ぅ~いヤツが二人、静かに控えていた。
あ、しまった。各所で炎上しないように発言に気を付けていたのに、面倒になってついついドストレートに外見を弄ってしまった。
みんな、ごめんちゃい☆
うん。これでよし。
立ち位置から見て、小さい男には連れはいないようだ。
恰幅がいい男の後ろにいるのは男、ケンタ……フライドチキンの後ろにいるのは女性だ。
髪を二つに縛って三つ編みにしている、地味そうな女。大きなメガネをかけて少し俯き加減に立っている。
……が、気配の消し方や立ち姿から、イネス級の給仕長だと分かる。
もしかしてこいつら、三等級貴族か? この三人のオッサンの中に、十一区のハーバリアスがいるのだろうか。
それはそうと――
「……Cカップか」
イネスやデボラと比べると若干の見劣りが……
「急に何をがっかりしているのか分からないけど、真面目にやってくれるかい?」
「分からんか? なら教えてやろう!」
「いらないよ! いいからこっち来て! ダッシュ!」
エステラに腕を引かれ、強制的に隣へと立たされる。
こらこら。
こんな領主がアホほどいる中で未婚の令嬢がみだりに男の腕を取るんじゃねぇよ。
まぁ、都合よくエステラと顔が接近したので耳元で尋ねる。
「三等級貴族か?」
「いや、五等級だよ」
素早く交わされた情報を整理しつつ、改めて男たちを見る。
五等級貴族ってことは、外周区の連中か。おそらく領主だろう。
ってことは、三十一区から三十四区の中の三区ってわけだ。
「ご挨拶差し上げた方がいい感じかな、これは?」
「そうだね。みなさん、まずは彼の紹介をさせてください」
本当に困っていたのだろう。エステラが即座に俺を渦中に引き込んだ。
エステラがこういう態度を取る時は、命の危険はないけれど、相手の口がうまくてどう対処していいか分からない時だ。
要するに、難癖をつけられているわけか。
マーゥルたちがいて黙らせられないってことは、微妙に正論を突いたイヤラシイ言い回しなのだろう。
はぁ……めんどくせぇのが出てきたなぁ、おい。
「ども、俺だ。シクヨロ」
「真面目にする気がないのかい!?」
ねぇよ。
面倒なヤツとは距離を取る。それが俺の生き方だ。
「ぶはっ! …………くく、いや、失礼……ぷくく」
そんな中、恰幅のいいオッサンだけが笑い出した。
どうやらツボに入ったようだ。
「ダック様……」
と、執事らしき男に背をさすられて軽く叱られている。
「すまんすまん。だって、噂通り過ぎて……」と、ダックという名らしい恰幅のいい男は必死に笑いをこらえている。苦しいのか目尻に涙が浮かんでいる。
呼吸が短く速くなって、なんか倒れそうな勢いだ。もう思いっきり笑っちまえよ。楽になるぞ。
我慢し過ぎて鼻から「ぷひっ、ぷひっ」って面白い音漏れてるから!
「カタクチイワシ、こっちのぷひぷひ笑っている男は三十四区領主、ダック・ボックだ。三十五区とは繋がりが深く私とも古い知り合いだ」
ルシアが俺に笑うダックを紹介し、「早く笑い止め、ダック」と睨みを利かせる。
旧知の仲というのは本当なようで、随分と親しげだ。
「ヤシぴっぴ。こちらも紹介しておこう」
と、ドニスがカーネルなサンダースさんの隣に立つ。
ドニスもデカいが、サンダースはもっとデカいな。
いや、サンダースじゃないんだけど。
「こちらは三十二区の領主マルコ・ワーグナー。二十四区は彼ら三十二区にいろいろと世話になっている」
「いえいえ。それはこちらのセリフであります。二十四区と三十三区には足を向けて寝られん状況なのであります。はははっ!」
少々暑苦しいが、マルコ・ワーグナーという白髪マッチョはさっぱりとしたいいオッサンのように見えた。
頭の中でオールブルームの地図を思い浮かべてみる。
『BU』は基本的にどの区も細長く、二つから三つの外周区と接している。
三十二区は、三十三区と並んで二十四区と接する区だ。
ドニスと接する機会が多い領主なのだろう。こちらも、割と気心が知れている様子が窺える。
で、残る一人。
背が低くて細身の男。
鼻の下には針のように細い髭が左右に飛び出すように生えている。
イヤミみたいな顔をしたチビ太だな。
「それで、こちらのナイスガイは?」
誰か知ってるヤツはいないのかと、俺が視線を巡らせると、なんとも嫌そうな顔で二十三区領主イベール・ハーゲンが一歩進み出てきた。
「こちらは、三十一区領主、ミスター・マイラーだ」
「アヒム・マイラーだ。以後お見知りおきを、よろしく頼むよ?」
舐め上げるように下からねっとりとした視線を向けられる。
あぁ、うん……
こいつとは良好な関係が築けてないみたいだなぁ、お隣さん。
ちらりとデボラを見やれば、澄ました無表情ながら、眉根に不快感が微かににじみ出ていた。
そんなヤツが、一体四十二区に何の用なんだ?
「それで、ミスター・マイラー。何か問題でも?」
場の空気があからさまにおかしいので、単刀直入に聞いてみる。
どーせ、お前が原因なんだろうし。
「いやなに、私はただ世間話をしていただけに過ぎんよ。そうであろう、ミズ・クレアモナ?」
「あぁ……えぇ、まぁ……」
エステラ、顔の筋肉かっちこちだぞ。
せめて取り繕えよ。
「声をかけるのが遅いのではないかと、ミスター・マイラーは憤っておられるそうよ」
「それは違いますぞ、ミズ・エーリン」
マーゥルが俺に向けた状況説明に、間髪を容れずに否定の言葉を口にするマイラー。
難癖付けてるくせに、「難癖を付けるつもりなど微塵もない」と言い張るタイプか?
「私はただ――」
言い張るタイプの常套句だよなぁ「私はただ」。
「三十区の横暴に最も被害を受けていたのは我が三十一区であり、三十区の領地運営が方向転換すると最も影響を受けるのもまた我が三十一区なのであるから、三十区に対して何か行動を起こすのであれば、まず何はなくとも我が三十一区へ話を持ってくるのが筋ではないかと、常識的な範疇で話をしたまでだ。聞けば、四十二区の領主は代替わりしたばかりの若者であるというし、先輩領主として、貴族、それも特に領主という選ばれし血の者のマナーやあるべき姿というものを教え、是非とも立派な同胞となっていただきたいという親切心からそう言ったまでだ。難癖を付けるつもりなど微塵もない」
はい、言い張るタイプでしたー。
こいつに『精霊の審判』を使っても、本人がどう思っているのかって部分はグレーゾーンなのでおそらくカエルには出来ない。
……はぁ。
正攻法で黙らせるしかないのかぁ。
まぁ、この手のタイプは余裕だからいいけどさ。
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