「それじゃ、足つぼを始めるか」
カンパニュラの足を拭き、俺も足つぼ用の椅子に座る。
客が座る椅子よりも一段低い、座椅子よりちょっと高いくらいの低い椅子だ。
切り株に座ってるくらいの高さだな。
「あの、年上の男性に足を向けるのは少々気が引けるのですが、私はどうしても末端冷え性を解消したいのです。申し訳ありませんが、ご協力をよろしくお願いいたします」
「堅ぇよ。もっと気楽でいい」
「はい。では、楽にさせていただきます。……ヤーくん、優しいです」
いやいや。
お前くらい堅い少女にはみんな同じこと言うから。
もっと子供っぽくしてろって。
「まずは足首のストレッチだ。運動をしてないとここががっちがちに固まってるからな」
運動音痴がよく転ぶのは、足首周りが硬いからだ。
この辺はしっかりと筋を伸ばしておかないと、ひょんなことで痛めてしまいがちだ。
じっくりと筋を伸ばして、足首を回しておく。
「それから、三陰交ってつぼを押していくぞ」
くるぶしから指三本分ほど上にあるつぼで、冷え性に効果があるつぼだ。
スネを掴むようにして、強めに押し込む。
「ぃ……たたた」
「ちょっと強いか?」
「いえ、でも、あの……平気、です」
「ムリはするなよ。痛気持ちいいくらいがベストだからな」
「はい。では、少しだけ強い、です」
「これくらいでどうだ?」
「ぁ……それなら、……はい、気持ちいいです」
つぼは、強く押せばいいというものではない。
うん、隣の個室に向かってもう一度言っておこう。
つぼは、強く押せばいいというものではないんだよー!
伝わればいいけれど。
「次は湧泉ってつぼだ。血の巡りが悪い時や、足が浮腫む時はここを押すと効果がある」
「ぴゅぃっ……!? そこ、は……ちょっとくすぐったいです」
「それは慣れろ」
「はぅ……がんばり、ます」
くすぐったいのか、口をきゅっと引き結んでぷるぷると震えている。
マグダも足つぼ苦手だからな。幼いガキんちょにはくすぐったいのか。
「あとは、自律神経のバランスをよくする気端ってつぼだ。ちょっと痛いぞ」
「はぅいっ! ……返事しようとしたのに……」
返事する前につぼを押してしまったせいで、カンパニュラの口から変な声が漏れた。
ちょっと痛いようで、手がぴくぴく動いている。
そんな悶える娘を、ルピナスは微笑ましそうな顔で見守っている。
「可愛い……ウチの娘、世界一可愛い」
うん、放置しておこう。
こういう病の人には関わらないのが一番だ。見ない、触れない、聞こえない。
それから、まんべんなく足の裏を触診していく。
やはり内臓が相当まいっているようだ。
「カンパニュラ」
「はい」
「何かしなけりゃって自分を追い込み過ぎだ。今はそこまで考え過ぎるな。もっと気楽でいい」
「……なんでもお見通しなのですね、ヤーくんは」
こいつは、両親の役に立たなければいけないという強迫観念を自ら生み出し、自ら雁字搦めになってしまっていた。
それがとてつもないストレスとなり、自律神経を狂わせてしまっていたのだろう。
なんでそんなに思い詰めちまったんだろうな。
「なんでそんなに頑張っちまったんだ?」
「それは……」
ルピナスをチラリと見て、俯き、口を閉ざすカンパニュラ。
誰かに何かを言われたな?
「そいつの言うことよりも、俺と、何よりお前の母親を信じてやれ」
「……え?」
カンパニュラの瞳が俺を見る。
想像通り、カンパニュラは誰にも言えない秘密を一人で抱え込んでいたようだ。
「大丈夫だ。そいつが言ったような悪いことは起こらない。俺が起こさせない」
そう言ってやると、カンパニュラの瞳がうるっと揺らめく。
可哀想に。こんな小さな体に重たいもんをしまい込んでたんだな。
「ヤーくんは、すごい……ですね。なんでも知っている、魔法使いさんみたいです」
「魔法使いを見たことがあるのか?」
「はい。倒れて動けなくなった私を、魔法のお薬であっという間に元気にしてくださいました」
……ん?
それって……いやいや、まさかな。
「ちなみに、真っ黒いローブで、黒いとんがり帽子かぶってたか?」
「はい。……やっぱりすごいです、ヤーくん。なんでも知ってます」
レジーナか?
そういえば、あいつは火の粉を買うために三十五区に来てたし、あれ以前にも何度か三十五区に来ていたとしても不思議ではないな。
「おっぱいは、つんと上向きのDカップか?」
「さぁ……そこまでは、分かりかねます」
じゃあ違うかもなぁ。
確証が得られないなぁ。
「『そんなところで倒れとったら、イケナイおっちゃんに連れ去られてぺろぺろはぁはぁされてまうでぇ~』と、おっしゃっていました」
レジーナだな。
口調と発想がまんまレジーナだ。
「……ねぇ、ヤーくん。その変質者と、知り合いのなのかしら?」
「まぁ、落ち着け! 発言はアレだが、純粋な人助けだ。実際、誘拐されかねない状況を打破したわけだし」
「……そうね。近いうちに厳重にお礼をしなきゃいけないわね」
厳重の後に続くのは注意くらいだと思うが……
「あれは魔法使いじゃなくて薬剤師だ」
「そうなのですか? 見たこともないような不思議な材料でお薬を作られていたので、魔法使いなのかと思っていました」
まぁ、三十五区には薬師ギルドがあるだろうし、レジーナの薬は異端に見えるだろうな。
それでも、変な物は飲ませていないはずだ。
「いい魔法使いのお姉さんとお友達なんですね」
「うん、知り合いな」
お友達と言われるのはちょっと躊躇うな。
保護者に危険視されるような人物ですし。
「ヤーくんのことは信頼しています。その上魔法使いのお姉さんのお知り合いなら、疑う余地はありません」
そう言って、小さな手を膝の上でぎゅっと握って、カンパニュラは恐怖を押し殺すように口を開いた。
「話せば、母様が不幸になると、言われました――」
そう言って、ルピナスを見る。
ショックを受けたのであろうルピナスが目を見開くが、カンパニュラと目が合うと優しく微笑み、ゆっくりと頷いた。
「私のために我慢してくれていたのね。ありがとう、カンパニュラ。優しい娘。大丈夫だから、話してご覧なさい」
母親に言われ、カンパニュラが頷き、意を決したように口を開く。
「知らない大人の人八人に囲まれ、言われました」
『お前の母親は出来損ないで家を追い出された失敗作だ』
『お前は失敗作の娘だ』
『お前も失敗作だ』
『何もなせないまま死んでいくのだ』
『下手な野望など持たず、最果ての地で静かに朽ちていくのがお似合いだ』
『身の程知らずにも表へ出てくればためらいなく潰す』
『野心を持ったら潰す』
『近付くだけでも潰す』
それは、カンパニュラが五歳の時に言われた言葉だそうだ。
……ウィシャートっ。
「それから、私は、身の丈に合った将来を模索するため、いろいろと考え――」
そこまで言ったカンパニュラを、ルピナスは力強いハグで黙らせた。
「もういい。もういいわ」と、震える声で言い、「話してくれてありがとうね」と髪を撫でた。
もう少し抱きしめていてやれよ、ルピナス。
きっとお前、今、すげぇ恐ろしい顔をしているだろうから。
背中から激しい怒気が迸っている。
下手すれば、今から三十区に乗り込んで下手人を血祭りに上げるまで暴れ回りそうな勢いだ。
「カンパニュラ」
ルピナスの腕の中にいるカンパニュラに語りかける。
「そいつは呪いだ。お前の努力を無にしてしまう、恐ろしい呪いだったんだ」
「呪い……でしたか」
そう。
それは呪いだ。
人は「お前には無理だ」と言われるだけで、持てるパフォーマンスを十全に発揮できなくなるくらいに心が脆い。
まだ幼いガキの頃ならなおのこと。
見ず知らずの大人八人に囲まれてそんな呪詛を浴びせられたというのなら、カンパニュラが無意識のうちに「きっと自分には出来ない」と思い込んでしまっていたとしてもおかしくはない。
「自分には出来ない」と思ったことは、努力をしてもうまくはいかない。
物事がうまくいくヤツは「絶対出来る」と信じているもんだ。
その呪いを解いてやる。
特別な儀式や呪文なんて必要ない。
やることは簡単。
「お前は、なりたい自分になれる。騙されたと思って、自由に生きてみろ」
目を見て「お前は出来る」と教えてやる。
それだけだ。
あとは、周りの大人たちが褒めてやればいい。何かを達成する度に「すごい」「えらい」ってな。
それこそが、ガキの才能を伸ばす最良の方法だ。
なにせ、その教育方針でジネットは料理を覚えたんだからな。
四十二区随一の腕前を誇る料理の天才を育てたって実績があるんだ、否定は出来まい。
「ヤーくんは、私を騙したりしませんので、騙されたと思って行動することは出来かねます」
くりくりの瞳が俺を見て笑う。
「でも、ヤーくんを信じて頑張ることは出来ます」
「なら、それでもいい。やってみろ」
「はい」
カンパニュラが笑い、泣いているルピナスの髪を撫でる。
「母様、笑ってください。私、今、とても嬉しいことがあったのですよ」
「えぇ、そうね。今日は、来てよかったわね」
「はい。とてもよい出会いに恵まれました」
その光景をしばらく眺め、俺は二人にハーブティーを入れてやった。
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