「お前……どうした?」
「ウ、ウクリネスさんに、着せられたのだ」
さん付けかよ……そんな怖かったのか、ウクリネス?
早朝。
三十五区へ向かう予定の俺は、エステラの家に赴いた。そこでルシアの馬車に同乗させてもらうことになっている。
で、その場所にチボーがいた。
しかも、服を着て。
「この服を、一晩で作ったのか…………あいつ、どんだけ仕事好きなんだよ」
「ワシの格好は服飾業界への冒涜だ……とか、なんとか…………おっかなかったなぁ……」
「で、逃げるに逃げられず、一晩拘留されてたわけか」
「何回も試作品を着せられた……」
「女の家に一晩……朝帰りか」
「ひっ!? カ、カーちゃんには、何卒内密に! ねっ!? お願いっ!」
「……あ~ぁ。ヤシロに弱み見せるとか……チボー、終わったね」
俺たちのやり取りを見ていたエステラが、さらりと酷いことを言う。
それじゃまるで、俺が他人の弱みに付け込んでいろいろ利用するような酷いヤツみたいじゃないか。……うん、その通り過ぎて反論できねぇな。
しかし、よく出来た服だ。
羽や腹(尻)の部分の加工が凝っている。
単純に穴をあけるだけでなく、開閉できるようにしてあるのだ。
チボー用のズボンはガバッと広げることが可能で、デカイ尻を包み込んで、足を通して、開いた腰回りを最後に留める。腰回りは、ちょうど赤ちゃんの紙おむつのような構造になっている。
上着も、羽を避けるように身に着けて、最後に裾の部分を留める方式だ。
開いた穴に無理やり羽を突っ込むことをしなくて済み、羽を傷める心配もない。
これ、うまく商品化すれば有翼人族に売れるんじゃないか?
羽を傷めないように大きめに穴をあけてガバガバにしなくてもいいし。オーダーメイドみたいな仕上がりですっきりして見える。
「変態タイツマンだったくせに、生意気な」
「好きでそうだったわけじゃないわっ!」
いやいや。
露出してた時のお前は、そこはかとなく楽しそうだったぞ?
服装といえば。
早朝だというのに、エステラはピシっとした格好をしている。
いつものパンツルックではあるが、設えのいい物を選んでいる。
やはり、ルシアと行動するからそれなりのグレードの服を選択しているのだろう。
「ところで、ルシアは?」
「ルシアさんなら、馬車の中だよ」
「もう乗り込んでるのか? 気が早ぇなぁ」
貴族は外で待たない、とか言って室内にいるのかと思ったのだが。
挨拶でもしておこうと、デミリーの馬車よりもさらに絢爛な馬車のドアを開ける。
――と、中でルシアが爆睡していた。
「威厳も何もあったもんじゃねぇな!?」
「む……カタクチイワシッ! 淑女の寝所に侵入するとは何事か!?」
「馬車だ、ここは!」
物っ凄い寝ぼけ顔で俺を睨むルシア。
格好は完全に他所行きだから、ここで寝起きしたわけではなさそうだ。
もっとも、そんなことエステラがさせないだろうが……
「大方、『ミリィたんと一緒じゃなきゃ眠れない』とか訳の分からん駄々を捏ねて寝不足だったんだろ?」
「覗いてたのか!?」
「見りゃ分かるわ、そんくらい!」
それで、「あ、これはもう起きてた方がいいな。寝ると寝過ごすな」みたいな感じで起きていたものの、眠た過ぎて馬車にこもったのだろう。
リーマン時代に経験があるよ。徹夜明けに、家を早めに出て電車で仮眠をとったことが。
「こ、これは、領主様っ! お、おはようございますっ! け、今朝もご機嫌麗しゅう……」
「んあ…………?」
いや、ルシア、『んあ?』って……
物凄いマヌケ面さらしてるけど、いいのかお前?
寝惚けついでに、虫人族を見て暴走したりしないでくれよ……
「……うむ」
「反応薄っ!? ミリィとかウェンディ見た時と反応違い過ぎるだろう!?」
目覚めて最初に見たのがウェンディだったら、間違いなく飛びついてむしゃぶりついてベタベタひっついてただろう、お前!?
「ヤシロ様」
エステラの館から、これまた完璧な出で立ちのナタリアが姿を現す。
こいつら、毎日何時起きしてんだ?
陽だまり亭では、教会への寄付の準備をするために必死こいてマグダを叩き起こしてきたってのに。……手伝いに来させればよかったか?
「遅いですよ」
「あぁ、すまん。マグダがなかなか起きなくてな。けど、出発の時間には間に合ってるだろ?」
「そうではありません」
白魚のような手を握りしめ、目力マックスでナタリアは言う。
「覗きに来られるかと思ってゆっくり着替えていましたのにっ!」
「さっさと仕事始めろよ、余計なことしてないで」
「『ガチャッ』『キャー』『ぐっへっへっ、いやぁ、うっかりうっかり』のくだりがっ!」
「予定してねぇよ、そのくだり!」
「折角、油断した感じを演出しようと、上下不揃いの下着を身に着けていましたのにっ!」
「いらん! その気遣いも情報も!」
あぁ、もう。朝からしんどい……
なんでこんなに全力で突っ込まなきゃいけないんだよ……
「では、そこの変質者を退治してから、馬車に乗り込むとしましょう」
「待って! ワシ、害のない変質者だからっ!」
いや、変質者を認めるなチボー。
つか、お前は強い女に弱いなぁ……恐妻家が身に沁みついちゃってんじゃねぇの。
「今日は、ナタリアも一緒なのか?」
「はい。ギルベルタさんがおいでにならないようですので、不詳私が、お供と身の回りのお世話を担当させていただきます」
「四十二区を空にしても平気なのか?」
「平和な四十二区ですから、何も問題など起こらないと思いますが……そうですね、万が一何か重大な事件が起こり、クレアモナ家が没落するようなことがあれば…………責任を取ってお嫁さんにしてくださいね」
「俺に一切の責任はないと思うんだけど?」
「というか、縁起でもない話をしないでくれるかい、二人とも」
クレアモナ家の没落などはあり得ないと思うが……まぁ、ナタリアの部下は優秀な者が多いからな。大丈夫だろう。
「あぁ、そうだ。お前ら、飯食ったか?」
「まだだけど?」
「途中でどこかの区に立ち寄り、調達する予定です」
「ならちょうどよかった」
朝の弱いマグダを起こしている間に、ロレッタとデリアが飯を作ってくれて、持たせてくれたのだ。
「ロレッタとデリアの合作、『普通の鮭おにぎり』だ」
「ロレッタさんの要素が遺憾なく発揮されていますね」
あいつが絡むと、もれなく普通になるからな。
「もしかして、デリアも泊まったのかい?」
「あぁ。マグダが寂しがってな」
ジネットのいない二日目の夜だ。
表情に出さなくても、寂しさと不安が積もっていたのだろう。
閉店間際からマグダは甘えん坊を発症し、頼り甲斐のあるデリアに抱きついて離れなくなってしまった。
俺が抱いて寝るわけにもいかないし、デリアには無理を言ってそのまま泊まってもらったのだ。
「だから今日はなるべく早く帰りたい」
「ジネットちゃんを連れて、ね」
そうすれば、マグダの寂しさもなくなるだろう。
……今回の件が片付いたら、思いっきり甘やかしてやるのもいいな。
「あっ、おにぎりだね。ボク好きなんだよね」
「そういや、雑穀米のおにぎりを出すようになってから、結構な頻度で食ってるよな?」
「食べやすいし、なんか好きなんだよね。よく分からないんだけど、こう……テンションが上がるっていうか」
子供か。
ご飯を残す子供でも、おにぎりなら食う。
言われてみれば、お子様ランチを作る前に客のガキがご飯を残したことがあったが……あの時作ったおにぎりにも食いついてたっけな。
「具は、やはり鮭なんですね」
「デリアがいたからな」
俺が厨房に入っていれば、鳥そぼろとかオカカとかコンブとか作れたんだが。
「では、車中でいただくとしましょう」
「じゃあ、預けておくよ」
ナタリアに託し、頃合いを待って馬車の中で食うとしよう。
チボーからは金を取ろうかな……いや、ほら。予定外の人間だし、オッサンだし……なんかキモいし?
「ワ、ワシは、一体いくら払えば譲ってもらえるのだろうか? いや、そもそも、ワシなんかが馬車に乗せていただくなど…………は、走って帰るぞ、ワシはっ!」
……あ、ダメだ。
こいつ、この手のシャレが通じない。
まずは、こいつらの、この極端に卑屈過ぎる性格を改善してやらないとな……
「チボーよ、そう言うな。共に三十五区へ帰ろうではないか」
「ル、ルシア様……しかし、ワシのような下賤な者が……」
「チボー。私の話を聞け」
卑屈な発言を遮り、ルシアが真面目な表情でチボーを見つめる。
威厳が有り余り、少し怖いくらいだ。
チボーも緊張から口を閉じ……というか、身動きすら取れない様子で、ルシアの言葉を待っている。
そして、ルシアが今まさに口を開こうとしたタイミングで、とても可愛らしい声が聞こえてきた。
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