ゲラーシーの立ち位置が明確に変わった。
余裕がなくなっているのだろう、額に汗が浮かんでいる。
『BU』は群れであることでアドバンテージを得ている。
群れから放り出されたら、こんなもんだ。
「まさか、こんなことになるなんてな」
ぽつりと呟いた俺を、ゲラーシーが鬼のような目で睨んできた。
「多数決が否決されるなんてことがあるんだな」
呆けたように言ってやる。
少々白々しいか?
ゲラーシーは今、他の領主から疑念を抱かれている。
俺をこの場へ引き込み、何かを企んでいるのではないか。
もっと俗っぽい言い方をすれば、自分たちを出し抜いて一人で儲けるつもりなんじゃないか、とな。
一人勝ちしている(と、思われている)ヤツが、自分たちの意見も聞かずに「じゃあ、多数決やるぞ」と独断で決めたりしたら、そりゃ反発もしたくなるわ。
むしろ「そうやって都合のいいように事を運ぼうとしてるんだろ」くらい思われても仕方がない。
そう思われるように仕組んだのだから。
組織を内側から引っかき回すなんて簡単なんだよ。
特に、テメェの利益のためだけにつるんでいるような、表面だけの同盟なんかはな。
たった一言で、信頼ってやつが一気に崩れ去ることだってある。
そして、俺は今、その『たった一言』を隠し持っている。
かつて、袖にナイフを仕込んでいたギミックの改良版。その中にな。
言葉の力もすごいが、文字の力ってのは格別な破壊力がある。
それを出すのはもう少し後になるだろうが。
「……多数決が出来ないってことは、俺を追い出すことも出来ないってわけだ。なら、もう少しいさせてもらうかな」
ゆっくりと、端から順に各領主の顔を見ていく。
目が合っても、誰も反論しなかった。
反論がゼロってことは、俺はここにいてもいいってわけだ。
「まぁ、来ちまったもんはしょうがねぇよな。仲良くやろうぜ」
俺の軽口に苛立たしげな息を漏らしたヤツがいた。
本心では俺に消えてほしいのかもしれない。
だが、俺をここから追い出すと、自分がここにいる間に裏で何かやられるかもしれない。そんな心理が働いているのだ。
なので、『デキる領主様』だけが気付けるようなさりげなさで、不快感を表情に浮かべる。ほんの一瞬。
「ちっ、うまくいかねぇな」的な表情を。
たったそれだけのことで、ほくそ笑んだ領主が二人もいた。
あれは、二十八区と二十五区か。ドニスより数段落ちる領主だな。素直過ぎる。
まぁ、素直さで言えば、ゲラーシーも負けていないけれど。
「どうするゲラーシー? 多数決、出来なくなっちまったぞ」
「誰の責任だと思っている……っ?」
奥歯を噛み締めて言うゲラーシーだが、責任があるとすれば、信用のないお前の責任だろう。
「『多数決を採るか』の多数決を採るか?」
それが一番公平だろうという皮肉を込めて。
しかし、結局多数決は採られない。
しばしの間、重く嫌な沈黙が流れる。
各々が何かを考え、けれど何も言えない状況が続く。
言いたいことは腐るほどあるんだろうが、状況がどう転ぶか分からないために下手なことが言えないでいるようだ。
ゲラーシーも口を開かない。
守りに徹したって、災難は過ぎ去ってくれなどしないというのに。
「しかし、疎まれているのかと思いきや、まさかの歓迎に驚いているよ。ありがとうな、受け入れてくれて」
各領主をさらっと見渡して言ってやる。
損をしたくないから下手なことはしない。
責任を負いたくないから率先して発言はしない。
そんな思考にとらわれちまった領主たちが、厳めしい顔つきで口を引き結んでいる。
やり場のない怒りは、自然とゲラーシーへ向けられる。
ゲラーシーVS『BU』。
そんな構図ではあるが、それではまだ足りない。
まだ群れでいようとしている連中をばらけさせ、『BU』を分解させる。
本当に『公平』な多数決を採るためにな。
そのために、もうひと押ししてやる。
「てっきり門前払いされるかと思っていたんだけどな」
「――っ!? そうだ!」
はっとした顔をして、ゲラーシーがトレーシーの座る席の方へと振り返る。
「関所はどうした!? 監視をきちんとしていたのか!? そもそも、なぜこの男が二十九区の中に入ってこられたのだ!?」
ここぞとばかりに、全力で責任を自分から逸らす。
自分以外なら誰でもいい。そんな思いが滲み出している。
「ミズ・マッカリー! 外周区の人間が『BU』へ入るには、貴女の二十七区を通ることが多いはずだ。きちんと見張りを立てていたのか!?」
「聞き捨てならんぞ、ミスター・エーリン! 貴公は自分の非を他人に押しつけようというのか!?」
「非だと? 私のどこに非があるというのだ! そもそも貴女は、四十二区とは懇意にしていたではないか! 見張りは立たせていたが、お目こぼしがあったのではないのか?」
「無礼にもほどがあるぞ、エーリン!」
トレーシーが立ち上がり、癇癪姫の名に恥じない大声で怒鳴り立てる。
放っておいたら掴みかかりそうな勢いだ。
なので、ルシアへと視線を向ける。
もう少し引っ掻き回してもらうために。
そして、ルシアは視線だけでこちらの要求を理解してくれる。
さすがだ。
「エステラと私は、今朝三十五区で合流し、ともにここへやって来たのだが?」
それは、エステラが二十七区を通っていないということの証明でしかなく、『オオバヤシロがどの区から入ったのか』という話からは完全に話が逸れているのだが……この荒みきった空気の中では、そんな細かいことを気にする者などいない。
まぁ、ドニスあたりは気付いているかもしれないが、ドニスが気付いたところでこちらに不都合はない。…………お前にも付き合ってもらうぜ、ドニス。
「三十五区から来たのであれば、通ったのは二十五区の関所であろう」
トレーシーがゲラーシーを睨みつけながら言う。
自身の潔白を証明すると同時に、ゲラーシーの不敬を糾弾するように。
慌てたのは二十五区の領主だ。
「ま、待っていただきたい! 我が区の関所は監視を強化し、一人一人の顔を確認までしていた! 見落としなどあり得ない!」
「だが、三十五区と隣接しているのは二十五区ではないか」
嫌疑を晴らす好機とばかりに、トレーシーは攻勢をかける。
手紙で伝えたとおり、『自区の利益』のために行動をしている。
いいぞ、トレーシー。
お前の追及が、ドニスを巻き込んでくれる。
「隣接していようと、少し回り道をすれば他の区からでも入れるであろうに! そ、そうだ! ド、ドナーティ殿は、つい先日四十二区と親睦を深めておられたそうではないか」
「それが、なんだというのだ? ん?」
「で、でで、で、あるからして! お目こぼしをしたと言うのであれば、我が二十五区ではなく、に、にに、二十四区が怪しいのではないかっ!?」
ドニスの低い声にビビりながらも、言いたいことを言い切り、二十五区の領主はドニスに背を向けるように視線を逸らす。体ごと逸らしている。
汗が尋常じゃない。そんなに怖いのか、あの一本毛が。
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