「……むふーっ」
マグダが膝の上に座ってご満悦だ。
とても機嫌がいいのか、さっきから尻尾が『ピーンッ!』と立ちっぱなしになっている。スカートがめくれてショートパンツが見えているのも気にしない。よほど嬉しいのだろう。
マグダが乗っているのは俺の膝の上…………では、ない。
「……頭を撫でることを許可する」
「えっ? え……っと」
不安げな瞳がこちらを見たので、俺はゆっくりと首肯した。
「で、では……失礼します」
耳の付け根をもふもふされると、マグダは盛大に「むふーっ!」と鳴いた。
「あ、あの……なんだか、恥ずかしいですね。あまり、こういったことはなかったので」
「……今日は特別。…………二日分」
「そうですね。お久しぶりですし、何より、私が留守の間、マグダさんは店長代理として頑張ってくれましたものね」
「……褒めるといい」
「では。いいこいいこ」
「……むふーっ」
マグダはさっきからずっとこの調子なのだ。
ジネットと共に三十五区から戻り、陽だまり亭に着いたのは日が沈んだ後だった。
夕飯のピークも過ぎ、店は落ち着いた雰囲気に満ちていた。
今日も手伝ってくれていたデリアとノーマ、馬車馬の如くこき使われていたらしいウーマロがテーブルでぐでっとしていた。
そんな中、ロレッタはテキパキと店内の掃除をし、マグダは…………ジネットに飛びついた。
すんすんと匂いを嗅ぎ、ぎゅぅぅぅうううっと腰にしがみつく。
顔を下腹部にぐりぐり押しつけられて、ジネットは困ったような顔をしていたが、……たぶんマグダは泣いていたのだろう。
ジネットには少し申し訳なかったが、しばらくの間そのままそっとしておいた。
で、それからずっと、マグダはジネットにべったりなのだ。
トイレにまで付いていこうとする始末で、こっちはこっちで『もう二度と離れるものか』という強い意志を感じさせる。
オルキオたちとは、向いているベクトルが違うけどな。
「なんだよ、マグダ。お前って、そんなに甘えん坊だったか?」
「寂しいのを無理していた反動さね。今は好きにさせておやりな」
「はぁぁぁ……甘えん坊なマグダたん、マジ天使ッス!」
テーブルに片肘をついてマグダを眺めるデリアに、口寂しそうに煙管を指でもてあそぶノーマ。――と、いつもの重症患者。
確かに、マグダが人目を憚らずに甘えるのは珍しいかもしれないな。それもジネットに。
俺も、この珍しい光景をもう少し眺めていよう。
「お兄ちゃん、店長さん。何か飲むです? あたし、何か用意するですよ」
「あ、それでしたらわたしが……」
「……ロレッタ、二人に冷たい飲み物を」
ジネットが腰を浮かせようとするも、マグダが子泣きジジイのようにしがみついて離さない。
ジネット。今日はもう観念してマグダ専属の付き人になっとけよ。……あ、引っつかれ人か。
「それじゃ、お兄ちゃん。何がいいです? 何飲みたいです?」
「そうだな。じゃあ、コーヒー以外で」
「分かったです! コーヒー淹れてくるですっ!」
「待てっ! お前はまだコーヒーを淹れられる腕を持っていない! 別のにしろっ!」
「じゃあ、ロレッタオリジナルブレンドコーヒーにするですっ!」
「それが最悪のチョイスだよっ!」
もういい! 俺がやるっ!
自分で淹れた方が絶対美味い!
「お前は座ってろ」
「でも、お兄ちゃん長旅で疲れてるですから」
「お前も、一日中働いて疲れてるだろ? 少しは休んでろ」
「いいえ、です!」
むんっと胸を張り、ロレッタは小鼻を膨らませる。
「一日働くのは店員として当然のことです! あたしはこれくらいじゃ全然疲れてないですっ!」
確かに。
デリアやノーマに比べて、ロレッタはまだまだ余裕がありそうだ。
慣れ、ってのもあるんだろうが……
「そうだな。お前はもう一人前のウェイトレスだもんな」
「にょほっ!?」
素直に褒めると、面白い声を出す。
それはたぶん、こいつの仕様なのだろう。褒められ慣れろよ、いい加減。……そんなに褒めてないか、俺? 普通に褒めてるだろ? いや……待てよ…………褒めて…………ない、か?
「お、おぉぉぉおお、お兄ちゃんが、お兄ちゃんがあたしを褒めたですっ!?」
「いや、そんなにか!? それはさすがに大袈裟だろ!?」
「ヤシロ、どうした!? なんか変な鮭でも食ったのか!?」
「天変地異の前触れさね……」
「いやいやっ! 俺、結構ロレッタ褒めてるだろ!?」
デリアとノーマまでもが驚いた顔をしている。
そんなに褒めてないことないだろう!? なくもないだろう!?
「ロレッタは、褒められるところなんか一つもないさね」
「それは酷いですよ、ノーマさん!? あたし、褒めるところいっぱいあるですよ!」
「そうだぞ。ロレッタは普通にすごいんだぞ」
「『普通』やめてです、デリアさんっ!」
まぁ、アレだな。
ロレッタが誰といてもいじられポジションにいるのが悪いんだな。
で、こんなにきゃいきゃい騒がしいのに、ウーマロ、お前は一切参加しないんだな。
マグダしか眼中にないのか? そうなのか? ま、そうなんだろうな。
「こうなったら! 美味しいコーヒーを淹れて、あたしのすごいところをみんなに披露するです! 刮目して、そして見直すがいいですっ!」
「ロレッタ……」
「楽しみにしててです、お兄ちゃん!」
「……コーヒー豆一粒でも無駄にしたら、一週間の自宅謹慎を命じる」
「………………みなさん、お水でいいです?」
努力は買う。
その向上心も大したものだし、チャレンジ精神は見上げたものだ。
だが、努力さえすればなんだっていいってわけではない。
特にロレッタの場合、努力が「そっちじゃないっ!」って方向にフルスロットルで突っ込んでいくことが多い。
俺は、結果を最も重要視する男なのだ。
「まったく……」
「あっ! お兄ちゃんは座っててですっ!」
椅子から立ち上がると、ロレッタが慌てて俺の胸に手を押し当てる。
押し返して座らせようとしているのだろうが……
「触りっこか?」
「にゅおんっ!? ち、違うですよっ!?」
両手を広げて指をむにむに動かしてみせたら、物凄い速度で遠ざかっていった。
両腕で胸をがっちりガードして、頬袋をぷくっと膨らませる。
う~ん、両サイドから押して「ぷしゅっ!」ってさせたい。
「今日はもう、客は来ないだろう。みんなゆっくりしてろ」
「はぅっ! お兄ちゃんが厨房にっ!」
どうあっても自分でコーヒーを淹れたいのであろうロレッタが焦りを見せる。
最早コーヒーを淹れる理由が、疲れた俺を労うためじゃなく、自分が出来る娘だと証明したいってのに変わっちまってるようだけどな。
「ロレッタ。付いてこい」
「へ?」
「コーヒーの淹れ方を教えてやる」
「ふぁっ!?」
いつもよりオクターブ高い声を上げフリーズするロレッタ。
ハトがハト鉄砲を喰らったような顔だ。
体に『ズビシッ!』って当たって、「あぁ、これは豆かなぁ……」って見てみたら「えっ!? ハトッ!?」って。もう、豆鉄砲の比じゃない驚き具合だ。
「ジネットのとは少し味が変わるが、俺のコーヒーだってそこそこ美味いんだぞ」
「お…………教えて、くれるです?」
「真面目に覚える気があるならな」
「覚えるですっ! 教えてほしいですっ!」
「じゃ、付いてこい」
「はいですっ!」
嬉しそうに、ぴょんぴょん弾みながら駆けてくる。
本当に元気だな。もう、営業時間も終わろうかって時間なのに。
「店長さんとは違う味…………これは、売りになるかもですっ!」
「コーヒーを頼む客はほとんどいないけどな」
「それでも、得意料理が一つあるのはいいことです!」
料理……か?
「あたしもいつか、マグダっちょみたいに店長代理を任されるような、頼れる店員になりたいです」
厨房に入ったところで、ロレッタがそんな言葉を口にした。
マグダにも誰にも聞かせていないであろう決意。
こいつも、いろいろ考えているんだな。
なんというか……成長したもんだ。もともと責任感は強い方だったのだろうが。
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