異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

150話 ヤシロの決断 -3-

公開日時: 2021年2月27日(土) 20:01
文字数:3,071

「ジネット」

「…………っ!?」

 

 名を呼ぶと、ジネットの肩が跳ねた。

 そして、ゆっくりと顔を上げて、涙に潤む大きな瞳で俺を見上げてくる。

 

 俺は黙ってポケットから20Rbを取り出し、そっと、ジネットの手に握らせた。

 

 手のひらに載った20Rbを見て……ジネットの目が大きく見開かれ…………がくりと肩が落ちた。

 

 音もなく、涙が頬を伝い落ちていく。

 

「これは、俺のケジメだ」

 

 ずっと保留にしていた食い逃げの代金を、ようやく支払えた。

 これで、俺を縛るものは、何も無くなったわけだ。

 

「…………はい」

 

 今にも消えそうな儚い表情をしながらも、ジネットはそれを受け止めたようだ。

 グッと顔を持ち上げ、そして、無理やりに笑顔を作る。

 

「毎度…………ありがとう、ござい……ました…………っ」

 

 店員として、きちんと仕事をこなす。

 まさに、店員の鑑のようなヤツだ。

 

 

 ……ホント、バカだなぁ。

 なんでこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう。

 

 俺の過去だとか、俺の罪だとか、俺が許せないだとか、俺がいない方がだとか、俺のいる場所じゃないとか、俺には相応しくないだとか、俺は、俺が、俺の、俺に、俺へ、俺と…………

 俺がずっと悩んでいたのは、全部俺のことだった。

 俺はずっと、俺のことしか考えていなかった。

 

 だから、バカなんだっつの。

 

 

 こんなバカな俺を、そばでずっと見守っていてくれたヤツがいるのに……そいつのことを考えてもいなかったなんて……

 

『俺がいない方が、ジネットは幸せになれる』……誰がそう言ったんだよ。俺だろうが。

『俺みたいなヤツがジネットのそばにいるわけにはいかない』……それも俺の意見だ。

『俺は詐欺師だから幸せになる権利なんか……』……ねぇと思うんなら、ならなきゃいいだろうが! その代わり、テメェみてぇなバカのために本気で涙を流してくれた、この世界最高のお人好しを全力で幸せにしてみせやがれ! 罪が、許しがと小癪に悩むなら、せめて、目の前にいる大切な人間を幸せにするために死に物狂いになって、人生かけて、死ぬ気で成し遂げてみせろよ! それくらいのことも出来ないで、何が『俺は詐欺師だから……』だ!?

 

 言い訳を探すためにテメェはこの先の未来を生きていくのか!?

 

 許されると思うな。テメェの犯した罪は一生消えない!

 だからって、これから先の人生を投げ捨てるような真似をしていい理由にはならない!

 他人の人生ぶち壊しておきながら、テメェの人生を粗末に扱うな!

 

 そんなに許しが欲しいなら、俺がテメェに、『生涯奉仕活動の刑』を科してやる!

 

 

 

 もう、これ以上、ジネットを泣かせるようなことはするな……な?

 

 

 

「ジネット」

「……はい…………」

「俺を、この店で雇ってくれねぇか?」

「………………え?」

「未払いの代金を払うためじゃなく、正式に、正真正銘、ここの従業員として、雇って…………ください! お願いしますっ!」

 

 腰を九十度に曲げ、深々と頭を下げる。

 

 ジネットの呼吸が乱れる。

 戸惑いが手に取るように伝わってくる。

 

 そして……

 

「…………は……ぃ」

 

 その返事を聞いて、俺は顔を上げる。

 すると、そこには――

 

 

 女神みたいな綺麗な微笑みがあった。

 

 

 優しい笑みを浮かべて、ジネットが俺を見つめている。

 そしてもう一度、今度は目を見てハッキリと返事をくれた。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。ヤシロさんっ」

 

 俺の手を取り、ギュッと握りしめる。

 少し照れたように頬を赤く染め、けれど手は離さずに、少しの間見つめ合う。

 

 ――と、その時。

 

 するり……と、左腕から何かが落ちた。

 

「…………あ」

 

 それは、汚れて黒ずんだ、細い紐…………俺の腕にずっと結ばれていたプロミスリングだった。

 

 

 

 突然、頭の中に様々な記憶が溢れ出してくる。

 俺がガキだった頃から、中学、高校と進学して、人生を踏み外し復讐を貫いて、結果命を落として、けれど転生して……そして陽だまり亭にたどり着いて…………これまで見て聞いて感じてきたものすべてが、目まぐるしく脳裏に浮かんでは消えていく。

 

 目の前に映画のスクリーンがあって、そこで早回しの映像を見せられているような、そんな感覚に陥り…………ようやく映像がストップした。

 

 音が消え、世界が真っ白になっている。

 何もない……何も感じない……不思議な世界に俺一人が立っている。

 

 そんな不思議な世界の中で……

 

「ヤシロっ」

「ヤシロ」

 

 俺を呼ぶ、二つの声が…………

 

「…………あ」

 

 自然と、涙が溢れてくる。

 

 そこに立っていたのは…………

 

「親方…………女将さ……ん……っ」

 

 

 もう二度と会えないと思っていた、親方と女将さんだった。

 二人は並んで立ち、あの頃と何も変わらない優しい笑顔で俺を見つめている。

 

「あ、あの……あの、俺…………っ!」

 

 謝りたかった。

 

 気が付けなかったこと。

 助けられなかったこと。

 二人の気持ちを無視して、詐欺師なんかになっちまったこと……

 そして、死んでしまったこと……

 

 だけど、全然言葉が出てこなくて……何も言えなくて……

 二人の顔を見ていると……言わなきゃいけない言葉はそれじゃないって、思えて……

 

 だから、俺は、心に浮かんだ言葉を、素直に伝えた。

 

「俺……。俺、幸せになるよ」

 

 そうしたら、二人は嬉しそうな顔でゆっくり頷いて、そして小さく手を振った。

 世界の色が淡くなっていく。

 存在が希薄になっていく。

 消えてしまう。そう確信した時、俺はもう一言だけ、どうしても言いたいことがあって、間に合えと祈りながら全力で叫んだ。

 

 

 

「大好きだった! 二人の子供になれて、俺は幸せだったよ! お父さん、お母さん!」

 

 

 

 世界が暗転して……俺を呼ぶ優しい声が耳に届く。

 

「ヤシロさん。ヤシロさん……大丈夫ですか?」

 

 目の前に、ジネットがいた。

 不安そうな顔で、俺を見上げている。

 

「これ……大事なものだったんですよね?」

 

 ジネットが、切れたプロミスリングを拾って俺に差し出す。

 

「大丈夫。これはこれでいいんだ」

「そうなんですか?」

「あぁ。これは、こうやって切れるものなんだよ。願いが…………叶う……と…………っ」

「……ヤシロさん?」

「願いが…………俺の…………父さんと、母さんの……願いが…………俺に、幸せに生きろって………………願…………っく…………」

「あ、あの……ヤシロさ……っ!?」

 

 もう、無理だった。

 俺は蹲り、嗚咽を上げた。

 みっともないと分かっていても、漏れ出す声をこらえることが出来なかった。

 

「……ヤシロさん」

 

 そっと背中に触れるものがあった。

 温かいそれは、ゆっくりと俺の背中を撫でてくれる。

 

 涙が止まらない。

 自分の感情が制御できない。

 自分がどうにかなってしまいそうなほどに泣いて……すべてを吐き出して……

 俺は、ようやく…………変われる……そんな気がしていた。

 

「……店長?」

 

 マグダの声がした。

 そして、驚くような息遣いが……

 

「マグダさん。大至急みなさんを集めていただけませんか? 今日は、ヤシロさんのお誕生日なんです」

「…………了解。マグダに任せて」

 

 そんな短い会話で、すべてを悟ったのだろう。

 気の利くジネットと察しのいいマグダ……また、気を遣わせちまったな。

 

「……ヤシロ」

 

 マグダの足音が俺に近付いてくる。

 速度を緩めることなく俺の隣を通り過ぎていく足音。

 

 通り過ぎる瞬間、マグダはぽつりと呟いた。

 

「…………ありがとう」

 

 その声は、ほんの少しだけ、嬉しそうだった。

 

 ドアが開閉して……足音が遠ざかっていく。

 

 食堂内に静けさが戻る。

 俺の嗚咽もようやく止まり、二人きりの空間は緩やかな空気に包まれる。

 

「ヤシロさん……」

 

 そんな穏やかな空気の中で、囁くようなジネットの声がして…………

 

 

「ようこそ、陽だまり亭へ」

 

 

 俺は、自分の居場所がここであることを確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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