「おや……まぁ…………。今日はたくさんだねぇ、ジネットちゃん」
「あっ! ムムお婆さん!」
水着で盛り上がる女子たちのかしましい声に、落ち着いた老婆の声が混ざる。
ジネットの祖父さんが生きていた頃からの常連、洗濯屋のムム婆さんだ。
「今日は、出直してこようかねぇ」
「いいえ! どうぞ、お入りください」
ジネットはこのムム婆さんが大好きなのだ。帰すわけがない。
空気を察し、女子たちが声のトーンを落とす。
あ……これ、水着ショー中止の流れだ。
「あらっ!」
ジネットに案内され、店内奥の涼しい席へ向かう途中で、ムム婆さんはコーヒーゼリーを見て声を上げた。
「懐かしいわねぇ……コーヒー。あら、でも、固まっているのねぇ」
「これは、コーヒーで作ったデザートなんですよ。よければ試食してみますか?」
「あら、いいのかしら?」
「はい。ムムお婆さんは大切な常連さんですから」
そんな会話を聞いて、水着に夢中だった面々もコーヒーゼリーの存在を思い出す。
「あ、そうそう! あたい、これ食べたいな!」
「そうだね。見たことのない食べ物だし、興味深いよ」
「ではお嬢様。私が『あ~ん』で……」
「いや、それはいい」
あぁ、完全に水着ショー中止のお知らせだな。
まぁ、今度の川遊びで堪能させてもらうさ。
「……これは、苦い塊」
「ですね……あたしも、あまり期待できないです」
「そう言わずに食ってみろよ」
難色を示すマグダとロレッタ。コーヒーを先に飲んでるからな。
だが、コーヒーとコーヒーゼリーは全然違うぞ。
「んっ! 美味い! 甘いっ!」
甘いもの大好きなデリアが一口食べて声を上げる。
「甘いのにさっぱりしていて……不思議ですね、微かな苦みがこんなに美味しく感じるなんて……」
ベルティーナが初めての味に瞳を輝かせる。
「へぇ。オシャレな味だね。見た目もいいし、夏にピッタリだよ」
「私も同じ感想を抱きました。お嬢様も、少しは物が分かるお歳になられたのですね」
「……それ、自分をアゲてるの? ボクをサゲてるの?」
エステラとナタリアも気に入ったらしい。
「さぁ、どうする?」
「…………試すだけなら」
「ですね。期待はしてないですけど」
恐る恐る、コーヒーゼリーを口に運ぶマグダとロレッタ。
口に入れた瞬間、「カッ!」と目を見開いた。
「……マグダは、こういうのをずっと待っていた」
「美味しいです! コーヒーの香りがキリッと際立ちつつも、生クリームの甘さの中でしっかりと主張していて、この微かなほろ苦さが甘さをくどくないものに演出しているです。猛暑期のうだるような暑さで疲弊した胃が元気になるようなさっぱり感で、見た目、舌触り、香り、味、そのすべてが涼しさを感じさせてくれる、まさにこの時期のためのデザートですっ!」
大絶賛だ。
お前らの手のひらクルックル変わるんだな。
「ジネット」
「はい」
「ムム婆さんには俺の分を。お前も食って感想を聞かせてくれ」
「よろしいんですか?」
「あぁ。俺のは、また作ればいいさ」
「はい。ありがとうございます」
コーヒーゼリーを渡してやると、ジネットはムム婆さんの向かいに座り、一緒に口へと運んだ。
「…………あぁ、美味しいですね」
「本当にねぇ……陽だまりの祖父さんを思い出す、懐かしい味だねぇ……」
なんだか、そこだけが切り離され、『あの日の陽だまり亭』に浸っているような、そんな雰囲気になっていた。
これは、しばらくそっとしておいてやろう。
「イメルダとネフェリー、それからパウラはどうだ?」
「おかわりが欲しですわ! あと、ベッコさんに至急これの食品サンプルを作らせてくださいまし!」
「なんだか、大人の味って感じだね」
「うんうん。これならうちのお客さんにも受けそう」
イメルダはもう完食しており、ネフェリーは大人に憧れる少女のような目で、そしてパウラは興味津々な熱い眼差しで、それぞれにコーヒーゼリーを堪能したようだ。
「ぁ…………みりぃ、これ、好き」
「苦くないか?」
「ぅ…………へいき、だよ?」
ミリィには、少しだけ苦いらしい。
でも、気に入ってくれたようだ。
これだけ幅広い層の支持を得られたのだから、コーヒーゼリーは成功するだろう。
猛暑期の間に飛ぶように売れるかもしれん。……仕込みが忙しくなりそうだ。
「本当に、懐かしいねぇ……」
小さな口でもちゅもちゅコーヒーゼリーを食べるムム婆さんが、ぽつりと呟く。
「昔は、こうやってみんなでコーヒー飲んでたんだよねぇ、ここで。陽だまりの祖父さんが好きだったからねぇ……」
「…………はい。そうですね」
騒がしくしていた連中も口を閉ざし、静かに流れるその一角の空気を、ただ見つめていた。
なんとなく、これは壊しちゃいけない気がしたんだ。この空気は。
「よく頑張ってるねぇ、ジネットちゃんは。陽だまり亭が元気になって、私も嬉しいよ」
「………………」
ジネットが、言葉に詰まった。
一瞬、眉毛がうねり泣きそうな表情が浮かぶ。
だが、次の瞬間には柔らかい笑みが顔中を覆い、ふわりと花が咲くような声で言う。
「はい。わたしも、とても嬉しいです」
見守る者たちは何も言わない。
何も言わないけれど、みんな何かを感じている。そんな顔をしていた。
水着ショーは中止になってしまったが…………まぁ、これはこれでいいだろう。
俺は、なんだか穏やかな雰囲気になった空気を壊さないよう配慮をしつつも、最重要事項がこの流れで有耶無耶になってしまわないよう、ジネットに忠告をしておく。
「ジネット」
「はい」
「お前の水着、おっぱいが物凄いことになるけど、それが魅力だから、恥ずかしがらずに着るように」
「なんで今言うんですかっ!? いい空気でしたのにっ!」
バカヤロウ! いい空気よりいいおっぱいの方が大事だからに決まってんだろうが!
「ヤシロ……」
「ヤシロ様……」
「……ヤシロだから、しょうがない」
「お兄ちゃんは……まったくです」
なんだか周りから向けられる視線が冷たい気がする。
…………ちっ、どいつもこいつも分かってない!
けどまぁ、今は引き下がってやるとしよう。特別だからな。ふん。
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