陽だまり亭に戻ると、ジネットが出迎えてくれた。
「おかえりなさい、ヤシロさん」
いつもの笑顔で、いつもの声で、いつものように出迎えてくれる。
そんないつものジネットが、俺の顔をじぃっと覗き込んできた。
そして――
「『精霊の審判』」
「ぅぉおお!?」
いきなり俺に『精霊の審判』をかけてきた。
デジャヴ!?
なんか、ついさっき経験したぞ、この展開!?
「な、なんだなんだ!? どうした急に!?」
盛大にパニクる。
エステラなら、その意図はなんとなく分かるが、ジネットの場合はまるで読めない。
え、なに?
レジーナ、エステラと、続けて抱きしめたりしたから怒ってるとか!?
ジネットって意外と激情家!?
とか思っていると、全身を包む淡い光が掻き消えた。
……心臓が、痛い。
「大丈夫ですよ、ヤシロさん」
一生涯、『精霊の審判』なんか使わないのであろうと思っていたジネットからの『精霊の審判』に心臓が止まりそうなのだが、ジネット曰く大丈夫らしい。何が大丈夫なんだ?
「実は……わたし、シスターに聞いたんです。ヤシロさんが『精霊の審判』を使ったことで悩んでいること」
勝手にすみませんと、ジネットは頭を下げるが、大方ベルティーナが話しておいた方がいいと判断してそうしたのだろう。
俺としても、聞かれて困るようなことではない。なので、謝罪はいらないと頭を上げさせる。
幾分ほっとした顔で、ジネットは続ける。
「それでその時、こんな話を聞かせてもらったんです」
それは、ジネットも知らなかった事実。
「たまになのですが、子供たちの中には興味本位で『精霊の審判』を使ってしまう子がいたそうなんです」
話で聞き、興味を持ち、好奇心から使ってしまう。
それは、なんとなく理解できることだ。
だが……興味本位で使用するには危険過ぎる力だよな、『精霊の審判』は。
「でも、大抵の子は使用したことで――『精霊の審判』が本当に発動したことに恐怖を覚え、泣いてしまうんです。怖くて怖くて、どうしようもなくなってしまうんです」
相手がカエルにならなかったとしても、『それを使った』という事実は残る。
よく、拳銃を初めて撃った後は、その感触がいつまでも手に残るという。
江戸の頃なら「初めて人を斬った感触は――」って感じか。
それは、きっと恐怖なのだろうな。
「だから、そういう時はこうやって『精霊の審判』をかけてあげるのだと、シスターは言っていました」
大丈夫。怖くない、と。
恐怖は、未知なるものからやって来る。知らないから怖くなる。
一度自分で体験すれば、『精霊の審判』も怖くなくなる…………いや、めっちゃ怖かったけど!?
「それは、折檻か?」
「い、いえ、違いますよ!?」
虐待目的ではないようだ。
「『怖かったね』って、『もう、しちゃダメですよ』って諭すんです。そうすれば、二度と悪戯に『精霊の審判』を使おうなんて思わなくなるんだそうですよ」
それは……なんともリスキーな気がした。
「お前は怖くなかったのか? 自分がかけた『精霊の審判』で、もし俺がカエルになったら――とか」
「もし、そうなったら、責任を持ってわたしが一緒にいます。一生」
そんな言葉に、ぞわりと心がざわついた。
「……店長はマグダに、『ヤシロをカエルにしない』と約束していた」
マグダとロレッタがやって来て、ジネットの隣に立つ。
「……もし、ヤシロがカエルになったら、マグダが店長をカエルにしていた」
「いや、怖ぇよ!?」
「あたしも見届ける覚悟でした」
「止めろよ、そこは!」
やめろやめろ、そんな物騒なこと!
「……でも、絶対そうはならないと確信していた」
「確信してたっつってもなぁ……」
「お兄ちゃんなら大丈夫だと思ってたです」
どこから来る信用だ、それは?
「シスターがおっしゃっていました。『精霊の審判』は、愛を持って接する以上、誰かをカエルにすることはありませんと」
愛を持っていようが、『会話記録』内に嘘が見つかればカエルになりそうだが…………いや、違うのか。
エステラの話によれば、嘘を認識せずに『精霊の審判』を使用すれば、相手はカエルにならない。
四十二区の牢獄で、あのゴロツキをカエルから人に戻す時に現れたあの言葉――
『許せるのか』
――アレを含めて考察すると。
もしかして、『精霊の審判』は、すべての嘘を糾弾するものではない……かも、しれない?
憎しみを持って、明確な敵意のもと、相応の覚悟があって初めて相手をカエルに変えるのかもしれない。
あくまで、推測でしかないが……
「なぁ、ガキが興味本位で『精霊の審判』を使った時、カエルになっちまったヤツはいるのか?」
ガキ同士なら、きっとしょうもない嘘を吐き合ったりするだろう。
それを、冗談で『精霊の審判』にかけてしまったとしたら……一生消えないトラウマが刻まれてしまう。
そんな事故は、容易に起こり得る。この世界なら。
「『精霊の審判』は理由や過程ではなく、『発言に嘘があったかどうか』が精霊の呪いの発動条件になっていると言われています。わたしもそう教わってきました」
以前、ジネットとそんな話をした。
あれは、俺がこの街に来たばかりのころだ。
だから、ガキ同士の他愛ない嘘でも『精霊の審判』は発動するはずだ。
だがもし、それが起きていないのだとすれば――
「それでもわたしは、過去に教会でそのような悲劇があったとは、聞いたことがありません」
――精霊神は、『精霊の審判』の力をコントロールしている?
時と場合、使用する者の成熟さや心根と、使用される者の立場や状況などを鑑みて、魔法の発動に制限を設けていたりするのではないか。
平たく言えば、「子供がすることだから大目に見てあげよう」と、そんな意思が働いているのではないのか?
『許せるのか』
その言葉が、やけに頭の片隅にチラつく。
もしかしたら、『精霊の審判』の発動条件には相手のことを「許せない」と思う強い感情が不可欠なのではないか……
いや、焼き鳥の串を捨てなかったなんて嘘に対し、俺はそこまで強い感情は持っていなかった。
まぁ、あのバカに対しては相当ムカついていたが……
相手への信頼関係が影響するのか?
俺はジネットに明確な嘘を吐いている。
『パイオツ・カイデー』は『笑顔が素敵』という意味だと、大嘘を吐き続けている。
けれど今、俺はジネットにかけられた『精霊の審判』でカエルにならなかった。
『精霊の審判』は、過去におけるすべての嘘を一括で裁けるものではない。
それが確定した。
もし今、俺が『パイオツ・カイデー』の本当の意味を教えて、怒ったジネットが再び俺に『精霊の審判』をかけたとしたら、俺はカエルになるかもしれない。
まぁ、ジネットなら「懺悔してください」と怒って『精霊の審判』をかけることはないのだろうけれど。
……というか、今さら『パイオツ・カイデー』の本当の意味なんか言えない。
ジネットのヤツ、何回かあの言葉に元気付けられていたみたいだし……くぅ、なんて浅はかな嘘を吐いたんだ、俺は。
「……俺、ジネットには優しくするよ」
「へ? えっと、……ありがとうございます?」
急に投げかけられた言葉に、ジネットが「あ、怒って『精霊の審判』をかけたわけじゃないですよ?」と見当違いなことを言い始める。
そうじゃない。
これはそう、なけなしの罪悪感がちくちく疼いているだけだ。
「とにかく、『精霊の審判』を初めて使った子供たちは不安で眠れなくなったりするんですが、こうやって使ってみせることで、『強い力も、使う者の心次第で恐怖の対象ではなくなるんですよ』ということを教えてあげたんだそうです」
それをするのは、大抵ベルティーナの役目らしい。
まぁ、寮母たちには荷が重いか。
というか、ベルティーナも『精霊の審判』を使うんだな。
使い方がベルティーナらしいと思うが……
誰かをカエルにしようと思って使用したことはないんだろう。
以前「経験はない」って言ってたし、誰かをカエルにしたことはないんだと思う。
でも、ガキどもが誰かをカエルにしないためには使うんだな、『精霊の審判』。
確かに、使う者によってその性質ががらりと変わるっていい事例だ。
過ぎた力は、使用者によって毒にも薬にもなる。
強大な力を目の当たりにして怯えるガキを、ベルティーナはその同じ力で安心させてやっていたんだ。
「そうした後で、シスターはその子のことを抱きしめてあげるんです。こうやって――」
言いながら、ジネットが俺の体を包み込む。
包み込むっていうには、ジネットの体は小さ過ぎるが、心情的に包み込まれているような気分になる。
心が穏やかになり、温かくて、押しつけられているおっぱいのことに意識を向けている暇もないほどにぽょんぽょんでぽぃ~ん! めっちゃばぃぃぃいい~ん! ホントもう、ありがとぉおおおお!
いやぁ、無理だ!
「……あったかい」なんて穏やかな気持ちでいるなんて無理!
なんて破壊力のある弾力!?
「心がわっしょいわっしょいするっ!」
「なんか、店長さんと似たようなこと言い出したですよ!?」
「……けれど、店長とは似ても似つかない表情。まるで別物。違い過ぎる」
「もう、お兄ちゃんは!」
「……まったく、ヤシロは」
呆れた声で言って、ロレッタとマグダがぎゅっと身を寄せてくる。
ジネットに抱きしめられている俺を、ジネットごと抱きしめる勢いで。
「みんながいるですから、一人で悩まなくていいですよ」
「……ヤシロは、もっと甘え上手になるべき」
ロレッタとマグダがそう言って、ジネットがくすくすと笑う。
そして。
「大丈夫ですよ。ヤシロさんは、どんなことがあってもヤシロさんですから」
そう言って、にっこりと笑ってくれた。
こいつらがなんと言おうが、きっと俺の中のブレーキはもう壊れてしまっている。
この次、今回のような場面に出くわした時も、俺は『精霊の審判』を武器として使用するだろう。
だが。
「こんなご褒美がもらえるなら、『精霊の審判』使いまくろっかなぁ」
「もう、ダメですよ。そんな悪い子はおやつ抜きになっちゃうんですからね」
そんななんとも可愛らしい罰を提示してくるこいつらを、悲しませるわけにはいかない。
そう思えるから、俺はきっと…………うん、大丈夫だ。
「おかげで落ち着いたよ」
名残惜しいが、ジネットの胸から体を離す。
本当に名残惜しいが。
なんならあと三泊くらいしたいところだけれども。
「ジネットもあるのか? 『精霊の審判』を使って、怖くなったことが」
ジネットもベルティーナに似て、『精霊の審判』を使いそうもないタイプだ。
それでも随分と落ち着いているところを見ると、『精霊の審判』には多少なりとも慣れているのだろう。
今はともかく、初めての時は怖がったりしたのかもしれないな、なんて思ったのだが――
「実は……今、初めて使いました。『精霊の審判』」
今が、初の『精霊の審判』だったらしい。
その初めてを、俺のために使ってくれたのか。
よく見れば、こちらを向く笑みが少々緊張しているような気もする。
「じゃあ、ジネットにもしてやらなきゃな」
とはいえ、ジネットに『精霊の審判』をかけるなんて、俺には出来そうもないから――ジネットの頭を包み込むようにぎゅっと抱きしめる。
「あ……っ」
短い声を漏らし、ジネットが俺の体に身を預ける。
しばらく黙って、ぽつりと――
「すごく、落ち着きます」
――そう呟いた。
「……では、マグダも」
「あたしも!」
俺に続いてマグダとロレッタがジネットを抱きしめる。というか抱きつく。
どっちが甘えてんだか分からない構図だな。
それでも、ジネットは嬉しそうに笑っていて、この街の人間はこうやって『精霊の審判』と向き合っていくんだなと実感した。
俺も今日は散々甘やかされた気分だ。
総括すれば、きっと今日という日は最高の一日だったのだろうな。
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