「ヤシロさん。少しお出かけしませんか?」
ジネットたちがそんなことを言い出したのは、足湯を終えて男女別の部屋に荷物を置いて一休みをし、眠たそうにしているハム摩呂を置いてトイレに立った時だった。
時刻は十九時。一部の店はまだ開いてる時間か。
「……ギルベルタ情報によれば、旅人や漁師向けに夜間営業している店が多いらしい」
「お土産とか売ってるそうですよ!」
『行きませんか?』と尋ねておきながら、すでに行く気満々の三人。
こんなもん、断れるわけないだろうが。
「それじゃ、たまには『客』になってみるか」
「はいっ!」
いつも『売る側』の陽だまり亭メンバー。
今日は、存分に『買う側』を堪能すればいい。
「……ふっふっふっ。こつこつ貯めたマグダの貯金が火を吹くぜ」
「あんま無駄遣いすんじゃねぇぞ」
とはいえ、貯める一方でもつまらんか。
「ほどほどにな」
「……ふふん。心得た」
豪遊する気満々の笑みを浮かべてマグダが腕まくりをする。
「あぁ……あたしはちょこちょこ使っちゃってるから、そんなにお金ないです……」
「では、わたしと一緒にお買い物しましょう」
「はいです!」
ロレッタは、普段から弟妹たちのためにあれやこれやと金を使っている。
たまには自分のために使わせてやりたいもんだよなぁ。
ジネットも、自分のものなんか全然買わない。だいたいが店に飾る花だったり、生活必需品だったりだ。
節約とケチは違う。
使う時は使った方が経済は回るのだ。
「よし! 俺も今日は豪遊するぜ!」
「ぅぇええっ!? ヤ、ヤシロさん、どうされたんですか!?」
「お兄ちゃん、具合悪いですか!? 死んじゃダメです!」
「……ヤシロが、浪費………………世界が、滅ぶの?」
「……お前ら、俺をどんな人間だと思ってんだよ……」
ったく、人が折角何か奢ってやろうかと思ってるのに。
「とにかく、大通りまで繰り出すとするか」
「……じゃすとあもーめんと」
「そうです! ちょっと待ってほしいです!」
「あの……わたしも」
なんだ?
出かけようとしたら三人娘に止められてしまった。
「少し、準備がありますので」
「お兄ちゃん、十分ほど待っててです! ……やっぱり二十分かもです!」
「えぇ……なんでだよ」
「……負けられない戦いが、ある」
マグダが燃えている。
小さな手で握り拳を作り、耳をピーンと立てて臨戦態勢だ。
「……都会の女に、後れはとらない」
謎の宣戦布告を残し、ジネットたちは自分たちの部屋へと戻ってしまった。
ルシアが用意してくれたのは男二人が一部屋に、女子がそれぞれ一部屋ずつの計四部屋だったが、ジネットをはじめマグダとロレッタが一部屋でいいと同室を希望した。
広い部屋に一人でいるのは落ち着かないらしい。
まったく。どいつもこいつも貧乏性…………はっ!? しまった。俺も「一緒がいい」と訴えておけば、みんなと同じ部屋で眠れたんじゃないのか?
悔やまれるっ! なぜもっと早くそこに思い至らなかったんだ、俺!?
こうなったらルシアに直談判をして……っ!
「館内で不埒な行為を行えば、直ちに叩き出すぞ。三十五区からな」
通りすがりのルシアに釘を刺されてしまった。
なんてタイミングで通りかかるんだ、お前は。分かったよ。大人しくしとくよ……ったく。
一度部屋に戻り、ハム摩呂に声をかけるか。
「ハム摩呂。お前はどうす………………寝てる」
「むにゃむにゃと、寝言を言うハムっ子やー…………むにゃむにゃ」
「……なんの夢見てんだよ?」
ハム摩呂はまだ子供だからな。さすがに疲れたんだろう。
こいつは寝かせておいてやるか。
部屋で待つこと二十分。ロレッタの宣言した時刻通りに、三人娘は俺の部屋へとやって来た。
意外な格好で。
「お前ら……どうしたんだ、それ?」
「あの……実はこっそりと持ってきていたんです」
「……都会娘に目に物を見せてやる」
「あたしたちの本気ですっ!」
ジネットとマグダとロレッタは、懐かしの浴衣姿だった。
これが、準備……
大通りにいるであろう、垢抜けた都会の女に見劣りしないための、こいつらの精一杯のオシャレ…………
「あ、あの……どう、でしょうか?」
不安げに尋ねてくるジネット。
……いや、どうもなにも…………お前ら、滅茶苦茶可愛いわ。
オシャレがしたいって、そんなもんをいそいそ準備してたのかと思うと、尚更な。
「い……いいんじゃないか? に、似合ってる、ぞ」
うっは! ダメだ、恥ずかしい!
なんだよ、揃いも揃って髪飾りとかつけちゃってさぁ!
言っとけよ、そういうの! そしたら俺も何か準備したのに!
「……ヤシロから『絶世の美女』との言葉をいただいた」
いや、それは言ってねぇけど。
「よかったです。これで、お兄ちゃんが他の美女たちに目を奪われる心配もないです」
「そんな心配してたのかよ……」
「うふふ。みんな、ヤシロさんとのお出かけが楽しみだったんですよ」
楽しそうに笑うジネット。
みんな……ね。
「お前は?」
「はい?」
「楽しみじゃなかったのか?」
少しだけ、意地の悪いことを聞いてみる。
なんだか、俺も浮かれているのかもしれないな。
だが――
「ですから、『みんな』、楽しみにしてたんですよ」
――ジネットの方がもっと浮かれているようだ。
……恥ずいわ、そんなはっきり言われると。
「……これで、おっぱいを放り出して練り歩く爆乳でもいない限り、マグダたちに負けはないっ」
そんなありがたいド変態がいるかよ……
「あ、出掛けるのか、私の友達たちは?」
ギルベルタがやって来て、「仕事があるからお供は出来ない、私は」と残念そうに漏らし、そして、こんな注意をしてくる。
「気を付けるといい。大通りには、たまにいるから、おっぱいを放り出して練り歩く爆乳が」
「いるのかよっ!?」
カモーン! ヘイ、カモーン!
放り出された爆乳カモーン!
「……店長、ロレッタ。ヤシロを取り押さえて」
「はい! しっかりと手を繋いで歩きましょうね!」
「野放しにすると危険です! 三十五区が!」
三人娘に両腕と腰をがっしりと拘束されてしまった。
えぇい、離せ! 爆乳が! 爆乳がぁぁあ!
「みんなで、お買い物しましょうね。ねっ!」
少しだけ強い口調で、ジネットに諭された。
……分かってるよ。
折角の機会だもんな。存分に楽しませてもらうさ。
「んじゃ、行くか!」
「はい!」
「……準備万端」
「待ち詫びたです!」
見送りのギルベルタに、何か土産でも買ってきてやると約束し、俺たちは大通りへと繰り出した。
松明が煌々と灯され、大きな通りが赤く染め上げられている。
揺らめく陰影が建物や行き交う人々を照らして幻想的な世界を演出している。
こんな時間だってのに人が多く、酒場はどこも賑わっていた。
「飯を少し控えればよかったな」
三十六区で夕飯を食った上に、ルシアのところでも少し食ったのだ。
なんか、すげぇ美味そうな海産物が並んでたからよぉ。ウェルカム海産物だな、あれは。
しかし、そんなもんをたらふく食ったせいで、もう何も入る余地がない。
目と鼻が欲しても、胃袋が断固拒否している。こりゃ、目に毒だ。
「……『赤いモヤモヤしたなんか光るヤツ』を使えば……」
「ズルいですよ、マグダっちょ!? ここのご飯は、また今度来た時にみんなで食べるです!」
「……むぅ。それも一理ある」
「では、またみんなで来ましょうね」
また来ましょう、と、ジネットは話をまとめる。
また、こんな風に旅行がしたいという意思表示だ。
ジネットの中に、陽だまり亭以外の大切なものが増えていく。
決して陽だまり亭を蔑ろにはせず、どんどんと新しい世界を切り拓いている。
それは、とてもいいことのように思えた。
「あっちに雑貨屋さんがありますよ。覗いてみませんか?」
「……マグダの部屋を可愛く飾るアイテムを探す」
「あたしは弟妹たちに何かお土産買うです!」
「じゃあ俺は……」
「「「爆乳探しは禁止」ですよ」」
「……なんも言ってねぇだろうが」
なんだ、そのお前らのその分かり合ってる感。息ぴったりじゃねぇか。
両サイドをがっちりと固められ、俺は雑貨屋へと連行されていく。
俺も雑貨見るつもりだったっつの。
浴衣姿の三人に、街の男たちは思わず振り返る。興味やら下心やら、いろんなものが混ざった視線が三人に注がれている。
こんな危険な場所に、お前らを放っておけるかってんだよ。
カラコロと下駄を響かせ店内を見て回る。
店主らしきおばさんが、「その服可愛いわねぇ。どこで仕入れたの?」なんて聞いてくるから、ウクリネスの店を教えておいてやった。
そのうち、四十二区まで買いつけに来るかもしれないな。
あれやこれやとかしましく、三人娘が大通りの店を巡る。
服屋に入って上着を見たり、ハマグリの入れ物に入った口紅を物色したり、店に飾れそうな置き物を眺めたり。長旅の疲れなど微塵も見せず、ジネットたちは歩き回り、はしゃぎまくった。
俺はというと、途中疲れて店の前で待っていたりしたのだが……女子のパワーはすごいな。女子の買い物好きって、全世界共通なのかね。
俺には真似できそうもない……と、ふと見た先に猛烈ぅ~なビキニアーマーが展示してあったので、「少々高いがこれは投資だろう!?」と、財布を取り出そうとしたところを三人掛かりで取り押さえられた。
いや、似合うって!
陽だまり亭ビキニアーマーフェア、絶対ウケるって! じゃなかったら、寝間着にとか、どう?
そんなことをしているうちに、大通りの松明が一つ、また一つと消えていく。
気が付けば、もう店が閉まる時間だった。二時間近く買い物をしたらしい。
ジネットたちはそれぞれ、抱えきれないほどの荷物を両手に持っていた。
「陽だまり亭が盛況なおかげで、たくさん買うことが出来ました」
「……商売繁盛はいいこと」
「頑張った甲斐があったです」
さすがに買い過ぎだろうとは思ったが……
日頃頑張っている自分へのご褒美くらいは、あったっていいだろう。
「じゃ、そろそろ戻るか」
「はい!」
「……うむ」
「はいです!」
四人揃って来た道を引き返していく。
聞いたところ、四人全員が個別にハム摩呂へのお土産を買っていたらしい。
考えることは一緒だな。
これで、明日の朝ハム摩呂が拗ねることはないだろう。
そんな風にして、俺たちの初めての社員旅行は幕を閉じた。
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