「よし、出来た!」
ペンを置き、エステラがぐぐーっと背中を伸ばす。
「ベッコのイラストはあとから追加するとして、とりあえずレシピは完成したよ」
「お疲れさん」
俺が書いたレシピとは別に、エステラが見て聞いた情報をまとめたレシピを用意した。
俺が主観で書いたレシピだと、「え、そんなところで躓くの!?」みたいな落とし穴がないとも言えない。
知っている者は、知らない者が分からない場所に気が付けないものだからな。
まして、情報提供者秘匿の観点から、俺が直接パン職人に教えられないから、きちんと伝わるように万全を期しておかなければいけないのだ。
レシピ通りに作ったのにうまくいかないなんてことがあっては一大事だからな。
「というわけで、ベルティーナ。後日、俺が口を出さずにパンが作れるかの検証をさせてほしいんだ。パンを作るのは陽だまり亭の三人だ」
「そうですね。この味がきちんと伝わるのか、それはとても大切なことだと思います。検証を行いましょう」
『検証=また食べられる』とあって、ベルティーナはノリノリだ。
新しいパンの試作は、教会が是非にと望んだことなので、結構融通が利くのだとか。ベルティーナの人徳もあるのかもしれんが、こちらの要望は通りやすくなっている。
もっとも、教会の立場から見れば「好きなようにしていいから、情報をすべて寄越せ」ということなのかもしれんが。
そして、レシピが確実に継承された後は「二度と手を出すなよ」という圧力は掛かってくるだろう。
今だけ特別。特例だ。
「あの、ヤシロさん……」
俺たちの話を聞いて、鼻の頭と頬に小麦粉を付けたジネットが不安そうな顔を見せる。
その小麦粉わざと? ちょーかわいいんですけど。
「もしかしてわたしたち、作り方を覚えてはいけなかったのでは? 知識のない方に伝わるかどうかを検証したかったんですよね?」
しでかしてしまったとでも思っているのか、鼻と右頬を白く染めたジネットが泣きそうな顔で言う。
え、なに? 俺の保護欲かき立てたいの?
「大丈夫だ。こいつはハンデみたいなもんだ」
「ハンデ、ですか?」
「あぁ。このレシピを見てパンを作るのはプロのパン職人だ。蓄積された知識と経験がある。多少分かりにくくても、経験から正解を導き出せる」
「確かに。プロの方なら、そうかもしれませんね」
「ジネットは、料理のプロではあるがパン作りは初めてだろう? だから、今日一日勉強してちょうどいいくらいなんだよ」
パン作りは意外と難しい。
ホームベーカリーでもあれば簡単お手軽にパンが焼けるのかもしれないけれど、ここでのパン作りは手ごね、自然発酵、石窯だ。かなり難易度が高い。
だから、一日掛かりでみっちりとジネットに技術を教え込む。
たぶん、ジネットなら一日で要点を覚えて、平均以上のパンを作れるようになるだろう。
マグダとロレッタはそのサポートだ。
この三人が揃えば、俺が手を出さなくとも美味いパンが焼けるに違いない。
……というか、絶対焼ける。
なので、ジネットが懸念している「知らない人に伝わるかの検証」にならないのではないかという点は、……残念ながらそのとおりだ。
しかし、それでいい!
ちゃんと伝わるようにエステラと俺、二種類のレシピを用意したのだ。
それに、パン職人がマジで行き詰まったら、ベルティーナを尋ねればいい。直接教えられなくとも、疑問が分かればピンポイントの回答が出来る。
だから、検証など必要ないのだ!
ではなぜ、わざわざ数日後にパンを焼くのか。
それは……
区民運動会で大量のパンを使うためだ!
そう――
パン食い競争にな!
体操服姿の女子たちが、ぶら下がったパン目掛けて横一列でぴょんぴょん飛び跳ねる!
しかも、その様をガン見していても怒られない!
なんなら「熱心に応援してる、優しい!」とすら思われる!
そんな、パン食い競争になっ!
保存料も何もないこの世界のパンは日持ちがしない。
無添加で健康的~と言えば聞こえはいいが、田舎的で融通が利かない側面があるのだ。
なので、区民運動会の前日にパンを焼く!
これでもかと焼く!
おまけにパン職人ギルドは、ベルティーナの働きかけによって、区民運動会のスポンサーになってくれた。
すなわち、パン、持ち出し放題だ!
スポンサーの商品は、注目度の高い祭典の最中に使用して然るべきだろう!
今回の区民運動会は利益を得るためのイベントではない。
領民たちの団結力を高め、刺激し合い、一層の発展を目指そうという志の高いイベントだ。
教会も全面バックアップしてくれるくらいに健全なイベントなのだ!
文部省推奨の映画みたいなもんだ。「じゃんじゃんやっちゃいなさい」状態だ!
教会には、「新しいパンの宣伝になるし、きっと発売後は飛ぶように売れる」と吹き込んでおけばいい。
俺たちは、教会のパン利権を脅かすつもりはさらさらない。
むしろ、新しい技術を無償提供し、技術の継承に全力を尽くす献身的な協力者だ。
さらに、パンを使わせてほしいと言っているのは、爽やかな汗と止め処ない感動が溢れる清々しいまでに健全なスポーツの祭典だ。反対する理由がなかろう! ……むふっ。
というわけで、区民運動会へのパンの提供は確約されたようなものなのだ。
そこら辺のことを、ベルティーナに、ものすご~く耳に心地のいい言葉で吹き込んでおいたから、きっとうまくやってくれる。
というか、「成功したら運動会の間中パン食べ放題」とか言っておけば、何がなんでも許可を取り付けてきてくれるだろう。
「そういえば、ヤシロ」
レシピを書き上げ一息ついたエステラが、焼き立てのチョココロネを齧りながら俺のもとへとやって来る。
すげぇ幸せそうな顔してんな、お前。そんな美味いか。
「リストの中に『パン食い競争』っていうのがあったよね?」
「おう。パン職人ギルド全面協力のおかげて開催できそうで安心だな」
「目玉競技になるかもね。こんな贅沢な競技、他にないだろうから」
贅沢?
まぁ、パンは高価な物だから、実費で購入しようとすればそれなりに金はかかるだろうが……贅沢ってほどか? かつての陽だまり亭にも置いていたようなもんだろ、パンって。
「『コースの途中にあるパンを食べてゴールする』だっけ?」
それは、俺が競技案一覧に書いた説明文だ。
簡潔かつ、一番重要な……特にエステラが猛反対しそうな部分は濁して書いてある絶妙な説明文だと言える。
「食べる量と速さで言えば、やっぱりシスターが最強かもしれないよね」
あっ、そういうことか!
こいつ勘違いしてやがる。
「大食いや早食いじゃないぞ」
「えっ、違うの?」
大食い大会の時のように、パンを大量に用意して大食いすると思っていたのだろう。
だから「贅沢」なんて言葉が出てきたのか。
大食いはもういいんだよ。それをしても利益につながらないのであれば、経費が嵩むだけだからな。
「運動能力に差があり過ぎるから、獣人族の独壇場になるのを防ぐための措置かと思ったんだけど」
「まぁ、ある意味ではそうだな」
普通に駆けっこをすればマグダやデリア、ロレッタたちが圧勝する、分かりきった結末を迎えるだけだろう。
でも、障害物競走やパン食い競争であれば、必ずしもそうなるとは限らない。
……そうだな。確実にパン食い競争をプログラムに入れるために、ちょっとしたデモンストレーションをしておくか。
「おーい、妹~!」
「「「はーい!」」」
パン屋の前で二号店七号店の売り子をしている妹たちを呼び寄せる。
……もうちょっと小さい方がいいか。
「年少組の妹を呼んできてくれないか? 三人ほど」
「分かったー! すぐ行ってくるー!」
妹が一人駆け出し、驚異的な速度で遠ざかっていく。
……うん。やっぱ、普通の徒競走じゃ勝負にならねぇわ、これ。
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