「モリーちゃん、細いじゃない」
「いやいや、腹とか、見えてないだけでヤバいんだって。この前もこっそり四十二区の体操教室覗いて、家で練習してたんだって。もう、必死でさ」
「……私も、お腹…………」
「ネフェリーさんは全然大丈夫!」
あぁ……ネフェリーさん『は』って…………
「…………本当なら、兄ちゃんがやらなきゃいけない仕事なのに……」
背後から、暗ぁ~い声音の囁きが聞こえてくる。
「兄ちゃんが遊び歩いてるから……私が仕方なく全部一人でやってるのに…………」
「へ…………って、あれ? モリー……? え? なに? なんか、怒って……る?」
「今日から私、陽だまり亭の子になります」
「えっ!? ちょちょちょっ、ちょっと待てって!」
「これまで大変お世話しました。もう顔も見たくありません、お引き取りを、さようなら」
「ちょっと、モリー!」
ぷいっと背を向けて、モリーが厨房へと向かう。
「お世話になりました」じゃなくて「しました」ってところが実感こもってるよな、うん。
厨房に入る直前、モリーが振り返って、物凄い無表情で、おまけに物凄い平坦な声で言う。
「あ、そうだ。明日の午後、行商ギルドさんへの納品あるから、すぐ帰って工場動かした方がいいよ」
「いや、それはモリーが!」
「は? 何をおっしゃってるんですか、工場長さん?」
「うぐ……っ」
「じゃ、ごきげんよう」
砂糖工場の最高責任者は、仕事もしないくせにしがみついているパーシーの希望通り、今もなおパーシーのままだ。実務は完全にモリーが掌握しているのに。
パーシー……お前がこの世で一番怒らせちゃいけない相手は妹だろうが。
あ~ぁ……
「ど、どうしよう……あんちゃん……?」
「なんで俺に聞く?」
「いや、だって……あ、そうだ! ネフェリーさんからもモリーに何か言ってやって……」
「もう少しデリカシーを身に付けた方がいいよ、パーシー君は。……ふん」
つんっとそっぽを向いてネフェリーが陽だまり亭を出て行く。
あ~ぁ、あんドーナツを楽しみにしてたのに、あんなこと言われちゃこれ以上甘いもん食おうとは思えないよなぁ……
仮に本当に太ってなかったとしてもだ。
「痩せてるね」に対して「でしょ~?」と言える女は少ない。この街ではイメルダとレジーナとデリアくらいだ。
多くの場合「そんなことないよ~」と否定する。
で、それを踏まえた上でだ。自分的に「ちょっと痩せなきゃなぁ、でもまだ平気かなぁ」くらいの感じだった時にだぞ? 「そんなことないよ」「痩せてないよ」なんて何度も何度も否定させられたら……そりゃいい気分しねぇっつの。
「ど、どどど、どーしよ……どーしたら……あぁっ!」
頭を抱えて蹲るパーシー。
ウーマロも呆れ顔で愚かなアホタヌキを見下ろしている。
「どうしようもないッスねぇ」みたいな顔で首を振っている。
こんなところでいつまでも落ち込まれてても困るしな。
俺はパーシーの肩に手を置いて、パーシーがするべきことをはっきりと伝えてやる。
「帰って働け」
「こんな気持ちじゃ無理っしょ、普通!?」
「わがまま言ってる時じゃないッスよ。仕事する姿を見せて、反省を態度で示すッス。で、誠意を見せた後で誠心誠意謝るしかないッスよ」
「けど……!」
「ここで粘ると、モリーからの好感度がどんどん下がるぞ」
「納品に間に合わなかったら地に堕ち果てるッスね」
「うゎああああ! 大の大人が二人がかりでイジメるー!」
お前の方が俺より年上だろうが、この世界では。
「遅ればせながらの、ご帰宅やー!」
パーシーがうにうに悩んでいるところへ、ハム摩呂がババーンと帰ってきた。
つか、遅くね?
「何やってたんだ、ハム摩呂? ネフェリーが先に来て、もう帰ったぞ?」
「えっと、サトウダイコンのあるところ教えてー、取りに行ってー、渡してー、サトウダイコンくれた人にお礼言ってー、ちょっとお手伝いしてたー!」
「……パーシー? お前、ウチの手伝いに迷惑かけてんじゃねぇよ」
「い、いや……まぁ、状況が状況だったっつーか、止むにやまれず? みたいな?」
このタヌキは、のらりくらりと……
「ハム摩呂。責任者に断りなく職務を離れるな」
「はわゎ……ごもっともなお怒りや~……」
「反省しろ」
「心からの、ごめんなさいや~……」
「よし、許す!」
「地獄からの、逆転ホームランやー!」
「あ~、ハム摩呂は素直に謝罪できて偉いッスね~。誠意って、こういうもんッスよね~」
「うぐぐ……っ!」
諸手を挙げて喜ぶハム摩呂を見つめて、パーシーが眉をしかめる。
「オレ……、砂糖作ってくる! で、仕事終わったら謝りに来るから! そう言っといて!」
叫んで店を飛び出していくパーシー。
これで少しは反省してくれたらいいんだが。
「……だってよ、モリー」
「……はい。聞こえました」
厨房から、そろっとモリーが出てくる。
奥に引っ込んでないってのは分かってた。
「すみません。なんか、勝手に陽だまり亭の子になるとか……ご迷惑ですよね」
「いいや? ジネットに聞いてみろよ。大喜びで迎え入れてくれるぞ」
「あはは、……きっとそうなんでしょうね。けど、そのご厚意に甘えるのって、ちょっと……」
「いいんだよ。ウチにいる間ちょっと手伝ってくれれば。な? ジネット」
「はい。大歓迎です」
モリーの後ろからにこにこ顔のジネットが現れて、モリーの肩に手を載せる。
モリーはほっとした顔をした後で、ジネットに向き直って頭を下げた。
「しばらく、お世話になります」
「はい。自分の家と思って寛いでくださいね」
ホント。な~んであの兄貴に育てられてこんないい娘に育ったんだか。
「それで、あの……ヤシロさん」
モリーが遠慮がちに俺の名を呼ぶ。
「兄ちゃんが言っていたことなんですけど……」
パーシーが言っていたこと…………って、アレか?
「じ、実は……割と、本当の話でして…………」
顔を背けて、モリーの細い腕がこそっと腹回りを隠す。
そうか……ヤバいのか。
「もし出来れば、ノーマさんのダイエット料理と、デリアさんのシェイプアップ体操を……」
「アタシはいいさよ。たぶん、デリアも二つ返事でOKするさね」
「よろしくお願いします!」
ジネットの後ろから顔を出したノーマに頭を下げて、モリーが必死に懇願する。
切羽詰まってるなぁ。
と、ここにもう一人切羽詰まったヤツがいて……
「アッ、アーシも!」
バルバラがテーブルを叩いて立ち上がり、鬼気迫る声で訴える。
「アーシも、綺麗にしてくれさい!」
……バルバラ。惜しい。
微妙に惜しくて、すごくバカっぽいな、相変わらず。
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