「今回のご成婚には、いくつか問題がございます」
背筋をまっすぐに伸ばし、少々厳しめの声でバーサが話を切り出す。
「なにはなくとも、リベカ様はまだ九歳。結婚という言葉にはほど遠い幼い少女でございます」
まぁ、一番最初に引っかかるのはそこだよな。
九歳で嫁入りとか、常識的にあり得ない。
あのマーゥルでさえも、自身が九歳だった頃に受けたプロポーズには躊躇ったのだ。
保護者としては不安しかないだろう。
だが、親の心子知らずとはよく言ったもので、そんなバーサの不安に噛みついたのは他ならぬリベカだった。
「な、なにを言うのじゃ、バーサ。わしはもう大人じゃ!」
リベカの性格なら、こういった場面で子供扱いされることを嫌うだろうな。
ムキになって反論してくるのは予想通りだ。
だが、バーサも慣れたもので、「いいえ、子供です」とバッサリ切り捨てた。
それで意地になるのがリベカというお子様だ。
「大人なのじゃ! レディーなのじゃ!」
「子供です、チャイルドです」
「大人じゃ! 大人大人大人大人!」
「そうやってすぐムキになってしまう、心身ともに未発達なお子様です」
「おーとーなーじゃー!」
「おねしょもまだ直っていない小娘です」
「のゎっ!? な、なん、なんてことを言うのじゃ!? ち、違うのじゃ! そんなことは…………あの、た、たまたまじゃ! たま~に、たまたまなのじゃ!」
『精霊の審判』というワードを聞いた直後だからか、「そんなことはない!」とは言わなかったリベカ。たまにたまたまって……してんじゃねぇか、おねしょ。
「むぁぁああ! 破談になったらバーサのせいなのじゃ! 未婚ババアの呪いなのじゃ!」
おい、毒!
バーサだって傷付くことあるから!
仕事に生きた女性、使命にかけた人生、カッコいいと思うよ!
……って、どこに向けてフォローしてんだ、俺は。
「むぁぁあ……嫌われたのじゃ……絶対、今ので嫌われたのじゃ……」
ガックリと肩を落とすリベカ。
なんか、マジ泣きしそうな勢いだ。というか、泣いてるな、あれ。
ただし、失恋の悲しさというより、おねしょをバラされた恥ずかしさで、だが。
「大丈夫です、リベカさん!」
そんなリベカに、フィルマンが心からの声で救いを差し伸べる。
嘘偽りのない言葉で。
「僕は、そんなこと気にしません!」
「…………ホント……なの、じゃ?」
「はい! むしろ、かけてもらいたいくらいです!」
「はい、アウトー!」
ちょっと乱暴にフィルマンの口を塞ぐ。ヒジで、こう、「ガッ!」っと。
「……い、痛いです…………ヤシロさん……」
「ようやくしゃべれるようになったと思ったら……ろくでもないことしか出てこないのか、お前の口は?」
どんな変態カミングアウトだ。それこそ破談になるわ。
リベカだって相当どん引きして……
「…………そ、れは……もうちょっと、今よりあとちょっと、大人になったら……じゃ」
満更でもないご様子で!?
今よりあともうちょっと大人になってもなお、おねしょしようとしてんじゃねぇよ。
「いえ、おねしょのことなどどうでもいいのです」
「じゃあなんで持ち出した!?」
火付け人のバーサが火消しをすっぽかしてなかったことにしやがった。
「問題は、リベカ様がまだお若いということでございます」
「わしはもう大人なのじゃ!」
「おっぱいつんつーん」
「ふなっ!? な、なにを言うのじゃ!? バーサがまたエッチなこと言ったのじゃ!」
「ふふん。大人は、この程度のことで照れたりしないものなのです!」
「うむ! 確かに、一理ある! おい、ロレッタ、復唱してみろ」
「はいです! おっぱ……はぅわあ!? 危ないです! 言いかけたです! 何言わせるですかお兄ちゃん! もう!」
バーサからのボールを華麗な中継ぎでロレッタに放ってみたのだが、惜しい。今一歩のところでしくじったか。
「もう、ヤシロさん」
肩をぽふっと叩かれる。
ちょっと黙ってろテメェ――ということらしい。
それをジネット風にアレンジすると、こういう動作になるのだろう。
「バーサさん。一体何が問題だというのでしょうか?」
と、真顔で尋ねるフィルマン。
分かんないかなぁ……九歳のガキと結婚とか、問題しかねぇだろう、どう考えたって。
「当面は、『結婚を前提としたお付き合い』に留め置いていただきたく存じます」
丁寧に、礼儀正しく頭を下げるバーサ。
相手が次期領主最有力候補と知っての対応だろうか。それとも、自身が仕えるリベカの伴侶となるかもしれない相手だからか。
「工場の引き継ぎ問題もございますし」
「引き継ぎ……?」
バーサの言葉に、リベカがきょとんとした顔を見せる。
それを予想していたのか、バーサはまるで用意していたかのように落ち着いた声で事実を告げる。
「次期領主様とご成婚されるということは、リベカ様は麹工場を離れ、領主の館に住まい、公私ともにフィルマン様をお支えする任を負うということでございます」
「…………え?」
バーサを見て、フィルマンを見て、ソフィーを見て、最後に俺を見た。
リベカの顔には、不安が広がっていた。
「いや……麹工場に来てくれるのでは……ない、のじゃ?」
「リベカ様。フィルマン様は次期領主になられるお方。職務を放棄されることはございません」
「え…………あの……わし…………麹工場……もう、いちゃダメ、なのじゃ?」
「ですから、お時間をくださいと申し上げたのです。もう少し、リベカ様が成人なさるまでは、麹工場で、私どもと思い出を育みましょう」
「ひぅ……っ!」
リベカの瞳に涙が溢れてくる。
「い……やじゃ。わしは、バーサと離ればなれになるのは……いやじゃ!」
「リベカ様……」
「お姉ちゃんとも離ればなれで、バーサとも離ればなれになるなんて…………わし、寂しくて死んじゃうのじゃ! 本当に死ぬのじゃ!」
『大人なリベカ』をかなぐり捨て、九歳の少女がバーサの腰にしがみついて泣き声を上げる。
絶対に離すもんかという強い意志が、バーサにすがる腕に力を込めさせる。
「バーサと……離ればなれに……なるなら…………結婚、なんて……」
マズいな。その言葉を言わせてしまったらすべてが終わる。
フィルマンはおろおろとした表情で、どうしたものかと成り行きを見守っている。というか、何も出来ないで途方に暮れている。
数秒後にもたらされる決定的な言葉を予見しているにもかかわらず、何も手を打てないでいる。
しょうがない。
フィルマンから奪い取ったノートに文字を走らせる。
『リベカに声をかけて、安心させてやれ』
そんな文章をフィルマンに突きつける。
「わ、わしは、結婚……なんて……っ!」
「リベカさん!」
ぎりぎりで間に合った。
フィルマンに名を呼ばれたリベカは、口から出かかっていた言葉を飲み込んだ。
だが、それだけだ。
今もなお、リベカは振り向かず、ずっとバーサにしがみついている。
不安の色を濃くするフィルマンに、次の指令を出す。
『リベカの心に届くようなスピーチをしろ』
「え!?」みたいな反応を見せるフィルマンだが、大丈夫だ。そこは抜かりない。
俺はすぐさま次の文章を書き殴る。
『「僕は、ずっと考えていました」←読め!』
「ぼ、僕は、ずっと考えていました」
こちらを向かないリベカの後頭部に向かって、フィルマンが言葉を投げかける。
やや不安の気配は漏れ出しているが、それでも、言葉を続ければフィルマンの心も感情もそれに伴ってくるだろう。
多少字が汚くなろうとも、『強制翻訳魔法』がなんとかしてくれる。
スピード勝負だ。どんどん行くぞ!
再びノートの文章を見せ、フィルマンに言葉を催促する。
フィルマンのしゃべる言葉を俺がカンペに書いてフィルマンに見せる。
さながら、フロアADのように!
さぁ、読め!
なぁに、大統領だろうが国王だろうが、ここ一番の重要なスピーチは専門家に考えさせていたりするもんだ。
これは有能な参謀を得ているというお前の人徳のなせる業だ。何も卑怯なことはない。
女の子を口説くのに他人の入れ知恵とか……ぷっ、ダッサ! とか、きっと誰も思わない!
さぁ、しゃべれ! お前の声で! リベカの鼓膜をとろけさせる、囁き王子ヴォイスで!
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