「ヤシロさん、ロレッタさんの練習ドーナツに粉砂糖を振ってきまし……何があったんですか?」
トレーを持ったモリーがフロアの惨状を目の当たりにして呆れた表情を見せる。
「あれ? モリーちゃん?」
「あ、おはようございます」
「え~、なんでなんで?」
モリーを見つけてテンションが上がったネフェリー。
運動会以降、モリーに対する好感度がさらに急上昇したようだ。
「新しい砂糖の具合を知りたくて、お手伝いを……」
「新しい砂糖って、この周りに付いてるやつ?」
「はい。粉砂糖といって、兄ちゃんがヤシロさんに頼まれて作ったんです」
「パーシー君、頑張ったんだねぇ。じゃあ、褒めてあげなきゃね」
ネフェリーがそんなことを言った直後、店の外で「ズジャジャー!」と、成人男性が土の上でもんどり打ったような音が聞こえてきた。
きっと、盛大にガッツポーズとかしてるんだろうなぁ~って音だった。
……はは、嬉しそうな顔まで容易に想像できるぜ。
モリーも外の異変に気が付いたようで。
「いえ。依頼を受けて商品を納品するのは当然のことですので、過度に褒める必要はないです」
「でも、新商品だよ? すごいじゃない」
「ヤシロさんのアドバイスがあればこそですから」
「それでも、私は尊敬しちゃうなぁ」
「やめてください、すぐ調子に乗り過ぎるので。ウチの兄ちゃん、バカだから」
店の外で聞き耳を立てているであろう兄が浮かれ過ぎないよう牽制しているモリー。苦労してんだな、こいつ。
「それに、今日は陽だまり亭さんに視察だって言ってあったのに、朝から姿が見えなかったんですよ。予定を忘れていたのは、まぁ、百歩譲ってうっかりだったと許せなくもないんですが……もし万が一仕事をすっぽかして遊び歩いていたのだとしたら…………私は本気で怒らなければいけないので……まぁ、おそらく、原材料の砂糖大根の取引に行っているのではないかなぁっと心のどこかでは信じているんですが……果たしてどうなんでしょうかねぇ?」
モリーの背中から真っ黒いオーラが溢れ出していく。
わぁ、怒ってる、物凄い怒ってる。
声に乗せた怒気だけですべてを察したんだろうなぁ……ドアの向こうで「ドタンばたん、んだだだだっ!」って、けたたましい音がして、そのあと静寂に包まれた。
ま、縁を切られないように気を付けろよ、メイクダヌキ。
「……はぁ。まったく…………兄ちゃんはバカなんだから」
眉を寄せるしっかり者の妹の顔は、恋にうつつを抜かすダメ兄貴を嘆いているようであり、兄を取られて寂しそうにしているようでもあった。
複雑だよなぁ、モリーの立場的には。
「それで、ヤシロさん。このあんドーナツなんですけど……」
「あぁ、これはとりあえずネフェリーたちにやってくれ」
「いいんですか? 教会への寄付は?」
「どうせまだまだ作るだろ? なぁ、ロレッタ?」
「はい! あたしも、マグダっちょが終わったらもう一回チャレンジしたいです!」
「ってわけだ」
「分かりました。では、みなさんでどうぞ」
「いただきます!」
「アーシも!」
モリーがトレーを置くと同時にネフェリーとバルバラがあんドーナツを手に取る。バルバラは二つ同時にだ。
「美味しい~! このしっとりした感じがいいよね」
「うめぇ! うわっ、こっちはちょっと苦ぇ!」
「あ、それは一番ダメなヤツです! それはなかったことにしてです」
あんドーナツを頬張って賑やかになる女子たち。
ウーマロは寄ってこない。女子が多くて気後れしてる……わけじゃなく、この次のマグダのあんドーナツを待ってるのか。
「ねぇヤシロ。この粉砂糖って、普通のお砂糖と何が違うの?」
「粒の大きさだな」
粉砂糖は、上白糖やグラニュー糖をすり鉢で細かくしてやれば出来上がる。
が、どの程度の粗さの目で、どれくらいやればちょうどいいか。それは職人の感性に頼るしかなかった。
日本でならミキサーでガーッとやれば済む話なのだが、ここには電気がないからな。
陽だまり亭で作ることも可能だったんだが、これからあんドーナツを大々的に売り込んでいくことを考えれば、省ける手間は省いてしまいたかった。
で、パーシーに「お前が『これこそは!』と思う粉砂糖を作れ」と依頼しておいたのだ。
あいつはふざけたヤツだが、砂糖に関しては妥協がない。
想像通り、質のいい粉砂糖を仕上げてきてくれた。粒にバラツキもない、さらさらの上物だ。
「はぁ、美味しい~」
あんドーナツをペロッと一個平らげて、ネフェリーが満足げな息を漏らす。
クチバシに粉砂糖が付着している。
なかなかシュールな光景だな……
「あー、うまかった! ちょっと苦かったけど!」
「だから、それは一番ダメなヤツなので例外ですよ!」
二つをぺろりと平らげたバルバラの口には、粉砂糖がべったりと付いていた。
どんな食い方してんだよ。
「お前ら、口に砂糖が付いてるぞ」
「えっ!? うそっ!?」
「あ? 気にすんなよ、んなの! 食いもんだから平気だろ」
俺の指摘に対極の反応を見せるネフェリーとバルバラ。
ネフェリーは慌てたように指先でクチバシをなぞる。
バルバラはというと、舌でペロッと唇を舐めた。
女子力、雲泥だな。
と、そこへ四十区に帰ったとばかり思っていたパーシーがやって来た。というか、飛び込んできやがった。
泥付きのサトウダイコンをこれ見よがしに抱えて。
「こんちはー、あんちゃん! 仕事のついでに寄ってみたぜー」
ここに、嘘吐きがいます。
「あっれー!? ネフェリーさんじゃないですか、偶然だなぁー、マジでー」
その嘘吐きは、白々しいストーカーです。
「今日はどうしたのパーシー君? お仕事?」
「ま、まぁ、そんな感じ? 見て、サトウダイコン! 俺の大切な仕事道具!」
いや、仕事道具ではないだろう。原材料だ。
つか、お前の仕事においてサトウダイコンを四十二区まで来て持ち運ぶってことはあり得ないだろうが。工場から持ち出す意味もないし。
で、そのサトウダイコンがどこから出てきたのかというと……わざわざ四十区まで戻ったとは考えにくいから……アッスントんとこのサトウダイコンか? たしか何ヶ月か前に作り始めたって言ってたし。
「兄ちゃん。お仕事してたんだね」
「あ、あれー? モリー? なんでここに……あー、そうかー! 今日だっけ、粉砂糖の様子見に来るのー、いっけねー、うっかりしてたわー、マジでうっかりだわー!」
「そっか。うっかりしてたんだ」
「そうそう。仕事に夢中でさー」
「ふぅ~ん……じゃあ、一回だけ『精霊の審判』かけるね?」
「待ってモリー! 兄妹でそーゆーのやめよって! マジで! 冗談でも危ないからさぁー!」
往生際の悪いバカ兄貴。
昨日出来たっつって持ってきて、昨日「明日視察させてください」ってモリーに言われたんだぞ。昨日の今日でうっかり忘れるかよ。
一回カエルにされとけって。モリーが不憫過ぎる。
「…………はぁ。バカ兄」
モリー魂の呟き、だな。
それで許しちゃうからつけあがるんだぞ、お前んとこのバカ兄貴は。
「モリーは甘いな」
「……職業病です」
「………………ん? どゆこと?」
「……っ、すみません。聞き流してください」
モリーが顔を逸らしてぷるぷる震え出した。
耳の先が真っ赤に染まっている。
あっ、あぁ~!
砂糖を作ってるから甘いと。
あぁ~、なるほど!
「モリー、すっごく面白い」
「すみません……勘弁してください」
何が面白いって、今のモリーの反応が面白可愛い。
モリーを妹にしたいというネフェリーの気持ちは分からんでもないな。
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