異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

355話 清廉で潔白な -4-

公開日時: 2022年5月6日(金) 20:01
文字数:3,242

「ふっふっふっ、これで誰にも邪魔されねぇ……」

 

 内側から鍵をかければ、そこは完全な密室となった。

 

「泣いても叫んでも、誰も助けには来な――」

「いや、ジネットちゃんが飛んでくるよ」

 

 だろうなぁ。

 寝ぼけていたエステラが比較的冷静なツッコミを寄越してくる。

 早朝ツッコミとかいうドッキリを仕掛けても、平然とこなしそうだな。

 さすが、転生のツッコミ職人。

 

「で? ちゃんと眠れたか」

「ついさっきようやく眠り始めたところだよ……」

 

 くはぁ……っと、口を押さえてあくびをするエステラ。

 たぶん、そのついさっきはそこまでついさっきではないと思うぞ。

 寝てたからついさっきだと思ってるだけで。

 

「じゃあ、またあとで寝直すといい」

「いや。今日はやることが多いからね。寝てなんかいられないよ」

「俺がやっといてやるぞ」

「ダメだよ」

 

 先ほどまでの寝ぼけ眼を鋭くして、エステラが静かな声で言う。

 

 

「――ボク自身の手でケジメを付けなきゃいけないから」

 

 

 呟いて、唇を噛む。

 決心を付けかねているってところか。

 

「何を迷ってんだ? 貴族を引きずり下ろすことで混乱が生じることか?」

「それはまぁ、多少は感じているよ。三十区の領民には恨まれるかもしれないなって。……けど、先に仕掛けてきたのは向こうだ。責任はすべてウィシャートにあると、ボクは胸を張って反論できる」

 

 港の工事の妨害も、土木ギルド組合や情報紙発行会を利用した嫌がらせも、ウィシャートが先にこちらへ仕掛けてきた嫌がらせだ。

 利益をかすめ取りたい。

 なんとなく気に入らない。

 そんなくだらない理由でな。

 

 そして、それよりもずっと前から、ウィシャートは四十二区に被害をもたらしていた。

 

 

『湿地帯の大病』

 

 

 それは、領主と領民が蜂起して一つの区を攻め滅ぼすのに十分過ぎる理由になる。

 今はまだ、エステラの判断でその真相を秘匿している。

 だが、ことの経緯を詳細に説明すれば、きっと四十二区すべての人間が三十区に対して怒りと恨みを向けるだろう。

 全面戦争も辞さない勢いで。

 

 それだけのことをしでかしたウィシャートを引きずり下ろしたことで、「俺たちの生活に影響が出た」などと、三十区の領民に責められる謂われはない。

 領民に罪はないが、だからといってこちらが怒りを収めて我慢してやらなければいけない理由はない。

 

 だから、「恨むならバカな領主を恨め」としか言えない。

 

 もし、エステラがそれを躊躇っているのなら、俺が矢面に立って――

 

「ボクはね……ボク自身に戸惑っているんだよ」

 

 握られた拳が震えている。

 震える拳を包み込むように握り、エステラは白状する。

 

 

「ウィシャートを殺してやりたいという感情を、この胸の奥に抱えている自分に」

 

 

 エステラの父親は『湿地帯の大病』の調査のため湿地帯へ入り、ウィルスに冒された。

 領主としての仕事はもちろん、歩行すらままならないくらいに体を蝕まれ、ついには表舞台に返り咲く前に引退を余儀なくされてしまった。

 そのせいで、エステラは随分と苦労を強いられた。

 誰にも助けを求められず、一人で泣いたことも一度や二度ではないだろう。

 先の見えない不安に押しつぶされそうになりながら、必死に歯を食いしばって四十二区を守ろうとしていた。

 

 その苦労は、すべてウィシャートのくだらない支配欲が原因だった。

 

 殺意を覚えるのは当然だ。

 だが、エステラは、それに戸惑いを覚えるようなヤツなのだ。

「テメェ、ぶっ殺してやる」と、軽々しく口にしないようなヤツなのだ。

 

「おそらくボクは、君の言うとおりのやり方でウィシャートを引きずり下ろし、正当にヤツらの罪を訴える。そして、正当な裁判の後に、科された罰を正当に与えるだろう。……それが、きっと一番正しい方法なんだろうね。……でもっ」

 

 握られていた拳がその拘束を振りほどき、手のひらへと打ち付けられる。

 痛々しい鈍い音が響いて、後にはエステラの乱れた呼吸だけが耳に届く。

 

「多くの命を奪ったあの男が、罰を受けるとはいえこの先の未来も生き続ける――それが堪らなく憎い。憎くて憎くて堪らないっ! ……そんな風に思ってしまう自分が、いるんだよ、ここに……確かに、ね」

 

 ドンッと胸を叩いて、困り果てたように偽物の笑みを浮かべる。

 口は笑おうと歪に震え、瞳からは涙が落ちる。

 

 ……そんな顔、すんな。

 

「……自分でもびっくりだよ。ボクの中に、これほど残忍な人格が眠っていたなんて」

「そうか? 案外、そんなもんだぞ。人間なんて」

「ボクはね、誰よりも正しくあろうと――清く、美しくあろうと思って生きてきたんだ。虐げられる度に、嘲られるほどに、強くね」

「ご立派な考えだな」

「……実行できていれば、ね」

 

 おのれの描く理想像と、現実の乖離に戸惑っているのだろう。

 あのな、エステラ。

 人間なんて、そんなに強くないんだぞ。

 

「十分だよ」

 

 だから、誰かと一緒にいようとするんじゃねぇか。

 強くないから誰かを必要とし、強くないことを知ってるから誰かを救おうとするんだろうが。

 お前も分かっているはずなのに、視野を狭めて見失ってんじゃねぇよ。

 

「お前は十分清廉で、存分に潔白だ」

「……けど」

「大切なものを害されて怒りも感じないなら、そっちの方がどうかしてる」

「それは……そう、だろうけどさ……」

 

 それに、「殺したい」なんて随分と優しい発想だと思うぞ。

 

「もし俺なら、光の一切差し込まない狭い空間に閉じ込めて――」

 

 思いつく限りの拷問を口にしてみた。

 

「痛い痛い痛いっ! もういい! もう口を閉じて!」

「ここまで、絶対死なないように細心の注意を払ってだな――」

「もういいって!」

 

 涙目で口を塞がれた。

 両手で俺の口を塞ぐエステラは、肩を上下させて乱れた呼吸を繰り返す。

 

「悪魔なのかい、君は?」

 

 よく見れば、エステラの頬や首筋に鳥肌が立っている。

 それを温めるように、手のひらでそっと包み込む。

 両手で顔を挟むように。

 

「……へ?」

 

 驚いて、俺の口を塞いでいた手を引っ込めるエステラ。

 解放された口で、しっかりと教えておいてやる。

 

「お前の感情は変なもんじゃない。むしろ、お前らしくて安心する」

「……そぅ……かな?」

「それに、お前はいざその時になれば、きちんと領主として行動をする。むしろ、『さっさとぶっ殺せ』といきり立つ領民をなだめる方に回るだろうよ」

 

 断言してもいいが、四十二区の中でエステラは生易しい方の部類だ。

 ジネットとベルティーナに次いで三番手かもしれん。ミリィと同率で三番目かもな。

 あぁ、ヤップロックなんかも激甘な判断をしそうではあるが、それでも少なくともトップ10には絶対入る。

 

「お前は、お前が信じる通りに行動すればいい」

「……ヤシロ」

「それに文句を言うヤツはいないし、もしいたら俺らが黙らせてやる。俺や、メドラやルシアがな」

 

 おっかない連中が睨みを利かせれば、誰も反論は出来まい。

 

「……もし、ボクが」

 

 エステラの頬を包み込む俺の手に、エステラが手を添える。

 エステラの手と頬でサンドイッチされる俺の手。

 互いに逃げられない状況で、エステラは究極の質問を寄越してくる。

 

「どうしてもウィシャートを許せないと言って、殺害の意思を見せたら――君はどうする?」

 

 あり得ない。――と、言い切れないと思っているから、こいつはずっと不安だったんだろうな。

 

「そうしたら、俺かナタリアのどちらかがウィシャートを殺してやるよ。お前の手を汚させるわけにはいかないしな」

「そんなの……っ! ……君たちの手を汚させる方がダメだよ。ボクのわがままなのに」

「なら、こっちのも単なるわがままだから気にすんな」

 

 お前が恨みに任せて誰かを殺すくらいなら――

 

 

「汚れ役を買って出てでも、お前を守ってやる。お前には綺麗なままでいてもらいたいっていう、俺らのわがままだよ」

 

 

 エステラは四十二区の象徴だ。

 こいつの手は、何があろうと汚させない。

 きっと多くの者がそう思うし、そう思っているだろう。

 

「……ふふ」

 

 俺の手に挟まれたまま、エステラは俯いて肩を揺らす。

 

「過保護が過ぎるよ。君も、ナタリアも」

 

 うっすらと涙が浮かぶ瞳は、それでも心からの素直な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

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