はぁ……来てしまった。
大失恋をしたフィルマンは、館に帰るなり「……将来について真剣に考えます」と、自室にこもってしまった。
その絶妙な言い回しと、これまでにない真剣な表情から、ドニスは『俺たちにとって』都合のいい勘違いをしてくれたようで上機嫌だった。
「そなたらに任せて正解だった! フィルマンの答えが出たら、共に宴を開こう」……なんて言っていた。……『答えが出たら』って…………最悪の答えが出ても、一緒に宴開かなきゃいけないのかねぇ、『精霊の審判』的に。
「俺の経験上、初恋に破れた思い込み暴走ピュアボーイは、結構な時間殻に閉じこもり『世界から見放された孤独な自分(僕のことなんか誰も理解してくれないモード)』に浸るものだ。……時間はまだあると言えるだろう」
「それは、経験則かな?」
「俺がそんなセンチメンタルなことすると思うか? 時は金なりだぞ? 何人かの知人を見てきた結果だよ」
中学の頃、フィルマンと同じような病を患う連中が少なくない人数存在した。
俺の知る限り、初恋が実ったヤツは一人だけだ。その一人も、付き合い出して数ヶ月後には性格の不一致(勝手に抱いていた理想像との激しい乖離)によって破局していた。
そうやって破れていった連中は漏れなくずどーんと落ち込んでいた。程度の差はあるにせよ。
「そういう友人を見てきたから、フィルマン君に同情したのかい?」
「バカ言え。あいつのためじゃなく、四十二区の――ひいては俺のために行動するんだよ」
「そうだったね。君の行動原理は『そういうことになっている』んだっけね」
……ちっ。
知った風な口を……
「で、会ってどうするつもりなのさ?」
エステラが、目の前にそびえる高い塀を見上げて言う。
「さて……どうしたもんかな」
「ノープランなのかい?」
当たり前だろ。こんな展開は予想だにしていなかった。
フィルマンがフラれて傷心――ってとこまでは読めても、まさかこの俺がフィルマンを元気づけるために行動を起こすだなんて、どこの世界の神様だって予測できなかったろうさ。
俺が一番驚いてるっつうの。
「とにかく、ここにいるんだ。リベカの思い人がな」
俺たちは、二十四区の教会へと来ていた。
ナタリアには、フィルマンがバカなことを仕出かしたりしないように見張らせている。
具体的には……自作の失恋ソングを弾き語りし始めたりしないようにだ。そんな歌が出来ちまったら、確実に聞かされる。目に見えている。阻止せねばっ!――と、ナタリアには伝えてある。
……まぁ、命を粗末にすることはないと思うが、念のためな。
「とりあえず入ってみよう」
「……そうだな」
俺たちが教会の前で立ち止まっていたのは、何もフィルマンごときのために行動しちまっている現在の自分に落胆しているからだけではない。
物々しいまでに重厚な赤い鉄の門扉が、俺たちの行く手を阻んでいるからだ。
そびえるような高い塀に、重厚な赤い鉄門扉。
二十四区の教会は、まるで部外者をシャットアウトするような、なんとも閉鎖的な印象を与える佇まいだった。
「教会ってのは、来るもの拒まず、もらえるもの拒まず、払いそうにないヤツからもお布施をむしり取る社交的な場所じゃなかったっけ?」
「三つの内、最初の一つには賛同できるね。後ろ二つは保身のためにノーコメントとしておくよ」
バカだな。後ろ二つが教会の本質なんだろうが。
しかし、この教会はあまりにも異常だ。
これじゃまるで……
「牢屋だな」
「小さな町のようだね」
エステラと意見が分かれた。
「脱走しないように厳重に警備してんじゃないのか?」
「部外者が立ち入らないようにしているんだと思うよ。この中にいるのは犯罪者ではなく、聖職者と、その庇護下にいる者たちなんだから」
「俺なら、半日と待たずに抜け出すけどな」
教会なんて場所に閉じ込められたら、俺の中の何かが浄化されちまう。
「何をそんなに警戒しているんだ?」
「ボクにも分からないよ。父とは違って、この街に来るのは初めてだからね」
エステラは領主になって日が浅い。
近隣の区には挨拶回りもしたようだが、遠く離れた区には手紙で領主交代の知らせを送っただけだという。
「あ、でも。王都には行ったよ。直接挨拶しておかないと、いろいろまずいからね」
と、少々自慢げに語るエステラ。
王様ってのに会ったのがそんなに誇らしいのか?
「じゃあ、エステラは王族と顔見知りなんだな。今度紹介してもらおう」
「まぁ、無理だね。聞く耳を持ってもらえないだろうし、今のところ君を王都に近付ける気はない。……四十二区が消滅してしまわないためにもね」
小憎たらしいウィンクを飛ばしてきやがる。
なんだよ。俺が王族に会うや否やケンカをふっかけるとでも思ってるのか?
バカだなぁ、そんなことするわけないだろう?
ほんのちょっと詐欺にかけてお金を拝借するだけだよ。
「とりあえず、シスターに会ってみよう。門扉は閉ざされていても、教会は信者を拒絶したりはしないだろうからね」
信者ではない俺はどうなるんだろうな、という問いは言わずに、エステラに続いて赤い鉄門扉へと近付いていく。
外門のように巨大な門扉ではなく、俺の背丈よりもほんの少し大きい程度なのだが、それでも十分に重そうだ。
こんなもんを開け閉めして外出するのは面倒くさいだろうな。
そんなことを俺が考えている間に、エステラは鉄門扉の横にぶら下げられていたドアノッカーを打ち鳴らした。
金属がぶつかり合う甲高い音が鳴り響く。
「どちら様でしょうか?」
鉄門扉の上方、ちょうど目線に当たる部分に小さな小窓があり、そこが開いて中から女の瞳が覗いてくる。
エステラに似た、赤い瞳がこちらを窺うようにじっと見つめる。
マンションの新聞受けくらいの大きさなので、覗き込まれている感がすごくして……ちょっと不快だ。
ガッチガチの警戒態勢だな。
「はじめまして。ボクはエステラ・クレアモナといいます。中に入れてもらうことは可能ですか?」
初対面用の領主スマイルを浮かべて、エステラがスマートに挨拶をする。
だが、覗き窓の向こうの瞳は怪訝そうに曇り、エステラと俺を順番にチラ見した後で、淡々と拒絶の言葉を寄越してきやがった。
「申し訳ありませんが、外部の方を敷地内に入れるわけには参りません。お引き取りください」
「え……っ?」
パタンと、覗き窓が閉まる。
なんともあっけなく、そして冷淡に突き放されてしまった。
一見さんお断り…………格式高い料亭かよ。
偉いさんの紹介がないと入れないってのか?
「あ、あの、すみません!」
再度エステラがドアノッカーを打ち鳴らす。
「……なんでしょうか?」
再び覗き窓の向こうに怪訝そうな瞳が現れる。
呼べば出てくるらしい。それも、あと何回通用するかは分からんが。
エステラもそれを分かっているのか、慎重に説得を試みる。
「あのですね、ボクは四十二区の領主で、現在、二十四区領主ミスター・ドナーティの館にお邪魔しています。話したいことがありましたので」
「では、領主様のお館でお話しください。……では」
「待ってください!」
隙あらば話を打ち切ろうとする怪訝な瞳に、エステラは早口で捲くし立てるように語り聞かせる。
「ミスター・ドナーティに会う前に、麹工場でリベカ・ホワイトヘッドさんにも会いました。その関連で少し伺いたいことがありまして。これは、ミスター・ドナーティにも関連することですので、なんとかお話を聞いていただけませんか!?」
我々は二十四区のために行動しているのだ――と、エステラは訴える。
領主と麹職人の名を出せば、二十四区の住民なら誰でも協力的になるだろう。
まして、それが教会という平等と慈悲と建前の塊みたいな組織であればなおさらだ。
……と、思ったのだが。
「……リベカに何かを言われたのですか…………では、なおのことお会いすることは出来かねます。お帰りください」
無情にも、覗き窓は閉じられてしまった。
「………………えぇ~……」
理解できないとばかりに、エステラの喉から聞いたこともないような落胆の声が漏れる。
肩を落として、しばらく閉ざされた覗き窓を凝視していた。
それにしても……リベカの名を口にした瞬間に歪んだあの瞳……なんとも言い難い感情を感じた。
ただしそれは、「嫌悪」や「侮蔑」ではなく、――「戸惑い」や「申し訳なさ」のような色合いに見えた。……まぁ、目の色だけじゃ正確に判断するのは難しいけどな。
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