高度成長期を経験したことはないのだが、映画等から受ける印象で語るのならばまさにこんな感じであろうと、そんな雰囲気の漂う街並みがそこには広がっていた。
古い木塀や建ち並ぶあばら家。土が剥き出しの道はデコボコだ。
「懐かしいなぁ、なんか」
「奇遇だな、カタクチイワシ。……私もそう思う」
回顧的な瞳であばら家の並ぶ街並みを眺め、ルシアが俺に同調する。
かつてはこの街も、こんな街並みが主流だったりしたのだろうか。
おもむろに、ルシアが道に建つ木の柱に手を添える。
……電信柱?
電線こそ通っていないものの、木製の電信柱のようなものがポツンポツンと建っている。聞けば、空を飛べる虫人族が羽休めをする場所なのだそうだ。……飛べるヤツ、いるんだ。
「チョウ人種やトンボ人種など、ごく限られた一部の者だけだがな」
と、ルシアはどこか寂しげに言う。
その顔はまるで、「出来ることなら一緒に飛び回りたい」とでも言いたげだった。
「猛暑期には、この柱にゲンジボタル人族が無数停まり、美しい光を放つのだぞ」
「へぇ……ホタルか」
それは、きっと綺麗な光景なんだろうなと、素直に思った。
かつて、親方たちと川辺で見た無数のホタルを思い出す。
美味いゴリの棲む近所の川はとても綺麗だった。ホタルも、毎年たくさんいたしな。
「ふむ……なんだか癪だな。貴様と話が合うとは」
「ホントは嬉しいくせに」
「抜かせ」
ルシアが肩パンを食らわせる。……友達か。
どことなく、時間の流れが緩やかなここの風景がそうさせるのだろう。ルシアはずっと穏やかな表情を見せている。
あるはずもないのだが……どこかから不意に、豆腐屋のラッパでも聞こえてきそうな錯覚に襲われる。
「この場所が好きか、友達のヤシロは?」
ルシアの向こう側から、ギルベルタがひょっこりと顔を覗かせて問いかけてくる。
まぁ、そうだな。好きかどうかと聞かれれば……
「好きな方だな。なんとなく落ち着くよ」
「そうか。それは嬉しい思う、私は。実はこの近く、私の生家は」
現在はルシアの館に住み込んでいるらしいギルベルタだが、そうか、実家はこの辺なのか。
ここらは虫人族が多く住んでいる地区らしいからな、不思議ではないか。
「よければ、今度招待する、友達のヤシロを、私の生家へ」
ギルベルタが生まれた家か。
少し興味があるな。呼んでくれるというのであれば、遊びに行ってみるのもいいだろう。
「是非紹介したい、私の両親に。永遠に添い遂げる友達として」
……ん?
あのさ、ギルベルタ……それ、伴侶って言わね?
「……ヤシロ。君ってヤツは…………」
エステラよ。そんな「手当たり次第か、こいつ……」みたいな軽蔑の眼差しで見ないでくれるか?
俺は何も言ってないだろうが。
「カタクチイワシ……貴様……」
いや、だからな、ルシアよ。そんな「指一本でも触れたらミンチにしてくれるぞ」みたいな殺意まみれの眼差しで見ないでくれるか?
俺は何も言ってないから。
「あ、あの……ヤシロさん……」
ジネット……お前まで、「もしかして陽だまり亭を出て行かれるのですか?」みたいな不安そうな眼差しで俺を見るなって…………ったく。
「ギルベルタ。是非遊びに行かせてもらうよ。ジネットと一緒に」
言いながら、ジネットの肘を掴みこちらへ引き寄せる。
俺たちが並ぶと、ギルベルタは一層嬉しそうな笑みを浮かべて大きく頷いた。
「うむ! みんな一緒が一番嬉しい思う、私は!」
こいつには、特別な思惑だの言葉の裏に秘めた思いだの、そういうのは一切ないのだ。
初めて出来た友達を大切にしたい。それだけなんだよ。
周りが勝手に騒ぐんじゃねぇっての。
「まぁ、つーわけで、またどこかで休みを取ってくれ」
「はい。楽しみですね」
先ほどの不安そうな表情はどこへやら、友達の家への訪問という予定にわくわくが止まらない、そんな表情を浮かべている。
「あ……でも、あまりにこういうことが続くと、マグダさんたちに悪いですね……」
事実、マグダとロレッタは随分と寂しがっていたしな。
この一件が終わったら、思う存分構ってやるといい。
俺も、多少は甘えさせてやるつもりだ。多少は、な。
「そういや、今度大人様ランチやるよな? 中央広場に特別施設を作って」
「はい。大通りの店に空きが出たようで、そこを使って、期間限定発売をすることになっていますね」
大食い大会の後、街門のあれこれが落ち着いてから一週間ほどの期間で、四十二区の大通りに特設会場を設けて大人様ランチの販売を行っていたのだが、販売期間終了と同時に再開を求める声が殺到した。
今でもエステラのもとには十件単位で要望書が届いているらしい。
そこで、再び大人様ランチの販売をしようという計画が持ち上がっているのだ。
「大人様ランチが売り出されれば客足はそっちに向かうだろうし、大人様ランチには陽だまり亭の味も入っている。少しの間だけそっちで我慢してもらっても、まぁ、大丈夫だろう」
「えっと、それはつまり……」
「その期間、どこかで休みを取って、みんなで遊びにでも行こうじゃないか」
そんな提案を聞いて、ジネットの顔がぱぁっと輝きを放つ。
「はい! きっと、楽しいですよね。マグダさんとロレッタさんも喜ぶと思います」
事前に告知でもしておけば、客も納得するだろう。
「でしたら、是非三十五区の花園を見ていただきたいです」
「そうだな。マグダとロレッタに、花園の蜜を飲ませてやるか」
「はい。お二人とも甘い物が大好きですから、きっと気に入ってくださいますよ」
ジネットにとって、マグダとロレッタは共に働く仲間であり、もはや家族のようなものなのだ。その二人を喜ばせたい。
そのためになら、店を休むことだって厭わない。
かつて、陽だまり亭に縛られていたジネットの心が、いい意味で解放されたのだ。
マグダやロレッタと一緒に楽しむ時間も、陽だまり亭にとってはなくてはならないものであると、そう認識するようになったのだろう。
義務感で食堂経営をやっているよりも、そっちの方がずっといい。
「おい、カタクチイワシ」
「んだよ」
ほわほわと微笑むジネットを見ていた俺の視界に、いかめしい面をしたルシアが割り込んでくる。……顔、近ぇわ。
「そのマグダとロレッタというのは人間か?」
またそういうことを聞く……お前なぁ、その癖直せよ。感じ悪いぞ。
「……どっちも獣人族だよ。トラ人族とハムスター人族だ」
「女子か? 可愛いか?」
さらに最低な質問来たっ!?
「お前が来た時、店にいただろう。小さい無表情の娘と、究極に普通の娘が」
「おぉっ、あの二人かっ! よし! 私も同席してやろう」
「来んな! お前は働いてろっ!」
下心丸見えの方はご遠慮願います!
つか、遊びの予定に食いつき過ぎだぞ、領主とその給仕長!?
「私と同席するのが不服なら貴様が来るな、カタクチイワシッ!」
「俺が企画した計画だよっ!」
どんだけ自己中なんだ!?
「私を除け者にすると言うのであれば、アゲハチョウ人族を紹介してやらぬぞっ!」
「最初にお前が会えっつったんだろうが! そこは責任持って会わせろよっ!」
もうやだ、貴族!
世界は自分を中心に回ってるとか思ってんのか!?
「口答えするでない! 貴様は知らぬかもしれんが、世界は私を中心に回っているに違いないのだっ!」
思ってたよ、マジで!?
っていうか、ルシアは地動説を信じてるのか? それとも、これも『強制翻訳魔法』のお茶目な意訳なのか?
「ヤシロさん。ルシア様がご一緒してくださるのでしたら、問題が起こりにくくなるかもしれませんよ。三十五区のみなさんは、ルシア様のことをとても尊敬されていますし」
ルシアのわがままをフォローするジネット。……なの、だが。
あのな、ジネット。
何よりも、こいつが率先して問題を起こしそうなんだが。つか、確実にそうなるのが目に見えているんだが。
「よいことを言うではないか」
ルシアが勝ち誇った顔でジネットを褒める。
ジネットはというと、こんな尊大な褒め方にもかかわらず恐縮したようにはにかみを漏らしていた。
「そこのカタクチイワシなどとは違って、良識があるようだな。さすが、おっぱいのジネットだ」
「その呼び名、定着しちゃったんですかっ!?」
確実にギルベルタから伝わったのであろう呼び名に、ジネットは渾身の抗議を起こす。
残念だったな、ジネット。ここの領主にはなかったみたいだぞ、良識ってヤツが。
ちなみにだが、こんなわきゃわきゃした会話をしている間、ミリィとウェンディは花園の蜜の話を熱心に繰り広げていた。
というか、ミリィがウェンディを質問攻めにしていた。それはまさに根掘り葉掘りという具合で、あっちはあっちで面倒くさそうだなと思った。
まぁ、ウェンディは多少の苦笑を浮かべながらも、楽しそうにしていたので問題ないだろう。
ミリィもテンションが上がることがあるんだな。
そしてエステラは、各方面で繰り広げられる面倒くさそうな話を避けるように、我関せずな表情を貫いて静かに歩いていやがった。
……薄情者め。お前も領主なら、この面倒くさい領主の相手でも買って出ろよな。
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